【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 最終楽章 後編」の感想など その1


ごきげんよう
最早"元ボカロP"になりつつある無味Pでございます。



今回は、6/22に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編」
を読んで、気付いた事などをネタバレガッツリ込みで書かせて頂こうと思います。


個人的にも世間的にも色んな事があり過ぎて、まさか刊行から2ヶ月以上経とうとは思いも寄りませんでした。これは、全部書ききるのに半年くらいかかるかも・・・。
一先ず、その1を上げますので、お付き合い頂ければと思います。












以下ネタバレです!























  • 久美子が最後に至った「音楽・吹奏楽・部活に対する考えは部員によって百人百様」という結論は、響けユーフォニアムという作品が、読む人によって感想が百人百様という事とリンクする
長きにわたり続いてきた「響けユーフォニアム」という作品が、ついに完結しました。まずはここまで書ききって下さった武田綾乃先生には心からの謝辞を表したいと思います。本当に素敵な作品をありがとうございました。
さて、最終楽章後編の結末、皆さんはどのような感想を持たれたでしょうか。学生時代にどの部活に入っていたかでだいぶ違った感想を抱くと思います。野球部か、バスケ部か、テニス部か、美術部か、園芸部か、演劇部か、あるいは部活に入っていなかったか。
吹奏楽部の人でも、そこがどんな吹奏楽部だったか、担当楽器は何だったか、中学だけだった人、高校だけだった人、中学から大学までずっと吹奏楽部だった人でも感想は違うでしょう。
このように、読者のバックボーンの違いにより、同じ物語を読んでいるのに百人百様の感想を持ったはずです。そして、その感想には余程的外れではない限りは「正しい感想・間違った感想」はないと思います。その事が、物語の終盤で久美子が至った結論のうちの1つである、「音楽や部活に対する考え方は、みんな違って当たり前。正解・不正解は無い」という事とリンクしているな。というのが、自分の読み終わっての一番最初の感想でした。久美子の至った結論については後述しますが、音楽と文芸、同じ芸術の一分野として、共通するところがあるのだと思います。小説などの文芸作品も、音楽と同じように百人百様の創作があり、百人百様の感想があります。

自分の音楽観については、第二楽章後編の感想ブログその2に大体書かせて頂いてるんですが、中でも2017年の吹奏楽コンクール西関東大会で審査員を務められていたサックス奏者の上野耕平先生が、コンクール終了後にツイートされていた内容に甚く共鳴しておりまして、改めて紹介させて頂きます。

https://twitter.com/i/moments/1125019031365246976

自分の中で「吹奏楽は音楽の一形態。音楽は競技ではない。ゆえに、吹奏楽は競技ではない」というのが、自分の中で絶対に揺るがない、音楽観の"根幹"の考えです。そういう人が、この物語を読むと、どういう感想になるのか。という観点でこの感想ブログを読んで頂ければと思います。










  • 「結果が出た事で全てが丸く収まった」という終わり方は、大団円過ぎて一周回ってリアルか
最終楽章後編は、オーディション直前に麗奈と和解した久美子が、全国大会でのユーフォソリに再び選ばれて、久美子の演説で部内の空気も良くなって、ユーフォパートの仲も改善され、全国大会では見事金賞を獲得し、帰り際に秀一とよりを戻す。という、絵に描いたような大団円での幕切れとなりました。
久美子が1年生の時には、全国大会出場という結果が出た事で、今までの努力は正しかったという描写になりました。2年生の時には、関西止まりだった事で、今までの努力は正しくなかった(最後は加部先輩がそれを払拭しようとはしましたが…)という描写になりました。なので自分は、3年生では「全国で金賞を取れたけど、わだかまりが残った」か「全国には行けなかったけど、わだかまりなく大団円」のいずれかだと予想していました。自分の中で、過去2年と違い「結果の如何によって、それまでの努力の肯定・否定が連動しない」という結末を期待していたのだと思います。それはやはり、音楽において「結果が良ければ全てよし、結果がダメなら全てダメ」という考えが嫌いという個人的な考えに起因していると思います。
で、最終的に上記のような結末になったので、一番最初に読み終わった時の感想は「あー、そっちできたかぁ」でした。ことごとくが丸く収まったので「いくつかの問題点は解決しなかったけど、結果良ければ全て良し」の空気があったからです。でも、時間が経つにつれて「これはこれでリアルなのかも」と思うようになりました。
よく、色んな事がトントン拍子に進んだり、都合よく結果が出たりすると「これが漫画だったら、ベタ過ぎてネームの段階でボツだよね」とか「もし小説だったら編集に止められるくらいベタな展開だな」なんて言ったりしますが、そういう事って現実でも割とありますよね。なのでこういう結末も、一周回ってリアルなのかなと思いました。
なので、「全ての問題が噴出しきって、全ての問題がスッキリ解決」という展開ではありませんでした。むしろ結果が出た事で、問題になり得た「問題の芽」のいくつかに蓋がされたように思いますし、特に麗奈に関しては、本人の内面にある問題点が、結果が出た事で修正される事無く物語が終わりを告げました。その部分こそがとてもリアルだと思います。この「問題の芽がある程度解決せずに蓋がされる」「登場人物の問題点がクリアになる事無く引退・卒業を迎える」というのは、武田先生が響けユーフォニアムという小説の中で一貫して描いています。勿論全国で金賞を獲る事ができた要因もちゃんとあるので(ここは後述)、単なるご都合主義では終わらせない所が、武田先生の凄いところだと思います。





  • 求の過去がほとんど明かされ、予想大外し
前編の感想ブログに「求の件は、全てがつまびらかにならないかもしれない」とか書いてしまいましたが、ふたを開ければ、プロローグで求のお姉さんの墓参りシーンから始まるという、予想大外しをかましました。最初に読んだとき、めちゃくちゃ恥ずかしかったです。
それとは対照的に、真由の事は思ったより謎が残りました。この辺は後述します。





  • B編成の部員達もコンクールを楽しめたようで本当に何より。というか、ずっとB編成を勘違いしていた
自分が高3の時の自由曲がメリーウィドウだったので、「メリーウィドウ序曲」と聞いて、一瞬「お!?」となったんですが、自分がやったのは、同じメリーウィドウでも「セレクション」の方でした・・・。何はともあれ、低音の1年生3人が楽しんでコンクールに臨めていたのが本当にほっとします。
あと、ずっと勘違いしてたことが、今更になって判明しました。京都のB編成って、もしかして人数制限無いんですか?宮城の小編成や新潟のB編成とそもそも位置付けが違うんですね・・・。宮城は大編成・小編成、新潟はA編成・B編成に分かれてるんですが、それぞれ人数の多い編成・少ない編成に分かれています。なので、京都のB編成もそうなのかとばかり・・・。
京都のB編成は、埼玉でいう所のD編成的な立ち位置という事なのでしょう。京都はA・B・小編成に分かれていると書かれていたので、「小編成」は、宮城に昔あったC編成的なものだとばかり思ってました。なおかつ、宮城と新潟は少人数の編成にも上位大会があるので、A・Bどちらにも出場する事が出来ません(昔はできたのですが・・・)。京都は少人数の編成に上位大会が無いから、1つの学校でどっちにも出れるのだろうとか、うすぼんやり辻褄があってて、今までずっと気付いていませんでした。お恥ずかしい・・・。






  • 沙里の件と佳穂の件は解決済みで、こちらも予想大外し・・・。
物語の序盤、沙里が久美子にお礼を言いに来ます。
「あのころ、私、いろいろといっぱいいっぱいやったんですけど、最近ようやく冷静に周りを見られるようになって。昨日、佳穂が言うてたんです。『吹部に入ってよかったー』って。それを聞いて、あのときの久美子先輩の台詞はやっぱり正しかったんやなって思って」
「それは佳穂ちゃん自身の頑張りの結果だけどね」
「それでも、です。絶対に伝えておきたかったので」
前編の感想ブログで「沙里の件は解決してないかも」とか書きましたが、後編の序盤も序盤であっさり予想が大外れしました。この沙里の台詞によって、沙里は元より、佳穂も後編で波乱を生むような動きをすることが無いという事がほぼ確定します。前編の感想ブログで「佳穂が後編のカギになるかも」みたいな事を散々書きましたが、これもガッツリ外れました。
ちなみに、このシーンの最後に沙里は久美子に
「私、何があっても久美子先輩を応援しますから」
と告げます。この台詞は、中盤以降の展開への大きな伏線になっています。もちろん、久美子はこの後この台詞の重さを思い知る事になりますが、この時点では気付くはずもありません。




  • 今まで一貫してきた緑輝のコンクール観と反する一言に反応してしまう自分は、ちょっと考えすぎ?
関西大会の他の出場校を緑輝が解説シーン。最後に解説用に作った模造紙を片付ける所で、美玲に模造紙をどうするか聞かれ、
「関西大会まで後ろの黒板に貼っておこ。敵を忘れるべからずってやつ」
と緑輝は言います。
この「敵を忘れるべからず」という台詞が、今までの緑輝のコンクール観・音楽観と相容れない言葉だったので、個人的に凄く引っかかってしまいました。
第二楽章後編やアンコン編の感想ブログにも書きましたが、緑輝はコンクールの結果ばかりを重視する考えに否定的な考えを持っています。だからこそ、原作2巻では他校の演奏をごく普通に称賛できた訳です。その言動が今まで一貫してきたのに、ここに来て関西大会の他の出場校を「敵」と表現した事が、個人的に非常にひっかかってしまいました。過剰反応でしょうか?







  • B編成のコンクール終了後の美知恵先生の台詞が、後の展開に係ってくる
コンクールから戻ってきた美知恵先生は、久美子にこのように告げます。
「顧問は部員たちが努力している姿を知っている。結果が出ずに落ち込んでいる姿を見るのはこたえるからな。こうして大会が終わったときにみんなが笑顔でいてくれてよかったよ」
この台詞は、吹奏楽部顧問として非常にストレートな感想です。
物語の序盤に出てきたこの台詞は、終盤にかけて展開される「部員の滝先生への不満」「滝先生のコンクールへの向き合い方への苦悩」「あすか先輩の滝先生評」「橋本先生の音楽観・コンクール観」という、物語の軸となる様々なトピックに係ってくるものになっています。なのでこの台詞は、2回目以降に読み返した時に読者に大きく響いてきます。
原作ではアニメ版ほどは目立たないですが、美知恵先生は滝先生と連携しながら部活運営をしていたはずで、その美知恵先生に物語の序盤にこの台詞を言わせたことに、非常に大きな意味があると思います。




  • 100人超の部員全員にアイスを差し入れしてくれるOBOGは、久美子の言う通り神様以外の何物でもない
大学生にとって、決して安い金額ではなかったはずです。こんな先輩、自分も欲しかった・・・。






  • 1年生編・2年生編に比べて、プールシーンの導入部分に必然性をそこまで感じなかった
久美子が1年生の時には、希美先輩の復部の件で先輩たちに話を聞かせて貰えずに不服を漏らす葉月をなだめる為に、緑輝がプールに行く事を提案します。このシーンが入る事でプールにいく必然性が極めて自然に出てきますし、緑輝がどういう性格の人物なのかが伝わってくるシーンにもなっています。
2年生の時には、色んな人をプールに誘う中で、みぞれ先輩が「あがた祭りの時に誰も誘わなかった自分に、希美が他の子も誘えって言ったから」という理由で梨々花をプールに誘います。このシーンがある事で、みぞれ先輩にはあがた祭りに誘える人が居ないという第二楽章前編のシーンが浮き彫りになり、梨々花を誘った理由が「希美が言ったから」の一点張りという事で、みぞれ先輩の極端な視野の狭さが際立つ構図になっています。
翻って最終楽章後編のこのシーン。確かに「麗奈に真由の名前を出されて久美子が息をのむ」という描写があるので、全く無意味という訳ではないですし、「毎年恒例だから」という理由で今年もプールに行こう!というノリは高校生っぽいと思います。ただ、1・2年生編と比べると、そのシーンの重要性が若干薄いというか、何となく「読者への(あるいはアニメ化の時の)サービスシーンだから」感を感じてしまいました。それだけ、1・2年生編の時のプールへの導入が非常に必然性の高いシーンだったとも言えます。








ここで一回区切ります。
まだ物語の超序盤。全て書き上がるのは果たしていつになるのか・・・。こうご期待!



それでは、その2に続きます。