【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 最終楽章 後編」の感想など その2



6/22に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 後編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
その2です。

ついに今年も終わるというのに、未だに「その2」までしか書けていない自分に驚きを隠せません。
最早読んで下さる方がいらっしゃるかも怪しいですが、もし良ければ、目を通して下さると嬉しいです。














以下ネタバレです!























  • 葉月が進路を決めた時に久美子が驚くシーンで、2人の微妙な心理的距離が見えてきて、中盤の「麗奈の海外留学を急に知らされる」シーンとも繋がってくる
久美子と葉月が2人になるシーンって、シリーズ通してみるとそんなに多くないんですよね。印象に残るのは、定演編で葉月が久美子に秀一と付き合ってるのに気付いて聞き出すシーンくらいかなと思います。
梨々花に誘われる形で大学イベントに参加し、葉月が唐突に保育系の短大に進学すると決心したシーンで、久美子は完全な初耳というリアクションを取ります。葉月が美知恵先生に保育系の進路を勧められた事も、それについて葉月が検討していた事も久美子は全く知らなかった訳です。
このシーンは、久美子が進路を決めかねている事と、葉月が進路を決心した事で久美子の焦りが加速する事が主題になっています。しかし、「この日まで葉月の進路について久美子が知らなかった」という点に着目すると、久美子と葉月の微妙な心理的距離というものが見えてきます。
久美子は部長の仕事に忙殺されているという事もあるんですが、クラスメートで、1年生からの友人で、パートも同じ葉月の進路の事を久美子が一切知らなかった事は色んな捉え方が出来ると思います。久美子が、葉月は演奏技量も学業も自分に劣ると(無意識にかもしれないながら)判断して、もしくは葉月を秀一に一度は恋心を寄せた人物として、やんわりと距離を取っていたのかもしれません。特に後者は、アンコン編で秀一と葉月がくっついてしまった時を想像して嫌悪したりしています。逆に、上記2つの理由のいずれかで、負い目を感じた葉月の方から距離を置いたのかもしれません。残念ながら物語上ではどれが理由なのかは分かりませんが。
そしてこの、「久美子が葉月の進路を急に知る」というシーンは、物語中盤の「麗奈が海外留学をするという事を急に知らされる」というシーンとリンクする気がします。元々久美子と微妙な距離感のある葉月とのこのシーンがある事で、「親友であるはずの麗奈とケンカをして心理的距離が生まれた状態だから、麗奈の海外留学という決断を急に知らされる」という事がより強調されてるのかなぁと思いました。






  • 進路に迷う久美子の周囲に明確なビジョンを持った人物がやたら多いのは、大学在学中にプロ作家デビューを果たした武田先生ならではの発想なのか
姉と進路の話をする久美子はこのように言います。
「自分だけが取り残されてるみたい。ほかの子はみんな自分のやりたいことが見つかってるのに。」
好きなことを仕事にしたい、と周りの友人たちは言う。未来に目を輝かせ、自分のなかからあふれ出る熱を形にすべく奮闘している。
「でも、私にはそれがない。人生を懸けたいと思うものなんて、まだ見つかってない」
(一部抜粋)
それに対し、久美子ママはこう返します。
「そんなの普通じゃない?」
「お母さんだって、いまの仕事を一生続けようと思って始めたわけじゃないし。好きなことを仕事にしている人って意外と少なかったりすると思うのよ。収入とか休日とか、そういう条件もあるだろうし」
自分には、久美子ママの台詞が本当にその通りだと思います。響けユーフォニアムの登場人物は、将来の夢を明確に持ってそれを叶える手段として進路を決定している生徒の比率がかなり多い印象があります。自分が高校3年生の頃、そんな人物は周りには一握りだったように思うのは「単に自分の周りだけがそうだった」とは思えないのですが、どうでしょうか。そんな状況下にある久美子が焦るのは無理もないです。
なぜそんな人物が久美子の周りに多いのかと言えば「作者が大学在学中にプロ作家デビューを果たした武田先生だから」というのが大きいんじゃないかなと推測しています。武田先生ご自身が、
"高校生時代に既に小説を書き始め、同志社大学文学部に進学し、1年生の時に早くも宝島社の新人賞に応募し、2年生でプロデビューを果たす"
という、正に「高校生の時点で自分のなりたい職業を具体的に設定し、その職に就く為の手段として文学部に進学し、在学中に出版社主催の新人賞に応募する」という、極めて明確な将来設計と、それを実現するための具体的な努力と行動をしておられます。そういった、作者自身の特性が、主人公の久美子を焦らせているとすれば、とても興味深いなと思いました。






  • ちえりちゃん、まさかの音大志望
めちゃくちゃ驚きました。アニメ版では、落ち込むちえりちゃんをちかおが励ましたという設定があります。立ち直らせるどころか、音大受験を志望する所まで進んだちえりちゃんと、背中を押したちかお。そう考えるとなんだか心が暖かくなります。




  • お風呂のシーンと関西大会ソロ交代時の席移動のシーンが、"奏者にとっての演奏技量"に対する久美子と真由の認識の違いが浮き彫りになる
物語終盤に、真由は裏表なく本当に「音楽においての優劣に執着がない」という事を久美子に伝える場面があるんですが(ここは後述します)、実はお風呂のシーンで真由は久美子に決定的なセリフを言っています。
「転校すると勘繰られたりするでしょ?転校したい理由があったのか、とか、特別な生い立ちがあるのか、とか。そんなの全然ないのにね。私は単純に、親の引っ越しについて回ってるだけだし、北宇治を選んだのだって吹奏楽部が楽しそうだったって理由なだけ。私はただ、いまを楽しもうとしてるだけなんだけどね」
ここで既に「いまを楽しもうとしてるだけ」とハッキリ言ってるんです。真由はとにかく、演奏技量の優劣に対して執着が無いんだという事を、真由なりに久美子に伝えようとしているのですが、久美子には「演奏技量の優劣に執着がない」という発想そのものが無いので、全く伝わりません。これが前編から何度も繰り返され、お風呂のシーンではついに「勘繰られるような裏側は何もない。いまを楽しもうとしてるだけ」とハッキリ明言するに至っている訳です。
「転校すると勘繰られたりするでしょ?」の部分も、"あの全国常連校たる清良女子からの転校生だ"という事で久美子(と読者)に勘繰られる真由という状況を言い当ててます。真由は清良からの転校生だという事によって「演奏技量の優劣に執着がない訳が無い」と読者にも"勘繰られている"状態だと言えます。
久美子と真由のやり取りは、前編から後編終盤に至るまでずーっと「土台部分から音楽に対する考えが違う」というやりとりの繰り返しな訳です。関西大会前のオーディションで真由がソロに選ばれ、首席奏者たる"指揮者に一番近い席"を久美子が真由に譲る譲らないのやりとりなどはまさにそうです。真由は「自分は演奏技量の優劣に執着がない。でも久美子はあるようだ。ならば、せめて首席奏者の位置だけでもそのままにしておくべきだろう」という発想で
「席、このままでいいからね。代わらなくて、いいから」
と言います。それはそれで、久美子の感情を逆撫でするという所まで考えが及ばないあたりが真由らしいです。
一方の久美子は「演奏技量に執着がない」なんて事は頭の片隅にもないので、
情けをかけられているのだ、自分は
と思う訳です。その結果
「前にも言ったでしょ?北宇治は実力順だって」
頑なに言い張ったのは、久美子の意地だ。
という事で半ば無理矢理真由を首席奏者の位置に座らせます。それはそれで、真由が他部員から白い目で見られまくる事で真由の肩身がどんどん狭くなるという事態を生む可能性があるのですが、この時点で久美子は精神的にかなりダメージを受けているのでそこまで考えが及びません。

このように、最終楽章において真由と久美子の関係は、裏に複雑な何かがありそうでいて、実は「音楽への考え方が根本から違う」事でのすれ違いの繰り返しという単純な構造だったという事が、改めて読み返してみると良く分かります。









  • 関西大会のオーディション終了後の奏の台詞は、実力主義・オーディション制の久美子があまり見えてなかった点をバッチリ付いている
合宿でのオーディション後の合奏を終え、真由から逃げるように広場に向かった久美子は、そこで奏と会い、二人で話をするシーン。奏は実に冷静に状況分析をします。
「上手な奏者が集まると逆に枠が少なくなることもある、ということです。チューバパートだって、一昨年は二人だけだったわけでしょう?それが四人ですよ、四人。」
「今回さつきと釜屋さんがAメンバーになったのは上手さという単純な比較ではなく、全体のバランスを重んじた結果です」

久美子:真由ちゃんのほうが上手だったんだって私は受け止めたけど

「久美子先輩と黒江先輩に大きな差があるならいざ知らず、二人の力量って好みの違い程度でしょう?少なくとも、私はそう思います。だったら、部長で、しかもずっとこの部のために働いている久美子先輩をソロにしたほうがよくないですか?部もそっちの方がまとまりますし」
自分は、「響けユーフォニアム」を読み進めるにあたって、

・大人数で音楽を構成する吹奏楽という音楽形態の性質上、編成バランスは非常に重要で、各楽器毎にオーディションを行う場合においても、当落が編成バランスに左右されるのは極めて自然。
・楽器の演奏技量(ひいては音楽そのもの)は、客観的な指標や数値を示す事が困難なので、余程の差が無い限りは、音楽を裁定する場合、審査員の主観に左右される。
・音楽において奏者の精神状態というのは演奏に直結するので、潔癖な実力主義より部員の精神状態維持を優先させる事も、良い音楽を作る上では考え方としてありうる。

という事を考えてきました。過去の感想ブログにも、そういったニュアンスの事は所々に書いてあったと思います。

奏のこの台詞は、まさにこの3点を突いたセリフのような気がします。そしてこの3点は、恐らく久美子の発想にはあまりなかった考えなんじゃないかと思います(特に1つめと3つめ)。自分にとってこの3点は、吹奏楽に限らず、合唱や管弦楽でも当てはまる、音楽における普遍的で基本的な考えだと思っているので、久美子がこの3点の発想がない事をずっと不思議に思いながら最終楽章前編まで読んでいました。そこを奏がズバっと突いてきたので、ちょっと感動すら覚えました。
この時点では、久美子は奏のこの台詞を充分には受け入れられずにいるようですが、終盤にかけて「音楽への考え方は百人百様」という結論を得るにあたって重要なシーンだったように思います。
因みに、奏は「3年生に一人ずつソロをやらせて華を持たそうとしたのでは」と言っていますが、自分はそれはないかなと思います。ただ、滝先生自身が実力主義を謳っているので「実力が伯仲している真由も選んでおかないと、完全実力主義に疑念が生じるのではないか」というバイアスが無意識にかかっていた可能性はあります。





  • 奏が「滝先生への盲信」を指摘が、少し後の麗奈との風呂場のシーンへとダイレクトに繋がる
上記と同じシーンで、奏はこのように指摘しています。
「先輩方はどうにも滝先生を盲信されているようですが、滝先生が言ったからって理由で、自分で考えることを放棄するのは変だと私は思いますけどね」
久美子はこれを否定しますが、その後に麗奈とお風呂に入るシーンで、麗奈は久美子にこんな事を言います。
「アタシは、滝先生を信じる。何があっても、先生の選択ならそれに従う。先生はアタシらを思っていろいろとやってくれてるねんから、もしもそれで納得いかない結果になったとしてもそれはアタシたちの努力不足のせいであって、滝先生のせいじゃないでしょ」
これに対し、久美子は内心で盲信とどう違うのかと考えます。
この2つのシーンが近い場所に配置されている事に意味があります。麗奈は1巻の時から一貫して、コンクールで良い賞を獲る事が吹奏楽をやる目的になっていますが、特にドラムメジャーに就いた時からどんどん先鋭化していく様に描かれています。このシーンも、そんな描写の一つなんですが、この2つのシーンを近くに置く事で、麗奈の今の状態と、久美子との考え方の差異がより鮮明になるような仕組みになっています。
このシーンから、久美子が麗奈と仲違いするシーンに繋がっていきます。





  • 森本さん、まさかの「ホルンの三年生」表記・・・。
パーリー会議で発言してる「ホルンの三年生」って、間違いなく森本さんですよね?アンコン編でサブキャラ昇格に歓喜したのもつかの間、アンコン編でもあまり活躍がなく、最終楽章ではついに名前も呼ばれなくなってしまいました・・・。





  • 麗奈の強硬姿勢が極致に達したと感じたセリフと、ずっと待ち望んでいた久美子のセリフ
感想ブログで繰り返し書いている通り、アンコン編から最終楽章にかけて麗奈の先鋭化・強硬姿勢がどんどん進んでいく訳ですが、リーダー会議の際の麗奈の発言は、まさにその極致だなと思います。
ホルンの三年生(多分森本さん):この前のオーディションでAから落ちた子が完全にへそ曲げてるんやけど、どうやってフォローしたらいいと思う?

「そんなやつ、放置でいいでしょ。やらない子は勝手にさせとけばいい」

ホルンの三年生:なんか、部内の空気が重いからこっちもいろいろとやりにくいところはあるねんなぁ

「やりにくいっていうより、馴れ合いを辞めただけでしょ。このくらい緊張感のあるほうがいい。現に、去年よりも曲の完成度は上がってる」
「強豪校と戦っても、絶対に勝てるところまで持っていこう。アタシらがいま考えるべきことはそれだけでしょう?」
(一部抜粋)
武田先生は最終楽章のテーマの1つに「何のために吹奏楽をやるのか、コンクールで勝つことがすべてなのか」という事を掘り下げたと仰っていました。そのテーマを掘り下げる場合、「音楽は競技である。コンクールで良い賞を獲る事こそが活動の目的である」という考えの最右翼である麗奈の存在を際立たせる必要があります。そしてそこには、「去年、協調性を重視した結果関西止まりだった」「歯止めをかける上級生が居なくなった」「先導する役職についた」という必然性が盛り込まれているので、極めて自然な形で麗奈がどんどん先鋭化し、どんどん強硬になっていきます。さらに、最後のセリフのあと
力強い麗奈の言葉に、部員たちが口々に賛同する。
とあります。事実、曲の完成度が去年より上がり、府大会も突破しているという実績が目の前にあるので、「他の何を賭してでも全国大会で金賞を獲る」という空気に部内全体が飲み込まれていく様子が分かります。と同時に、ホルンの三年生(森本さん)は、「やりにくいところがある」と告げた後
彼女は苦笑じみた表情を浮かべる。寄越された視線には、何かしらの含みが込められていた。
という記述があります。森本さんは、この「腐ってる奴なんか放っておけ、全ては全国金賞の為に行動せよ」という部内の空気に居心地の悪さを感じているはずで、恐らくは「口々に賛同する」部員の中に、森本さんは含まれていなかったと思います。全国金賞に向けて突き進む北宇治にあって、その空気にモヤモヤを抱える部員も居ることが示唆されています。
吹奏楽部員の心持ちは、千差万別・百人百様」という事は、1巻からブレることなく描かれていますが、このシーンでは、最終楽章前編から少しずつ違いが見えてきた久美子と麗奈の音楽に対する考えを、久美子はここでハッキリ認識します。
戦うって不思議な表現だ。音楽に勝ち負けなんて、本当はないはずなのに。
久美子は今まで麗奈や滝先生(あるいは中学時代の藤城先生)の影響を受けて、一貫してコンクールの結果重視の考えでした。だから、麗奈と音楽や部活動自体に対して考えに齟齬が生まれる事がありませんでした。ところが、部長に就任し、今までと違う角度で部活を見るようになってから、徐々に麗奈との考えの齟齬が表れ始めます。それは「コンクールで良い賞を獲る事が全てなのか」という事に、久美子が立ち止まって考え始めたからです。麗奈は一貫して「コンクールで良い賞を獲る事が全てだ」という考えなので、久美子にその変化があれば、齟齬が生まれるのは当然です。
さらに、「音楽に勝ち負けなんて、本当はないはずなのに」という一文は、"その1"で紹介した上野耕平先生の言葉の、まさにど真ん中です。
自分は上野先生のこのツイートに強く共感しています。

https://twitter.com/KoheiUeno710/status/906847813622837248?s=20

自分の中で「音楽は競技ではない」という考えは、絶対に揺るぎません。なので、この一文が久美子の心情として出てきた時には、「私はあなたのその台詞を待ち望んていた!」という感じで、嬉しく思ったりしました。






  • 1年生の頃と比べて成長が垣間見える葉月と、1年生の頃から意見がブレない緑輝
夕方、久美子・麗奈・葉月・緑輝の4人で下校するシーン。1年生の頃に麗奈と香織先輩のどちらがソロを吹くべきかで葉月と緑輝が言い争っていたシーンと似たようなシチュエーションが発生します。ここに、葉月の成長をヒシヒシと感じる事ができます。
「それにしても、今年の滝先生はなんか妙やなぁ」
「もう少しワンマンやった気がするねんなぁ。生徒の意見を尊重するとか言うてる割に自分のやりたいことやっとるやんけって思うこともあったんやけど、最近そういうの全然なくて」
過去の感想ブログで「滝先生は『生徒の自主性を重んじる』と言ってはいるけど、重要な部分は全部自分で決めていたが、アンコンの辺りから段々部員達に裁量を与えだしている」という事を書きましたが、まさしく同じような事を葉月も感じていたという事です。
ここから先の葉月は「ギスギス覚悟で大会毎にオーディションをすることにした訳だから、部のまとまりを優先するのはおかしい」と言ったりしているので、基本的には1年生の時とスタンスは同じです。ただ、3年生になって葉月の内面の成長を感じる場面があります。
「真由はなにもおかしい事をしてないのだから胸を張るべきだ」と言った後に久美子にその話を振ります。
「だいたい、あの子はあの子で遠慮しすぎやねん。なぁ、久美子もそう思わん?」

久美子:確かに、前々から真由ちゃんの遠慮ぐせには困ってるよ。オーディション辞退しようかって平気で言ってくるし

「でも、それを久美子はちゃんと断ってるワケや」

久美子:当たり前じゃん

「じゃ、久美子も久美子で胸を張ってええわな」
そう言って葉月は久美子の肩を抱きます。「もー!葉月ったらどんだけ男前なん!?」と初見時には軽く悶えましたww
オーディション辞退の是非はともかく、段階を踏んだ論法で「どっちも悪い事してないんだから胸を張れ」と言える葉月は、1年生の時から間違いなく内面的な成長を遂げていると思います。
一方の緑輝は、「コンクールで良い賞を獲る事より大事な事があるはずだ」という意見が3年間全くブレません。
「これはめちゃくちゃ個人的な意見やねんけど。緑はね、やっぱり久美子ちゃんがソリを吹くのがいちばんええと思うねん」
「どっち派ってことはないんやけど、部のことを考えたらそうかなって。真由ちゃんと久美子ちゃんも演奏の実力って、ぶっちゃけ同じくらいで、あとは好みの問題やと思うねんな?」
麗奈と香織先輩の時にも、「確かに全国行くつもりなら麗奈をソロにした方がいいけど、麗奈より劣るって言ったって香織先輩だって充分上手い。実力だけで決めてしまうのはなんだか悲しい」と言っていました。今回は久美子と真由の実力差は拮抗していて、かつ2人とも3年生、しかも真由はソロを吹きたがっていないとなれば、緑輝の意見が「久美子が吹くべき」になるのは当然です。
「たいして変わりがないなら、久美子ちゃんが吹いたほうが部のまとまりはよくなると思う。せっかくの部活なんやったら、楽しいほうがいいやんか。ギスギスしすぎると脱落者が出るよ。間違いなく」

葉月:それを覚悟でこの方式なんやろ?部をまとめることのほうが優先されるのはおかしいやん

「だから、そもそもの話、滝先生が上手くやってたらこんな問題も起こらへんかったのにねって話やんか」
(一部抜粋)
緑輝の一貫性がよくわかります。「せっかくの部活なんだかから、楽しい方がいい」というのは、シンプルであるがゆえに全国大会を目指して先鋭化し過ぎると見えなくなりがちな事だと思います。特に北宇治は、先程のリーダー会議で書かれたように、部内の空気がどんどん先鋭化していく中で、緑輝のような演奏技量でも一目置かれる部員がこのような意見を持っているというのは、部内のバランスを取る上で非常に意味のある事だと思います。ただ、残念ながら久美子は、(言い方は悪いですが)部長として緑輝を上手く使う事が出来なかったように思います。緑輝の動かし方次第で、この問題はもっと上手な収まり方ができたように思います。

この時、緑輝と真っ向から意見が対立しているはずの麗奈が、ただ黙って地面を睨み続けている事については、次の項に書きます。






  • 緑輝にぶつけられなかった気持ちを久美子にぶつける麗奈の、溢れ出る人間関係不得手さ
久美子と麗奈が衝突するシーンの冒頭は、麗奈の人間関係の不得手さが溢れ出ています。
「久美子もさ、滝先生がおかしいと思う?」
紡がれた言葉は、先ほどの会話の続きだった。とっさに反応できず、久美子はつい口ごもる。
「思うんや」
苛立ちをぶつけるように、麗奈は踵を堤防にぶつける。間違えた、と久美子は思った。彼女が現状に対して腹立たしく感じていることは、前々から察していたのに。
麗奈が「久美子"も"」と言っている所と、久美子が「先ほどの会話の続きだった」と察している所がポイントです。前者は、セリフの前に『緑ちゃんが言ってたように』という言葉が付きます。後者は、葉月と緑輝との会話からの流れで麗奈がセリフを発している事を意味します。
前項で書いた通り、最初に「今年の滝先生は妙だ」と言い出したのは葉月ではありますが、「久美子がソリを吹くべきだった」「せっかくの部活なんだから楽しい方がいい」「そもそも滝先生が上手くやっていればこんな問題は起こらなかった」等、明らかに麗奈と相反する意見を言っていたのは緑輝でした。しかし緑輝には直接の反論をせず、2人が居なくなってから、その苛立ちを久美子にぶつけています。
例えば、合宿中に裏で滝先生にグチグチ言っていた後輩部員や、副部長である秀一には、麗奈は自分が違うと思った事に対してはその場で堂々と反論しました。なぜ緑輝には反論しなかったのか。恐らくは「緑輝が自分と同じ3年生」「部内でも最上位クラスに位置しているほどの演奏技量を持っている」という2点があるのだろうと思います。
麗奈はこの後の秀一と揉めるシーンで
「アタシくらい実力がある人間が文句言うなら納得できる」
と言っています。しかし、こうして「アタシくらい実力がある」緑輝が、滝先生のやり方に疑問を呈し、自分と相反する意見を出した時に、麗奈はじっと地面を睨み続け、本人が居なくなった後に、自分にとって最も距離の近い友人である久美子に、その気持ちをぶつけている訳です。
後輩部員の3人や秀一は、自分より格下なので自分の意見を直で言う(まぁ、後輩部員に関しては明らかな"愚痴"なので、ちょっとニュアンスが違いますが)。緑輝は、自分より格下ではないので自分の意見を直で言えない。でも久美子は、自分にとって懐に深く入っている唯一に近い友人なので遠慮なく意見をぶつけられる。
という心理が、麗奈には働いているように思います。このあたりが、芯が強いと思われている麗奈の、人間関係の不得手さが表れているように思います。最終楽章前編で麗奈は「友達関係は自分だけではどうする事もできない」と言っていましたが、麗奈はこのシーンで、まさにその壁にぶち当たっています。







  • 麗奈は「滝先生を全肯定する事が正解。さもなくば不正解」という発想なので、そもそも久美子と論争が噛み合ってない。それは終盤の和解シーンに生きてくる。
麗奈と久美子の口論のシーンは、「正しい・間違ってる」に視野が全振りしている麗奈と、その位置から視野が外れ始めている久美子の意見の相違によるものです。
「最近、部の空気がおかしい。滝先生がおかしいとかありえへんやんか。久美子もさ、部長やったらちゃんとしてよ」
「ちゃんとしてって、どういうこと?今回の問題が起こったのは、私が部長として足りないところがあるからって言いたいの?」
「そういう事じゃなくて、顧問を信じないなんてありえないって話。指揮者の意見は音楽を作るうえで大前提やんか。それを疑ったら、全部が崩れる」
「信じてないわけじゃない。ただ,今年は滝先生の判断が違うことも多いねって話だよ」
「アタシはそうは思わんけど」
「(前略)滝先生の意図はわかるよ。でも、わかったうえで納得できないこともあるでしょ?そうやって顧問の判断に疑問を持つことって、そんなに変?」
(一部抜粋)
「滝先生は100%正解なので、滝先生を全肯定でなければ不正解」という思考の麗奈と、滝先生の方針に対して全肯定・全否定の考えでなくなっている久美子という対比が鮮明なシーンです。
麗奈の「顧問を信じないなんてありえない。指揮者の意見は音楽を作るうえで大前提で、それを疑う余地はない」という台詞は、正直どうなんだろうと思います。
実情の高校の部活動レベルでは、音楽を作る上で指揮者(=指導者)の意見というのは大きなウエイトを占めるのだろうとは思います。ただ、「大前提」とまで言ってしまうと、奏者側が音楽を作る作業が出来る余地が無くなってしまうと思うのです。例え学生バンドでも、奏者が主体的に音楽の構築に参加できる状態でないと、奏者がただの「指揮者が音楽を作る為の部品」になってしまうと思うのです。アンコン編の感想ブログに「北宇治の音楽活動は、滝先生の思い描く音楽を部員が如何に再現するかという作業になっている」というような事を書きましたが、正に麗奈のセリフがそれを言い当てています。そしてこの点が、翌日朝の滝先生と久美子の会話のシーンに繋がっていく訳です。
麗奈は言葉を続けます。
「少しの差で結果が出るようになったのは、北宇治の層が厚くなった証拠やんか」
「だいたい、そういうことに対する不満って、結局はひがみみたいなもんでしょ?本当に圧倒的な実力があれば絶対にオーディションで落ちることなんてない。本人の努力不足を滝先生のせいにせんといて」
久美子はいつだって、そうした麗奈の頑なさを好ましく思っていた。自分の主張を曲げず、ただひたすらに正しいと信じた道を行く。だが、麗奈にとっての正しさが、久美子にとっての正しさとイコールになるとは限らない。
(一部抜粋)
「努力不足を滝先生のせいにするな」という点に関しては、まぁ一理あるかもとは思いますが、この台詞もやはり「滝先生は100%正しい」という発想に基づいています。そしてここで、ようやく久美子が麗奈の影響下から外れている事を自覚します。
第二楽章の感想ブログにも書きましたが、2年生までの久美子は、音楽観や吹奏楽部のありように関しては、そのほとんどが滝先生と麗奈の影響下にありました。久美子が「これが自分の音楽観だ」と思うような事は、その実ほとんどが麗奈や滝先生の考えそのものでした。特に麗奈からの影響は強力だったと思います。
それが、アンコン編辺りから徐々に久美子の中に"自発的な音楽観"が芽生え始め、それに比例して麗奈との考えのズレが出てきていました。そのズレが、久美子の中で「麗奈にとっての正しさが、久美子にとっての正しさとイコールになるとは限らない」という結論に達する訳です。
久美子は反論します。
「麗奈はいつもそういうけど、その実力って結局周りと比べてどうかってことでしょう?香織先輩だって上手だった。麗奈はそれよりも上手かった。でも、麗奈がこの学校に入ってこなかったら、香織先輩は周りに比べて圧倒的な実力がある人だったはずだよ」
「それは・・・久美子は、アタシが北宇治に来たのが間違いだったって言いたいの?」
(一部抜粋)
久美子が引き合いに出したのが、ちょっと麗奈を刺激し過ぎる事例だったにせよ、この時点で久美子と麗奈の話が噛み合ってないのが良く分かります。
久美子は「演奏技量の良し悪しは相対的なもんだ」と言っているのですが、久美子にほぼ初めて音楽の事で自分の意見を強く反発されて感情的になった麗奈の中で「お前が北宇治に来たのが間違いだった」に変換されてしまっています。これも、麗奈の価値観が「正しい・間違っている」に全振りしているが故の事です。
当然久美子は反論します。
「そうじゃない。麗奈は上手いよ。すごく上手い、圧倒的に。才能もあって、努力してる。麗奈は正しい。けど、私は麗奈の当たり前を、ほかの子に求めることはできない。みんな、それぞれの環境で努力してるんだよ。それを努力不足のひと言で片づけるのは、あまりに残酷すぎると思う」
「意味わからん。みんな、努力して全国行くために北宇治に来てるんやんか。いまさらそんなん言う方がおかしいわ。久美子は、北宇治の部長やねんで」
麗奈の言い分を要約すると
「全国大会で金賞を取るにはこのくらい当たり前の努力量なのに、それを下回る演奏技量の部員は当たり前の努力が不足しているに過ぎない。なのに、それを努力不足と判定する事の何が残酷なのかが理解できない」
という事なので、麗奈は「意味わからん」と言う訳です。
アンコン編の感想ブログで、「麗奈は演奏技量が至らない原因を"努力不足"としか判定できない」と書きました。最終楽章前編では「『麗奈にとっての普通が、久美子を始めとした他の人にとっては全く普通じゃない』というシーンが随所に描かれている」と書きました。その2つの要素が、このシーンに凝縮されています。
久美子は最後にこう言います。
「だからこそ、部員の声を完全に握り潰すことはできないよ。」
「それに、私は今回の件に関して、滝先生を全面的に信じることはできない」
「本気?」
「本気だよ」
「だったら、部長失格やな」
(一部抜粋)
久美子の「部長でありからこそ、部員の誰一人として見捨てることはしたくない」という気持ちと、「関西大会でソロが吹けなくて悔しい」という気持ちが綯い交ぜになったセリフです。
久美子は「全面的に信じることはできない」と言っています。つまり、全肯定できないと言っているだけで、「滝先生は間違っている」なんて言ってないのですが、前述の通り麗奈は「滝先生を100%信任する事が正しい」という発想なので「全肯定できない」と言った久美子の発言を、麗奈の中で「不正解」と判定し、ゆえに「部長失格」と言ってしまうわけです。
振り替えって考えれば、葉月も緑輝も、セリフをよく読むと「滝先生を全肯定できない」というニュアンスです。このシーンの久美子も同様です。が、麗奈は「滝先生は間違ってない」という事しか反論していません。深く読んでいくと、いかに会話が噛み合ってないかが良く分かります。

この、麗奈の頑固一徹で視野が狭い状態が強く押し出されているこのシーンがあるからこそ、のちの和解シーンでの麗奈の小さな成長が、読者に伝わりやすくなるような仕組みになっていますが、それは後程。










ここで一旦区切ります。もはや、いつ書き終わるのか分からないほどの遅筆具合ですが、間違いなく書き上げる所存ですので、もし覚えていて下さる方がいらっしゃれば、その3も読んで頂けたら嬉しいです。



それでは、その3に続きます。