【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 最終楽章 後編」の感想など その3

2019年の6/22に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 後編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
その3です。

なんと2021年になってしまいました。
2月には「飛び立つ君の背を見上げる」の発売が発表されているにも関わらず、
今更最終楽章後編の感想ブログを書いているという体たらくでございます。
それでも待ってて下さる方が居ると信じて、その3を上げさせて頂きます。














以下ネタバレ注意です!
(2年前に刊行された小説に対してネタバレも何もないだろって感じですが…)





















  • 滝先生が「コンクールに特化した音楽が実在するか怪しい」「私はコンクールに照準を合わせる能力はある」「いい音楽は何かを自分で考える事は素晴らしい」と立て続けに言ったのは、自身に言い聞かせつつ、久美子に自立を促しているように感じる
麗奈とケンカをした翌日、久美子は1人で朝練に向かう訳ですが、そこで久美子は滝先生に、ユーフォを2本にしてチューバを4本にした理由を聞きます。滝先生は当然「強弱の幅を広げる為に低音の厚みを増やした」と答えます。久美子はすかさず問いかけます。
「それは本当に、滝先生の作りたい音楽なんですか?」
久美子の問いかけに、滝は目を見開いた。
「さすが部長ですね。非常に答えにくい質問ですが、尋ねてくれたこと自体はうれしく思います」
「あの、それは答えになってないと思います」
四月の段階で、久美子たちはひとつのルールを取り決めた。全国大会金賞を目指す、それが北宇治の絶対だ。
(一部抜粋)
「滝先生の作りたい音楽なのか?」というセリフに「コンクールで良い賞を獲る事が目的」という事に違和感を覚えはじめている事がうかがえます。
年度の初めに「全国大会で金賞を獲る為に厳しい練習を課す」と「コンクールの結果は軽視で思い出作り程度に音楽をやる」の2択を部員に選択させる訳ですが、そもそも論として、本来ここが二元論になっている事がおかしいと思うのです。だからこそ、"例年通り"前者を"自ら選択"した久美子を始めとした北宇治の部員達、ひいては滝先生本人でさえ、その歪みに苦しんでいるように思います。過去2年は、堕落した部内の変化で上がった情熱によって覆いかぶさっていた部分が、ここにきて表面化したとも言えます。
最後の一文で、「全国大会金賞を目指すのが絶対だ」とまで言っているほど、これまでの久美子は「全国大会金賞」を獲得する事に取り憑かれていました。
しかし、久美子の中に芽生えてきた「全国大会金賞獲得が目的」という事への疑問や違和感が、次のセリフに表れます。
「滝先生は、本当はコンクールに特化した音楽は好みじゃないんじゃないですか?」
「それを好き嫌いで判断するのはナンセンスですよ。特化させることが悪だとは思いませんし、そもそも特化した音楽なるものが本当に存在するのかも怪しい。どの学校も、自分たちがいいと信じるものを作り上げている。そうじゃないですか?」
この滝先生のセリフは、コンクールに参加するに当たってこれ以上ないほど的を射た答えだと思います。「コンクールに特化した音楽が存在するかも怪しい。だから、自分たちにとっての"良い音楽"を作る」というのは、「そこにあるのは良い評価ではなく良い音楽」という考えがあるように思います。
しかし次に滝先生は、少し引っ掛かるセリフを述べます。
「確かに、私は一般的な吹奏楽部顧問よりも結果を出すのが得意かもしれません。それをコンクールに迎合している、と言われたらそれまでですが。私にはそうした方向に音楽の照準を合わせる能力がありますし、皆さんにも私が求める基準を満たすだけの力がある。皆さんの音楽が上達していくのを聞くのは好きですし、それに結果がついてくればもっと喜ばしい。違いますか?」
「音楽が上達~結果がついてくれば~」のくだりに関しては、先ほど言った「良い評価ではなく良い音楽」という考えに通じます。結果よりも音楽ありきという考えだからこそのセリフです。
ただ「私にはコンクールで結果が出る音楽に照準を合わせる能力があって、皆さんには私が求める基準を満たす能力がある」という点だけが、このシーンで妙に浮いています。
アンコン編の感想ブログに「コンクールでは滝先生の思い描く音楽を部員が如何に再現するかという作業をしていた」と書きましたが、まさに滝先生のこのセリフがこの部分を指しています。前のセリフでは"良いと信じる音楽を作り上げる"の主語は"自分たち"だったはずですが、このセリフを額面通りに受け取るならば「"正解の音楽"が滝先生の中にあって、部員達はその"正解の音楽"に向かって演奏する」という事になります。
滝先生がなぜこのような事を言ったのか、次に続くセリフから考えてみたいと思います。
「すみません、失礼なことを言いました」
「失礼だとは感じていませんよ。むしろいい兆候だと思います。学生のうちはどうしても他者の評価に固執しがちですが、黄前さんは音楽の本質に向き合おうとしている。私が求める音楽がどのようなものなのかを探ろうと試み、いい音楽とは何かを自分の頭で考えている。それは本当に素晴らしいことだと思います」
ここでも「私が求める音楽がどのようなものなのかを探ろうと試み」と「いい音楽とは何かを自分の頭で考えている」という、反するようなことを続けて言っています。
これは、一つには滝先生本人の迷いもあるのかと思います。ただ、もう一つ勘繰ってみると、もしかしたら滝先生は、自分自身に"吹奏楽部顧問として全国大会金賞に導くんだ"と言い聞かせていると同時に、久美子に音楽的感性の自立を促しているのかもしれないと思いました。
前者については、学生時代には、部活の指導ばかりで自分に目を向けてくれなかった父親への反感や、音大時代のオケの経験などから、全国大会金賞を"目的"にする事に強い抵抗感がある中で、それでも亡き妻の遺志と部員たちの情熱を汲んで、何とか"目標"として全国大会金賞に向くんだと自分に言い聞かせているのかもしれません。
後者については、現状が「滝先生の思い描く音楽を部員が如何に再現するかという作業」になっていることを認めつつ、久美子にそこに気付いて欲しい、そして、そこから久美子の中の自主的な音楽的感性を育んで欲しいという願いがあるのかもしれないと思います。

ここの項をどういう視点で書くか、正直かなり迷いました。そもそも指揮者は、そのバンドの音楽を俯瞰で見て指示を出すという性質上「指揮者が音楽の方向性を示し、奏者がそれに従う」というのは、ある程度は当然のことです。しかもそれが、指揮者が音大卒の音楽教員で、奏者が吹奏楽部の学生という立場を考えれば尚更。
ただ、「音楽を作るのは指揮者・指導者で、奏者(部員)はその音楽を構成する要員」というような、嫌な言い方をすれば「部員は、指導者の思い描く音楽を作り上げる為の部品」みたいな状態が望ましいとはどうしても思えないのです。
北宇治は、少なくとも久美子3年生の府大会辺りまではそのような状態でした。ここから終盤に向けての流れを読むと、おそらく武田先生も多少なりとはそこを意識されたのではないかと思います。










  • 麗奈との喧嘩と滝先生との質問シーンの後に、奏に「衝突の許されない関係はいびつだ」と言わせる事でより分かりやすく、そして後の奏自身の発言にも関わってくる
滝先生とのシーンの後、一人で朝練をする久美子の元に4人の後輩が同じく朝練の為に音楽室に表れます。一人で練習をしている久美子に対して奏が言葉をかけます。
「高坂先輩と喧嘩されたのでしょう?」
「なんでそう思うの?」
「久美子先輩が理由もなく一人で朝練に参加するのは珍しいので。私はいいと思いますよ。喧嘩するのは人間関係が健全な証です」
「なにその理論」
「衝突の許されない関係はいびつですよ。相手を神様とでも感じていれば、逆らおうと思うことすらないでしょうけど」
語尾ににじむ揶揄めいた響き。彼女が言う関係とは、誰と誰のことを指しているのだろうか。世間一般の話か、滝と部員か。それとも、麗奈と久美子のことか。
このセリフを言わせるなら、後輩の中では奏しかいないでしょう。
今までの物語(つまり久美子の視点)で、その意見が否定的に語られる事がなかった滝先生と麗奈に対して、最終楽章では初めて久美子からそういう視線が向けられました。そんな事を知ってか知らずか「衝突の許されない関係はいびつだ」という言葉を久美子に投げかけます。奏は「3年生は滝先生を神格化し過ぎている」と指摘していましたし、久美子と麗奈の普段のやりとりも見ている中で久美子が麗奈を見上げる存在として認識している事を察知していたはずです。久美子は「一般論か、滝と部員か、麗奈と久美子か」と考えますが、恐らく奏は3つともを含んで言っているのでしょう。
久美子が麗奈と衝突し滝先生に疑問を投げかけた直後のシーンで奏が言った「相手を神様とでも思っているなら、衝突も起こらない」という言葉は、奏の口を借りて武田先生が久美子に伝えたかった事なのかなと思ったりしました。
因みに、この「相手を神様とでも思っているなら」という台詞は、この後奏自身にも降りかかってくるのですが、それは後述します。







  • 関西大会で曲の詳細な描写があった時点で「あ、これは関西止まりだ」と思ったら、全国出場でびっくりした
同じ事を思った方も多いはず。課題曲自由曲ともに、演奏の詳細な描写がなされた時点で「あー、これは関西止まりか・・・。残りのページは、その後のアレやコレやで物語が進んで行くんだな」と思いながら読んでいました。そしたら、全国大会が決まって、初見時には思わず「え?」と声が出てしまいました(笑)








  • 文化祭の曲目が相変わらず絶妙
「ディープパープルメドレー」は自分も大学時代に吹きましたねぇ。とにかく細かいダイナミクスを付けなくても勢いとパワーで押し切ってもどうにかなってしまう曲なので、ある意味楽です。その代わり体力を使いますが(笑)。文化祭の曲目にニューサウンズは必須ですね。
そして最後は「アフリカンシフォニー」。チューバにとっては「エル・クンバンチェロ」と双璧を成す地獄の曲です。曲中ずーっと酸欠との闘いです。1000mダッシュみたいな曲です。久美子は「合奏って楽しい」なんて言ってますが、自分はこの曲はもう吹きたくないです(苦笑)。








  • 久美子は樋口の言い分を概ね納得するのに真由は完全に拒絶するのは、対立軸の当事者だから
文化祭で樋口から求の件を聞かされた久美子は、求に断りなく色々と打ち明ける事に関しては諭すような事を言ったりしますが、基本的には樋口の気持ちを否定する事はしません。もちろん、後に求に北宇治に来た理由を打ち明けられるシーンでも、求の気持ちに納得を理解します。それは、対立軸が樋口×求なので、久美子はあくまで第三者だからです。
その証拠に、樋口との会話の直後にある真由とのシーンでは、久美子は「真由が間違った考えを曲げてくれない」というニュアンスを出します。
「私、やっぱり次のオーディションは辞退したほうがいいかと思って」
勘弁してくれ、と口から飛び出そうになった悲鳴をすんでのところで抑える。
「全国の舞台でソロを吹くのは久美子ちゃんでいいと思うんだ、私」
「真由ちゃん、なんでそんな事言うの?」
「なんでって、なんで?私、おかしな事言ってるかな」
心底わからないという顔で、真由が小首を傾げる。
「真由ちゃんは吹きたくないの?自分の気持ちに正直でいいんだよ?」
「私はいつも正直なんだけどな」
「またそんな事言って・・・」
これ以上何を言っても伝わらないだろう。
「この話はいまはナシにしよ。それより、文化祭を楽しまないと損だよ」
真由はいまだ納得いかない様子で唇を引き結んでいたが、久美子が背中を押すと、ためらいがちにうなずいた。真由は意外と頑固だ。久美子が嫌になるくらいに。
これは対立軸が久美子×真由で、久美子が当事者だからです。「真由は間違ってる」というニュアンスがあるという事は、逆に言えば「私の考えが正解」という事です。
第二楽章までは、対立軸に久美子が居る事があまりなかったので、久美子はいかにも「全体を客観視できる存在」として描かれてきましたが、いざ自分が対立軸の当事者になると、自分の主観に一気に引き込まれる様子が、この対比で非常に良く分かるようになっています。そしてこの後の展開によって、その側面がさらに際立つことになるのですが…、それは次の項で。
この辺から「相対する考えを持った複数人がいて、でもそれぞれに善悪の二元論で判定できない」というシーンが短期間で効果的に挟まってきます。







  • 緑輝の進路が決まった時の求の涙が羨ましい
自分が高校生の時、同じ楽器に1つ上の先輩がいませんでした。1つ下もいませんでした。
2つ上の先輩を慕ってはいましたが、ちょっとクセのある人でコミュニケーションの解き方に悩んだ時期もありました。
2つ下の後輩も、自分としては初めてできた直の後輩だったのでめちゃくちゃ可愛がったし、後輩も慕ってはくれてましたが如何せん一緒に過ごした時間が短すぎました。

なので、先輩が引退した後の事を思って涙を流せる求も、涙を流してくれる後輩がいる緑輝も、本当に羨ましいなと思うんです。緑輝と求に限らず、1巻からずっと低音パートの先輩後輩の関係が本当に羨ましいです。








  • 椅子を楽器にぶつけられたら、怒る気持ちも分かる
部内が殺気立っている様子を表す描写ですが、そうでなくても、自分の楽器に(故意ではないとはいえ)椅子の足をぶつけられたら、顔をしかめてしまう気持ちは良く分かります。
因みにうちの部では、楽器をぶつけてしまった時には「楽器に対する愛が足りない」とよく言われましたし、自分でも言ってました。今でも、楽器を何かにぶつけてしまった時には思わず叫んでしまう事があります(笑









  • 二年生部員の応援が、後の真由・奏のシーンにつながっていく
パート練習に向かう途中、久美子はすれ違う二年生部員に声をかけられます。
「久美子先輩、オーディション頑張ってくださいね」
「関西大会、部長のために頑張ったんです。私、ずっと応援してます」
久美子がいかに後輩に慕われてるかという場面ではありますが、このシーンを挟むことで真由が部内でどういう立場に置かれているかが逆説的に浮き彫りになります。ここは後の真由とのシーン、そして、真由の発言に怒りを露にする奏のシーンの布石になっていますので、それは後述。









  • 緑輝にすら悩みを打ち明けられない"強豪校の部長"久美子と、その様子を察する秀一
パート練習中に深くため息をつく久美子に、緑輝が近づきます。
「もーらい」
「何してるの?」
「久美子ちゃんから逃げた幸せを食べてるの」
「何それ」
「だって、久美子ちゃん、ため息ばっかりついてるんやもん。何か悩んでる?」
「悩みっていうか…」
このままでいいのかと思って。そう言いかけて、久美子は慌てて口を押さえた。部員が往来する場所で部長が話していい内容ではない。
「ま、なんとなーくって感じかな。ほら、オーディションも近いし。不安だなぁって」
ここで自分の中のモヤモヤを押し留めてしまう久美子は、「北宇治の部長はかくあるべき」みたいなのに囚われてしまっているように思います。これは部長に就任してからずっとそんな感じがあります。「ちょっと後で相談してもいい?」といえば、緑輝なら喜んで応じたでしょうし、かなり適切なアドバイスがあったんじゃないでしょうか。まぁとっさの事だったのでしょうがない事ではありますが…。
因みに、何が"ここままでいいのか"は、直後に示されます。
関西大会を経て、部員同士の結びつきはよくも悪くも強固となった。全国大会金賞。春に掲げた目標に、いまや限りなく近づいている。当然、部員同士が互いに求める演奏レベルは高くなり、結果として基準に満たない生徒たちは周囲から冷ややかな目で見られる。
緑輝のようにフォローが上手い部員がいるパートはいい。葉月のように学年差を抜きにして後輩と接することのできる部員がいるパートも、人間関係は円滑にまとまる。
問題なのは、あまりに厳しい縦社会ができあがってしまっているパートだ。
この文の直後に久美子は、全員がパート練に言っているトランペットの席を見るという、読み手にとってとても分かりやすい行動を取ります。この辺はパーリー会議で森本さんが「オーディションで落ちた部員をどうフォローアップしたらいいか」という相談を麗奈が「そんなの放置でいい。強豪校と戦っても勝てるところまで持っていく事だけを考えるべきだ」と一蹴し、他のパートリーダーが口々に賛同したシーンとも繋がります。バスパートだけでなく、ホルンもパート内のフォローアップがある程度うまくいっているのかもしれませんし、厳しい縦社会ができあがってしまっているパートはトランペットだけじゃないのかもしれません。

久美子の"とっさの誤魔化し"に気付いている緑輝は、こう切り返します。
「みんな久美子ちゃんのこと、応援してる。それでも不安?」
「応援してくれるのはありがたいんだけどね」
ただ、それを全面的に肯定できるはずがないことは、緑輝だってわかっているだろう。久美子を応援するという目的は部を団結させるのに役立ちはしているが、集団の輪から真由をじりじりと弾き出しつつもある。それではダメだと久美子も頭ではわかっているのだ。ただ、自分が何をすべきかがわからないだけで。
「うーん、緑、思うねんけど、久美子ちゃんが悩んでることって、どうすべきかじゃなくて、どうしたいかなんかもしれへんね。自分の気持ちにもう少し素直になってもいいと思うな」
「私はいっつも素直だよ。素直になりたくないときも素直になっちゃって、もっと上手くやれたらって申し訳なくなるくらい」
「ほんまに?」
ずい、と緑輝が顔を近づけてきた。困惑する自分の顔が、ダークブラウンの瞳のなかに閉じ込められている。反射的に目を逸らしたのは、完全に無意識の行為だった。
「本当だよ」
緑輝は何かを言いたそうに唇を軽く曲げていたが、気持ちを切り替えるように席から立ち上がった。
「そっか。ならいいや。」
このあと緑輝はにこやかに手を振りながらパート練に戻って行きます。
「オーディションが近いから不安だ」という咄嗟の小ウソに対して「みんなが応援してくれてるのに?」というのは、「久美子ちゃんの本当の不安の種はそれじゃないでしょ?」という緑輝の反語的問いかけなのですが、意図せず久美子に対して"自分が応援されている事で部員の団結が促されている一方、真由がその団結の輪から外されている"という状況を再認識させる事になっています。
このあと緑輝は、久美子の心の声であるはずの「自分が何をすべきかがわからない」が聞こえているかのように「その悩み事は、どうすべきかじゃなくて、どうしたいかなんじゃないか」と言います。この緑輝の発言によって、読者の視点が"久美子はそもそもどうしたいのか"に移っていきます。
久美子の「私はいつも素直だ」という発言が本心でない事は緑輝にも分かっているはずですが、緑輝はツッコみません。もし相手が久美子ではなく葉月だったら。もっとグイグイ行っていた気がしますが、久美子の「部長であるが故に大っぴらに言えない」という気持ちを察したという事なのでしょう。ここも個人的には時間を取ってもっと緑輝がツッコんでいれば色々変わった気がしますが、やむを得ないところでしょうか。

この様子を傍で見ていた秀一は、果たしてどういう気持ちだったのでしょうか。そして、誤魔化しついでに言った"明後日の幹部会議"においてあんな事が起こるなんて、久美子も秀一も、そして読者も、全く想像だにしていません。こういう小さな伏線も、複数回読まないとなかなか気付けないんじゃないかなと思います。武田先生は芸が細かいですね。






クライマックス前ですが、一旦区切ります。
一体何年越しで書いてるんだという感じですが(汗
おそらくは「飛び立つ君の背を見上げる」刊行前に書き上げるのは無理だと思いますが、なんとか今年中には書き終わりたいと思います。


それでは、その4に続きます。

【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 最終楽章 後編」の感想など その2



6/22に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 後編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
その2です。

ついに今年も終わるというのに、未だに「その2」までしか書けていない自分に驚きを隠せません。
最早読んで下さる方がいらっしゃるかも怪しいですが、もし良ければ、目を通して下さると嬉しいです。














以下ネタバレです!























  • 葉月が進路を決めた時に久美子が驚くシーンで、2人の微妙な心理的距離が見えてきて、中盤の「麗奈の海外留学を急に知らされる」シーンとも繋がってくる
久美子と葉月が2人になるシーンって、シリーズ通してみるとそんなに多くないんですよね。印象に残るのは、定演編で葉月が久美子に秀一と付き合ってるのに気付いて聞き出すシーンくらいかなと思います。
梨々花に誘われる形で大学イベントに参加し、葉月が唐突に保育系の短大に進学すると決心したシーンで、久美子は完全な初耳というリアクションを取ります。葉月が美知恵先生に保育系の進路を勧められた事も、それについて葉月が検討していた事も久美子は全く知らなかった訳です。
このシーンは、久美子が進路を決めかねている事と、葉月が進路を決心した事で久美子の焦りが加速する事が主題になっています。しかし、「この日まで葉月の進路について久美子が知らなかった」という点に着目すると、久美子と葉月の微妙な心理的距離というものが見えてきます。
久美子は部長の仕事に忙殺されているという事もあるんですが、クラスメートで、1年生からの友人で、パートも同じ葉月の進路の事を久美子が一切知らなかった事は色んな捉え方が出来ると思います。久美子が、葉月は演奏技量も学業も自分に劣ると(無意識にかもしれないながら)判断して、もしくは葉月を秀一に一度は恋心を寄せた人物として、やんわりと距離を取っていたのかもしれません。特に後者は、アンコン編で秀一と葉月がくっついてしまった時を想像して嫌悪したりしています。逆に、上記2つの理由のいずれかで、負い目を感じた葉月の方から距離を置いたのかもしれません。残念ながら物語上ではどれが理由なのかは分かりませんが。
そしてこの、「久美子が葉月の進路を急に知る」というシーンは、物語中盤の「麗奈が海外留学をするという事を急に知らされる」というシーンとリンクする気がします。元々久美子と微妙な距離感のある葉月とのこのシーンがある事で、「親友であるはずの麗奈とケンカをして心理的距離が生まれた状態だから、麗奈の海外留学という決断を急に知らされる」という事がより強調されてるのかなぁと思いました。






  • 進路に迷う久美子の周囲に明確なビジョンを持った人物がやたら多いのは、大学在学中にプロ作家デビューを果たした武田先生ならではの発想なのか
姉と進路の話をする久美子はこのように言います。
「自分だけが取り残されてるみたい。ほかの子はみんな自分のやりたいことが見つかってるのに。」
好きなことを仕事にしたい、と周りの友人たちは言う。未来に目を輝かせ、自分のなかからあふれ出る熱を形にすべく奮闘している。
「でも、私にはそれがない。人生を懸けたいと思うものなんて、まだ見つかってない」
(一部抜粋)
それに対し、久美子ママはこう返します。
「そんなの普通じゃない?」
「お母さんだって、いまの仕事を一生続けようと思って始めたわけじゃないし。好きなことを仕事にしている人って意外と少なかったりすると思うのよ。収入とか休日とか、そういう条件もあるだろうし」
自分には、久美子ママの台詞が本当にその通りだと思います。響けユーフォニアムの登場人物は、将来の夢を明確に持ってそれを叶える手段として進路を決定している生徒の比率がかなり多い印象があります。自分が高校3年生の頃、そんな人物は周りには一握りだったように思うのは「単に自分の周りだけがそうだった」とは思えないのですが、どうでしょうか。そんな状況下にある久美子が焦るのは無理もないです。
なぜそんな人物が久美子の周りに多いのかと言えば「作者が大学在学中にプロ作家デビューを果たした武田先生だから」というのが大きいんじゃないかなと推測しています。武田先生ご自身が、
"高校生時代に既に小説を書き始め、同志社大学文学部に進学し、1年生の時に早くも宝島社の新人賞に応募し、2年生でプロデビューを果たす"
という、正に「高校生の時点で自分のなりたい職業を具体的に設定し、その職に就く為の手段として文学部に進学し、在学中に出版社主催の新人賞に応募する」という、極めて明確な将来設計と、それを実現するための具体的な努力と行動をしておられます。そういった、作者自身の特性が、主人公の久美子を焦らせているとすれば、とても興味深いなと思いました。






  • ちえりちゃん、まさかの音大志望
めちゃくちゃ驚きました。アニメ版では、落ち込むちえりちゃんをちかおが励ましたという設定があります。立ち直らせるどころか、音大受験を志望する所まで進んだちえりちゃんと、背中を押したちかお。そう考えるとなんだか心が暖かくなります。




  • お風呂のシーンと関西大会ソロ交代時の席移動のシーンが、"奏者にとっての演奏技量"に対する久美子と真由の認識の違いが浮き彫りになる
物語終盤に、真由は裏表なく本当に「音楽においての優劣に執着がない」という事を久美子に伝える場面があるんですが(ここは後述します)、実はお風呂のシーンで真由は久美子に決定的なセリフを言っています。
「転校すると勘繰られたりするでしょ?転校したい理由があったのか、とか、特別な生い立ちがあるのか、とか。そんなの全然ないのにね。私は単純に、親の引っ越しについて回ってるだけだし、北宇治を選んだのだって吹奏楽部が楽しそうだったって理由なだけ。私はただ、いまを楽しもうとしてるだけなんだけどね」
ここで既に「いまを楽しもうとしてるだけ」とハッキリ言ってるんです。真由はとにかく、演奏技量の優劣に対して執着が無いんだという事を、真由なりに久美子に伝えようとしているのですが、久美子には「演奏技量の優劣に執着がない」という発想そのものが無いので、全く伝わりません。これが前編から何度も繰り返され、お風呂のシーンではついに「勘繰られるような裏側は何もない。いまを楽しもうとしてるだけ」とハッキリ明言するに至っている訳です。
「転校すると勘繰られたりするでしょ?」の部分も、"あの全国常連校たる清良女子からの転校生だ"という事で久美子(と読者)に勘繰られる真由という状況を言い当ててます。真由は清良からの転校生だという事によって「演奏技量の優劣に執着がない訳が無い」と読者にも"勘繰られている"状態だと言えます。
久美子と真由のやり取りは、前編から後編終盤に至るまでずーっと「土台部分から音楽に対する考えが違う」というやりとりの繰り返しな訳です。関西大会前のオーディションで真由がソロに選ばれ、首席奏者たる"指揮者に一番近い席"を久美子が真由に譲る譲らないのやりとりなどはまさにそうです。真由は「自分は演奏技量の優劣に執着がない。でも久美子はあるようだ。ならば、せめて首席奏者の位置だけでもそのままにしておくべきだろう」という発想で
「席、このままでいいからね。代わらなくて、いいから」
と言います。それはそれで、久美子の感情を逆撫でするという所まで考えが及ばないあたりが真由らしいです。
一方の久美子は「演奏技量に執着がない」なんて事は頭の片隅にもないので、
情けをかけられているのだ、自分は
と思う訳です。その結果
「前にも言ったでしょ?北宇治は実力順だって」
頑なに言い張ったのは、久美子の意地だ。
という事で半ば無理矢理真由を首席奏者の位置に座らせます。それはそれで、真由が他部員から白い目で見られまくる事で真由の肩身がどんどん狭くなるという事態を生む可能性があるのですが、この時点で久美子は精神的にかなりダメージを受けているのでそこまで考えが及びません。

このように、最終楽章において真由と久美子の関係は、裏に複雑な何かがありそうでいて、実は「音楽への考え方が根本から違う」事でのすれ違いの繰り返しという単純な構造だったという事が、改めて読み返してみると良く分かります。









  • 関西大会のオーディション終了後の奏の台詞は、実力主義・オーディション制の久美子があまり見えてなかった点をバッチリ付いている
合宿でのオーディション後の合奏を終え、真由から逃げるように広場に向かった久美子は、そこで奏と会い、二人で話をするシーン。奏は実に冷静に状況分析をします。
「上手な奏者が集まると逆に枠が少なくなることもある、ということです。チューバパートだって、一昨年は二人だけだったわけでしょう?それが四人ですよ、四人。」
「今回さつきと釜屋さんがAメンバーになったのは上手さという単純な比較ではなく、全体のバランスを重んじた結果です」

久美子:真由ちゃんのほうが上手だったんだって私は受け止めたけど

「久美子先輩と黒江先輩に大きな差があるならいざ知らず、二人の力量って好みの違い程度でしょう?少なくとも、私はそう思います。だったら、部長で、しかもずっとこの部のために働いている久美子先輩をソロにしたほうがよくないですか?部もそっちの方がまとまりますし」
自分は、「響けユーフォニアム」を読み進めるにあたって、

・大人数で音楽を構成する吹奏楽という音楽形態の性質上、編成バランスは非常に重要で、各楽器毎にオーディションを行う場合においても、当落が編成バランスに左右されるのは極めて自然。
・楽器の演奏技量(ひいては音楽そのもの)は、客観的な指標や数値を示す事が困難なので、余程の差が無い限りは、音楽を裁定する場合、審査員の主観に左右される。
・音楽において奏者の精神状態というのは演奏に直結するので、潔癖な実力主義より部員の精神状態維持を優先させる事も、良い音楽を作る上では考え方としてありうる。

という事を考えてきました。過去の感想ブログにも、そういったニュアンスの事は所々に書いてあったと思います。

奏のこの台詞は、まさにこの3点を突いたセリフのような気がします。そしてこの3点は、恐らく久美子の発想にはあまりなかった考えなんじゃないかと思います(特に1つめと3つめ)。自分にとってこの3点は、吹奏楽に限らず、合唱や管弦楽でも当てはまる、音楽における普遍的で基本的な考えだと思っているので、久美子がこの3点の発想がない事をずっと不思議に思いながら最終楽章前編まで読んでいました。そこを奏がズバっと突いてきたので、ちょっと感動すら覚えました。
この時点では、久美子は奏のこの台詞を充分には受け入れられずにいるようですが、終盤にかけて「音楽への考え方は百人百様」という結論を得るにあたって重要なシーンだったように思います。
因みに、奏は「3年生に一人ずつソロをやらせて華を持たそうとしたのでは」と言っていますが、自分はそれはないかなと思います。ただ、滝先生自身が実力主義を謳っているので「実力が伯仲している真由も選んでおかないと、完全実力主義に疑念が生じるのではないか」というバイアスが無意識にかかっていた可能性はあります。





  • 奏が「滝先生への盲信」を指摘が、少し後の麗奈との風呂場のシーンへとダイレクトに繋がる
上記と同じシーンで、奏はこのように指摘しています。
「先輩方はどうにも滝先生を盲信されているようですが、滝先生が言ったからって理由で、自分で考えることを放棄するのは変だと私は思いますけどね」
久美子はこれを否定しますが、その後に麗奈とお風呂に入るシーンで、麗奈は久美子にこんな事を言います。
「アタシは、滝先生を信じる。何があっても、先生の選択ならそれに従う。先生はアタシらを思っていろいろとやってくれてるねんから、もしもそれで納得いかない結果になったとしてもそれはアタシたちの努力不足のせいであって、滝先生のせいじゃないでしょ」
これに対し、久美子は内心で盲信とどう違うのかと考えます。
この2つのシーンが近い場所に配置されている事に意味があります。麗奈は1巻の時から一貫して、コンクールで良い賞を獲る事が吹奏楽をやる目的になっていますが、特にドラムメジャーに就いた時からどんどん先鋭化していく様に描かれています。このシーンも、そんな描写の一つなんですが、この2つのシーンを近くに置く事で、麗奈の今の状態と、久美子との考え方の差異がより鮮明になるような仕組みになっています。
このシーンから、久美子が麗奈と仲違いするシーンに繋がっていきます。





  • 森本さん、まさかの「ホルンの三年生」表記・・・。
パーリー会議で発言してる「ホルンの三年生」って、間違いなく森本さんですよね?アンコン編でサブキャラ昇格に歓喜したのもつかの間、アンコン編でもあまり活躍がなく、最終楽章ではついに名前も呼ばれなくなってしまいました・・・。





  • 麗奈の強硬姿勢が極致に達したと感じたセリフと、ずっと待ち望んでいた久美子のセリフ
感想ブログで繰り返し書いている通り、アンコン編から最終楽章にかけて麗奈の先鋭化・強硬姿勢がどんどん進んでいく訳ですが、リーダー会議の際の麗奈の発言は、まさにその極致だなと思います。
ホルンの三年生(多分森本さん):この前のオーディションでAから落ちた子が完全にへそ曲げてるんやけど、どうやってフォローしたらいいと思う?

「そんなやつ、放置でいいでしょ。やらない子は勝手にさせとけばいい」

ホルンの三年生:なんか、部内の空気が重いからこっちもいろいろとやりにくいところはあるねんなぁ

「やりにくいっていうより、馴れ合いを辞めただけでしょ。このくらい緊張感のあるほうがいい。現に、去年よりも曲の完成度は上がってる」
「強豪校と戦っても、絶対に勝てるところまで持っていこう。アタシらがいま考えるべきことはそれだけでしょう?」
(一部抜粋)
武田先生は最終楽章のテーマの1つに「何のために吹奏楽をやるのか、コンクールで勝つことがすべてなのか」という事を掘り下げたと仰っていました。そのテーマを掘り下げる場合、「音楽は競技である。コンクールで良い賞を獲る事こそが活動の目的である」という考えの最右翼である麗奈の存在を際立たせる必要があります。そしてそこには、「去年、協調性を重視した結果関西止まりだった」「歯止めをかける上級生が居なくなった」「先導する役職についた」という必然性が盛り込まれているので、極めて自然な形で麗奈がどんどん先鋭化し、どんどん強硬になっていきます。さらに、最後のセリフのあと
力強い麗奈の言葉に、部員たちが口々に賛同する。
とあります。事実、曲の完成度が去年より上がり、府大会も突破しているという実績が目の前にあるので、「他の何を賭してでも全国大会で金賞を獲る」という空気に部内全体が飲み込まれていく様子が分かります。と同時に、ホルンの三年生(森本さん)は、「やりにくいところがある」と告げた後
彼女は苦笑じみた表情を浮かべる。寄越された視線には、何かしらの含みが込められていた。
という記述があります。森本さんは、この「腐ってる奴なんか放っておけ、全ては全国金賞の為に行動せよ」という部内の空気に居心地の悪さを感じているはずで、恐らくは「口々に賛同する」部員の中に、森本さんは含まれていなかったと思います。全国金賞に向けて突き進む北宇治にあって、その空気にモヤモヤを抱える部員も居ることが示唆されています。
吹奏楽部員の心持ちは、千差万別・百人百様」という事は、1巻からブレることなく描かれていますが、このシーンでは、最終楽章前編から少しずつ違いが見えてきた久美子と麗奈の音楽に対する考えを、久美子はここでハッキリ認識します。
戦うって不思議な表現だ。音楽に勝ち負けなんて、本当はないはずなのに。
久美子は今まで麗奈や滝先生(あるいは中学時代の藤城先生)の影響を受けて、一貫してコンクールの結果重視の考えでした。だから、麗奈と音楽や部活動自体に対して考えに齟齬が生まれる事がありませんでした。ところが、部長に就任し、今までと違う角度で部活を見るようになってから、徐々に麗奈との考えの齟齬が表れ始めます。それは「コンクールで良い賞を獲る事が全てなのか」という事に、久美子が立ち止まって考え始めたからです。麗奈は一貫して「コンクールで良い賞を獲る事が全てだ」という考えなので、久美子にその変化があれば、齟齬が生まれるのは当然です。
さらに、「音楽に勝ち負けなんて、本当はないはずなのに」という一文は、"その1"で紹介した上野耕平先生の言葉の、まさにど真ん中です。
自分は上野先生のこのツイートに強く共感しています。

https://twitter.com/KoheiUeno710/status/906847813622837248?s=20

自分の中で「音楽は競技ではない」という考えは、絶対に揺るぎません。なので、この一文が久美子の心情として出てきた時には、「私はあなたのその台詞を待ち望んていた!」という感じで、嬉しく思ったりしました。






  • 1年生の頃と比べて成長が垣間見える葉月と、1年生の頃から意見がブレない緑輝
夕方、久美子・麗奈・葉月・緑輝の4人で下校するシーン。1年生の頃に麗奈と香織先輩のどちらがソロを吹くべきかで葉月と緑輝が言い争っていたシーンと似たようなシチュエーションが発生します。ここに、葉月の成長をヒシヒシと感じる事ができます。
「それにしても、今年の滝先生はなんか妙やなぁ」
「もう少しワンマンやった気がするねんなぁ。生徒の意見を尊重するとか言うてる割に自分のやりたいことやっとるやんけって思うこともあったんやけど、最近そういうの全然なくて」
過去の感想ブログで「滝先生は『生徒の自主性を重んじる』と言ってはいるけど、重要な部分は全部自分で決めていたが、アンコンの辺りから段々部員達に裁量を与えだしている」という事を書きましたが、まさしく同じような事を葉月も感じていたという事です。
ここから先の葉月は「ギスギス覚悟で大会毎にオーディションをすることにした訳だから、部のまとまりを優先するのはおかしい」と言ったりしているので、基本的には1年生の時とスタンスは同じです。ただ、3年生になって葉月の内面の成長を感じる場面があります。
「真由はなにもおかしい事をしてないのだから胸を張るべきだ」と言った後に久美子にその話を振ります。
「だいたい、あの子はあの子で遠慮しすぎやねん。なぁ、久美子もそう思わん?」

久美子:確かに、前々から真由ちゃんの遠慮ぐせには困ってるよ。オーディション辞退しようかって平気で言ってくるし

「でも、それを久美子はちゃんと断ってるワケや」

久美子:当たり前じゃん

「じゃ、久美子も久美子で胸を張ってええわな」
そう言って葉月は久美子の肩を抱きます。「もー!葉月ったらどんだけ男前なん!?」と初見時には軽く悶えましたww
オーディション辞退の是非はともかく、段階を踏んだ論法で「どっちも悪い事してないんだから胸を張れ」と言える葉月は、1年生の時から間違いなく内面的な成長を遂げていると思います。
一方の緑輝は、「コンクールで良い賞を獲る事より大事な事があるはずだ」という意見が3年間全くブレません。
「これはめちゃくちゃ個人的な意見やねんけど。緑はね、やっぱり久美子ちゃんがソリを吹くのがいちばんええと思うねん」
「どっち派ってことはないんやけど、部のことを考えたらそうかなって。真由ちゃんと久美子ちゃんも演奏の実力って、ぶっちゃけ同じくらいで、あとは好みの問題やと思うねんな?」
麗奈と香織先輩の時にも、「確かに全国行くつもりなら麗奈をソロにした方がいいけど、麗奈より劣るって言ったって香織先輩だって充分上手い。実力だけで決めてしまうのはなんだか悲しい」と言っていました。今回は久美子と真由の実力差は拮抗していて、かつ2人とも3年生、しかも真由はソロを吹きたがっていないとなれば、緑輝の意見が「久美子が吹くべき」になるのは当然です。
「たいして変わりがないなら、久美子ちゃんが吹いたほうが部のまとまりはよくなると思う。せっかくの部活なんやったら、楽しいほうがいいやんか。ギスギスしすぎると脱落者が出るよ。間違いなく」

葉月:それを覚悟でこの方式なんやろ?部をまとめることのほうが優先されるのはおかしいやん

「だから、そもそもの話、滝先生が上手くやってたらこんな問題も起こらへんかったのにねって話やんか」
(一部抜粋)
緑輝の一貫性がよくわかります。「せっかくの部活なんだかから、楽しい方がいい」というのは、シンプルであるがゆえに全国大会を目指して先鋭化し過ぎると見えなくなりがちな事だと思います。特に北宇治は、先程のリーダー会議で書かれたように、部内の空気がどんどん先鋭化していく中で、緑輝のような演奏技量でも一目置かれる部員がこのような意見を持っているというのは、部内のバランスを取る上で非常に意味のある事だと思います。ただ、残念ながら久美子は、(言い方は悪いですが)部長として緑輝を上手く使う事が出来なかったように思います。緑輝の動かし方次第で、この問題はもっと上手な収まり方ができたように思います。

この時、緑輝と真っ向から意見が対立しているはずの麗奈が、ただ黙って地面を睨み続けている事については、次の項に書きます。






  • 緑輝にぶつけられなかった気持ちを久美子にぶつける麗奈の、溢れ出る人間関係不得手さ
久美子と麗奈が衝突するシーンの冒頭は、麗奈の人間関係の不得手さが溢れ出ています。
「久美子もさ、滝先生がおかしいと思う?」
紡がれた言葉は、先ほどの会話の続きだった。とっさに反応できず、久美子はつい口ごもる。
「思うんや」
苛立ちをぶつけるように、麗奈は踵を堤防にぶつける。間違えた、と久美子は思った。彼女が現状に対して腹立たしく感じていることは、前々から察していたのに。
麗奈が「久美子"も"」と言っている所と、久美子が「先ほどの会話の続きだった」と察している所がポイントです。前者は、セリフの前に『緑ちゃんが言ってたように』という言葉が付きます。後者は、葉月と緑輝との会話からの流れで麗奈がセリフを発している事を意味します。
前項で書いた通り、最初に「今年の滝先生は妙だ」と言い出したのは葉月ではありますが、「久美子がソリを吹くべきだった」「せっかくの部活なんだから楽しい方がいい」「そもそも滝先生が上手くやっていればこんな問題は起こらなかった」等、明らかに麗奈と相反する意見を言っていたのは緑輝でした。しかし緑輝には直接の反論をせず、2人が居なくなってから、その苛立ちを久美子にぶつけています。
例えば、合宿中に裏で滝先生にグチグチ言っていた後輩部員や、副部長である秀一には、麗奈は自分が違うと思った事に対してはその場で堂々と反論しました。なぜ緑輝には反論しなかったのか。恐らくは「緑輝が自分と同じ3年生」「部内でも最上位クラスに位置しているほどの演奏技量を持っている」という2点があるのだろうと思います。
麗奈はこの後の秀一と揉めるシーンで
「アタシくらい実力がある人間が文句言うなら納得できる」
と言っています。しかし、こうして「アタシくらい実力がある」緑輝が、滝先生のやり方に疑問を呈し、自分と相反する意見を出した時に、麗奈はじっと地面を睨み続け、本人が居なくなった後に、自分にとって最も距離の近い友人である久美子に、その気持ちをぶつけている訳です。
後輩部員の3人や秀一は、自分より格下なので自分の意見を直で言う(まぁ、後輩部員に関しては明らかな"愚痴"なので、ちょっとニュアンスが違いますが)。緑輝は、自分より格下ではないので自分の意見を直で言えない。でも久美子は、自分にとって懐に深く入っている唯一に近い友人なので遠慮なく意見をぶつけられる。
という心理が、麗奈には働いているように思います。このあたりが、芯が強いと思われている麗奈の、人間関係の不得手さが表れているように思います。最終楽章前編で麗奈は「友達関係は自分だけではどうする事もできない」と言っていましたが、麗奈はこのシーンで、まさにその壁にぶち当たっています。







  • 麗奈は「滝先生を全肯定する事が正解。さもなくば不正解」という発想なので、そもそも久美子と論争が噛み合ってない。それは終盤の和解シーンに生きてくる。
麗奈と久美子の口論のシーンは、「正しい・間違ってる」に視野が全振りしている麗奈と、その位置から視野が外れ始めている久美子の意見の相違によるものです。
「最近、部の空気がおかしい。滝先生がおかしいとかありえへんやんか。久美子もさ、部長やったらちゃんとしてよ」
「ちゃんとしてって、どういうこと?今回の問題が起こったのは、私が部長として足りないところがあるからって言いたいの?」
「そういう事じゃなくて、顧問を信じないなんてありえないって話。指揮者の意見は音楽を作るうえで大前提やんか。それを疑ったら、全部が崩れる」
「信じてないわけじゃない。ただ,今年は滝先生の判断が違うことも多いねって話だよ」
「アタシはそうは思わんけど」
「(前略)滝先生の意図はわかるよ。でも、わかったうえで納得できないこともあるでしょ?そうやって顧問の判断に疑問を持つことって、そんなに変?」
(一部抜粋)
「滝先生は100%正解なので、滝先生を全肯定でなければ不正解」という思考の麗奈と、滝先生の方針に対して全肯定・全否定の考えでなくなっている久美子という対比が鮮明なシーンです。
麗奈の「顧問を信じないなんてありえない。指揮者の意見は音楽を作るうえで大前提で、それを疑う余地はない」という台詞は、正直どうなんだろうと思います。
実情の高校の部活動レベルでは、音楽を作る上で指揮者(=指導者)の意見というのは大きなウエイトを占めるのだろうとは思います。ただ、「大前提」とまで言ってしまうと、奏者側が音楽を作る作業が出来る余地が無くなってしまうと思うのです。例え学生バンドでも、奏者が主体的に音楽の構築に参加できる状態でないと、奏者がただの「指揮者が音楽を作る為の部品」になってしまうと思うのです。アンコン編の感想ブログに「北宇治の音楽活動は、滝先生の思い描く音楽を部員が如何に再現するかという作業になっている」というような事を書きましたが、正に麗奈のセリフがそれを言い当てています。そしてこの点が、翌日朝の滝先生と久美子の会話のシーンに繋がっていく訳です。
麗奈は言葉を続けます。
「少しの差で結果が出るようになったのは、北宇治の層が厚くなった証拠やんか」
「だいたい、そういうことに対する不満って、結局はひがみみたいなもんでしょ?本当に圧倒的な実力があれば絶対にオーディションで落ちることなんてない。本人の努力不足を滝先生のせいにせんといて」
久美子はいつだって、そうした麗奈の頑なさを好ましく思っていた。自分の主張を曲げず、ただひたすらに正しいと信じた道を行く。だが、麗奈にとっての正しさが、久美子にとっての正しさとイコールになるとは限らない。
(一部抜粋)
「努力不足を滝先生のせいにするな」という点に関しては、まぁ一理あるかもとは思いますが、この台詞もやはり「滝先生は100%正しい」という発想に基づいています。そしてここで、ようやく久美子が麗奈の影響下から外れている事を自覚します。
第二楽章の感想ブログにも書きましたが、2年生までの久美子は、音楽観や吹奏楽部のありように関しては、そのほとんどが滝先生と麗奈の影響下にありました。久美子が「これが自分の音楽観だ」と思うような事は、その実ほとんどが麗奈や滝先生の考えそのものでした。特に麗奈からの影響は強力だったと思います。
それが、アンコン編辺りから徐々に久美子の中に"自発的な音楽観"が芽生え始め、それに比例して麗奈との考えのズレが出てきていました。そのズレが、久美子の中で「麗奈にとっての正しさが、久美子にとっての正しさとイコールになるとは限らない」という結論に達する訳です。
久美子は反論します。
「麗奈はいつもそういうけど、その実力って結局周りと比べてどうかってことでしょう?香織先輩だって上手だった。麗奈はそれよりも上手かった。でも、麗奈がこの学校に入ってこなかったら、香織先輩は周りに比べて圧倒的な実力がある人だったはずだよ」
「それは・・・久美子は、アタシが北宇治に来たのが間違いだったって言いたいの?」
(一部抜粋)
久美子が引き合いに出したのが、ちょっと麗奈を刺激し過ぎる事例だったにせよ、この時点で久美子と麗奈の話が噛み合ってないのが良く分かります。
久美子は「演奏技量の良し悪しは相対的なもんだ」と言っているのですが、久美子にほぼ初めて音楽の事で自分の意見を強く反発されて感情的になった麗奈の中で「お前が北宇治に来たのが間違いだった」に変換されてしまっています。これも、麗奈の価値観が「正しい・間違っている」に全振りしているが故の事です。
当然久美子は反論します。
「そうじゃない。麗奈は上手いよ。すごく上手い、圧倒的に。才能もあって、努力してる。麗奈は正しい。けど、私は麗奈の当たり前を、ほかの子に求めることはできない。みんな、それぞれの環境で努力してるんだよ。それを努力不足のひと言で片づけるのは、あまりに残酷すぎると思う」
「意味わからん。みんな、努力して全国行くために北宇治に来てるんやんか。いまさらそんなん言う方がおかしいわ。久美子は、北宇治の部長やねんで」
麗奈の言い分を要約すると
「全国大会で金賞を取るにはこのくらい当たり前の努力量なのに、それを下回る演奏技量の部員は当たり前の努力が不足しているに過ぎない。なのに、それを努力不足と判定する事の何が残酷なのかが理解できない」
という事なので、麗奈は「意味わからん」と言う訳です。
アンコン編の感想ブログで、「麗奈は演奏技量が至らない原因を"努力不足"としか判定できない」と書きました。最終楽章前編では「『麗奈にとっての普通が、久美子を始めとした他の人にとっては全く普通じゃない』というシーンが随所に描かれている」と書きました。その2つの要素が、このシーンに凝縮されています。
久美子は最後にこう言います。
「だからこそ、部員の声を完全に握り潰すことはできないよ。」
「それに、私は今回の件に関して、滝先生を全面的に信じることはできない」
「本気?」
「本気だよ」
「だったら、部長失格やな」
(一部抜粋)
久美子の「部長でありからこそ、部員の誰一人として見捨てることはしたくない」という気持ちと、「関西大会でソロが吹けなくて悔しい」という気持ちが綯い交ぜになったセリフです。
久美子は「全面的に信じることはできない」と言っています。つまり、全肯定できないと言っているだけで、「滝先生は間違っている」なんて言ってないのですが、前述の通り麗奈は「滝先生を100%信任する事が正しい」という発想なので「全肯定できない」と言った久美子の発言を、麗奈の中で「不正解」と判定し、ゆえに「部長失格」と言ってしまうわけです。
振り替えって考えれば、葉月も緑輝も、セリフをよく読むと「滝先生を全肯定できない」というニュアンスです。このシーンの久美子も同様です。が、麗奈は「滝先生は間違ってない」という事しか反論していません。深く読んでいくと、いかに会話が噛み合ってないかが良く分かります。

この、麗奈の頑固一徹で視野が狭い状態が強く押し出されているこのシーンがあるからこそ、のちの和解シーンでの麗奈の小さな成長が、読者に伝わりやすくなるような仕組みになっていますが、それは後程。










ここで一旦区切ります。もはや、いつ書き終わるのか分からないほどの遅筆具合ですが、間違いなく書き上げる所存ですので、もし覚えていて下さる方がいらっしゃれば、その3も読んで頂けたら嬉しいです。



それでは、その3に続きます。





【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 最終楽章 後編」の感想など その1


ごきげんよう
最早"元ボカロP"になりつつある無味Pでございます。



今回は、6/22に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編」
を読んで、気付いた事などをネタバレガッツリ込みで書かせて頂こうと思います。


個人的にも世間的にも色んな事があり過ぎて、まさか刊行から2ヶ月以上経とうとは思いも寄りませんでした。これは、全部書ききるのに半年くらいかかるかも・・・。
一先ず、その1を上げますので、お付き合い頂ければと思います。












以下ネタバレです!























  • 久美子が最後に至った「音楽・吹奏楽・部活に対する考えは部員によって百人百様」という結論は、響けユーフォニアムという作品が、読む人によって感想が百人百様という事とリンクする
長きにわたり続いてきた「響けユーフォニアム」という作品が、ついに完結しました。まずはここまで書ききって下さった武田綾乃先生には心からの謝辞を表したいと思います。本当に素敵な作品をありがとうございました。
さて、最終楽章後編の結末、皆さんはどのような感想を持たれたでしょうか。学生時代にどの部活に入っていたかでだいぶ違った感想を抱くと思います。野球部か、バスケ部か、テニス部か、美術部か、園芸部か、演劇部か、あるいは部活に入っていなかったか。
吹奏楽部の人でも、そこがどんな吹奏楽部だったか、担当楽器は何だったか、中学だけだった人、高校だけだった人、中学から大学までずっと吹奏楽部だった人でも感想は違うでしょう。
このように、読者のバックボーンの違いにより、同じ物語を読んでいるのに百人百様の感想を持ったはずです。そして、その感想には余程的外れではない限りは「正しい感想・間違った感想」はないと思います。その事が、物語の終盤で久美子が至った結論のうちの1つである、「音楽や部活に対する考え方は、みんな違って当たり前。正解・不正解は無い」という事とリンクしているな。というのが、自分の読み終わっての一番最初の感想でした。久美子の至った結論については後述しますが、音楽と文芸、同じ芸術の一分野として、共通するところがあるのだと思います。小説などの文芸作品も、音楽と同じように百人百様の創作があり、百人百様の感想があります。

自分の音楽観については、第二楽章後編の感想ブログその2に大体書かせて頂いてるんですが、中でも2017年の吹奏楽コンクール西関東大会で審査員を務められていたサックス奏者の上野耕平先生が、コンクール終了後にツイートされていた内容に甚く共鳴しておりまして、改めて紹介させて頂きます。

https://twitter.com/i/moments/1125019031365246976

自分の中で「吹奏楽は音楽の一形態。音楽は競技ではない。ゆえに、吹奏楽は競技ではない」というのが、自分の中で絶対に揺るがない、音楽観の"根幹"の考えです。そういう人が、この物語を読むと、どういう感想になるのか。という観点でこの感想ブログを読んで頂ければと思います。










  • 「結果が出た事で全てが丸く収まった」という終わり方は、大団円過ぎて一周回ってリアルか
最終楽章後編は、オーディション直前に麗奈と和解した久美子が、全国大会でのユーフォソリに再び選ばれて、久美子の演説で部内の空気も良くなって、ユーフォパートの仲も改善され、全国大会では見事金賞を獲得し、帰り際に秀一とよりを戻す。という、絵に描いたような大団円での幕切れとなりました。
久美子が1年生の時には、全国大会出場という結果が出た事で、今までの努力は正しかったという描写になりました。2年生の時には、関西止まりだった事で、今までの努力は正しくなかった(最後は加部先輩がそれを払拭しようとはしましたが…)という描写になりました。なので自分は、3年生では「全国で金賞を取れたけど、わだかまりが残った」か「全国には行けなかったけど、わだかまりなく大団円」のいずれかだと予想していました。自分の中で、過去2年と違い「結果の如何によって、それまでの努力の肯定・否定が連動しない」という結末を期待していたのだと思います。それはやはり、音楽において「結果が良ければ全てよし、結果がダメなら全てダメ」という考えが嫌いという個人的な考えに起因していると思います。
で、最終的に上記のような結末になったので、一番最初に読み終わった時の感想は「あー、そっちできたかぁ」でした。ことごとくが丸く収まったので「いくつかの問題点は解決しなかったけど、結果良ければ全て良し」の空気があったからです。でも、時間が経つにつれて「これはこれでリアルなのかも」と思うようになりました。
よく、色んな事がトントン拍子に進んだり、都合よく結果が出たりすると「これが漫画だったら、ベタ過ぎてネームの段階でボツだよね」とか「もし小説だったら編集に止められるくらいベタな展開だな」なんて言ったりしますが、そういう事って現実でも割とありますよね。なのでこういう結末も、一周回ってリアルなのかなと思いました。
なので、「全ての問題が噴出しきって、全ての問題がスッキリ解決」という展開ではありませんでした。むしろ結果が出た事で、問題になり得た「問題の芽」のいくつかに蓋がされたように思いますし、特に麗奈に関しては、本人の内面にある問題点が、結果が出た事で修正される事無く物語が終わりを告げました。その部分こそがとてもリアルだと思います。この「問題の芽がある程度解決せずに蓋がされる」「登場人物の問題点がクリアになる事無く引退・卒業を迎える」というのは、武田先生が響けユーフォニアムという小説の中で一貫して描いています。勿論全国で金賞を獲る事ができた要因もちゃんとあるので(ここは後述)、単なるご都合主義では終わらせない所が、武田先生の凄いところだと思います。





  • 求の過去がほとんど明かされ、予想大外し
前編の感想ブログに「求の件は、全てがつまびらかにならないかもしれない」とか書いてしまいましたが、ふたを開ければ、プロローグで求のお姉さんの墓参りシーンから始まるという、予想大外しをかましました。最初に読んだとき、めちゃくちゃ恥ずかしかったです。
それとは対照的に、真由の事は思ったより謎が残りました。この辺は後述します。





  • B編成の部員達もコンクールを楽しめたようで本当に何より。というか、ずっとB編成を勘違いしていた
自分が高3の時の自由曲がメリーウィドウだったので、「メリーウィドウ序曲」と聞いて、一瞬「お!?」となったんですが、自分がやったのは、同じメリーウィドウでも「セレクション」の方でした・・・。何はともあれ、低音の1年生3人が楽しんでコンクールに臨めていたのが本当にほっとします。
あと、ずっと勘違いしてたことが、今更になって判明しました。京都のB編成って、もしかして人数制限無いんですか?宮城の小編成や新潟のB編成とそもそも位置付けが違うんですね・・・。宮城は大編成・小編成、新潟はA編成・B編成に分かれてるんですが、それぞれ人数の多い編成・少ない編成に分かれています。なので、京都のB編成もそうなのかとばかり・・・。
京都のB編成は、埼玉でいう所のD編成的な立ち位置という事なのでしょう。京都はA・B・小編成に分かれていると書かれていたので、「小編成」は、宮城に昔あったC編成的なものだとばかり思ってました。なおかつ、宮城と新潟は少人数の編成にも上位大会があるので、A・Bどちらにも出場する事が出来ません(昔はできたのですが・・・)。京都は少人数の編成に上位大会が無いから、1つの学校でどっちにも出れるのだろうとか、うすぼんやり辻褄があってて、今までずっと気付いていませんでした。お恥ずかしい・・・。






  • 沙里の件と佳穂の件は解決済みで、こちらも予想大外し・・・。
物語の序盤、沙里が久美子にお礼を言いに来ます。
「あのころ、私、いろいろといっぱいいっぱいやったんですけど、最近ようやく冷静に周りを見られるようになって。昨日、佳穂が言うてたんです。『吹部に入ってよかったー』って。それを聞いて、あのときの久美子先輩の台詞はやっぱり正しかったんやなって思って」
「それは佳穂ちゃん自身の頑張りの結果だけどね」
「それでも、です。絶対に伝えておきたかったので」
前編の感想ブログで「沙里の件は解決してないかも」とか書きましたが、後編の序盤も序盤であっさり予想が大外れしました。この沙里の台詞によって、沙里は元より、佳穂も後編で波乱を生むような動きをすることが無いという事がほぼ確定します。前編の感想ブログで「佳穂が後編のカギになるかも」みたいな事を散々書きましたが、これもガッツリ外れました。
ちなみに、このシーンの最後に沙里は久美子に
「私、何があっても久美子先輩を応援しますから」
と告げます。この台詞は、中盤以降の展開への大きな伏線になっています。もちろん、久美子はこの後この台詞の重さを思い知る事になりますが、この時点では気付くはずもありません。




  • 今まで一貫してきた緑輝のコンクール観と反する一言に反応してしまう自分は、ちょっと考えすぎ?
関西大会の他の出場校を緑輝が解説シーン。最後に解説用に作った模造紙を片付ける所で、美玲に模造紙をどうするか聞かれ、
「関西大会まで後ろの黒板に貼っておこ。敵を忘れるべからずってやつ」
と緑輝は言います。
この「敵を忘れるべからず」という台詞が、今までの緑輝のコンクール観・音楽観と相容れない言葉だったので、個人的に凄く引っかかってしまいました。
第二楽章後編やアンコン編の感想ブログにも書きましたが、緑輝はコンクールの結果ばかりを重視する考えに否定的な考えを持っています。だからこそ、原作2巻では他校の演奏をごく普通に称賛できた訳です。その言動が今まで一貫してきたのに、ここに来て関西大会の他の出場校を「敵」と表現した事が、個人的に非常にひっかかってしまいました。過剰反応でしょうか?







  • B編成のコンクール終了後の美知恵先生の台詞が、後の展開に係ってくる
コンクールから戻ってきた美知恵先生は、久美子にこのように告げます。
「顧問は部員たちが努力している姿を知っている。結果が出ずに落ち込んでいる姿を見るのはこたえるからな。こうして大会が終わったときにみんなが笑顔でいてくれてよかったよ」
この台詞は、吹奏楽部顧問として非常にストレートな感想です。
物語の序盤に出てきたこの台詞は、終盤にかけて展開される「部員の滝先生への不満」「滝先生のコンクールへの向き合い方への苦悩」「あすか先輩の滝先生評」「橋本先生の音楽観・コンクール観」という、物語の軸となる様々なトピックに係ってくるものになっています。なのでこの台詞は、2回目以降に読み返した時に読者に大きく響いてきます。
原作ではアニメ版ほどは目立たないですが、美知恵先生は滝先生と連携しながら部活運営をしていたはずで、その美知恵先生に物語の序盤にこの台詞を言わせたことに、非常に大きな意味があると思います。




  • 100人超の部員全員にアイスを差し入れしてくれるOBOGは、久美子の言う通り神様以外の何物でもない
大学生にとって、決して安い金額ではなかったはずです。こんな先輩、自分も欲しかった・・・。






  • 1年生編・2年生編に比べて、プールシーンの導入部分に必然性をそこまで感じなかった
久美子が1年生の時には、希美先輩の復部の件で先輩たちに話を聞かせて貰えずに不服を漏らす葉月をなだめる為に、緑輝がプールに行く事を提案します。このシーンが入る事でプールにいく必然性が極めて自然に出てきますし、緑輝がどういう性格の人物なのかが伝わってくるシーンにもなっています。
2年生の時には、色んな人をプールに誘う中で、みぞれ先輩が「あがた祭りの時に誰も誘わなかった自分に、希美が他の子も誘えって言ったから」という理由で梨々花をプールに誘います。このシーンがある事で、みぞれ先輩にはあがた祭りに誘える人が居ないという第二楽章前編のシーンが浮き彫りになり、梨々花を誘った理由が「希美が言ったから」の一点張りという事で、みぞれ先輩の極端な視野の狭さが際立つ構図になっています。
翻って最終楽章後編のこのシーン。確かに「麗奈に真由の名前を出されて久美子が息をのむ」という描写があるので、全く無意味という訳ではないですし、「毎年恒例だから」という理由で今年もプールに行こう!というノリは高校生っぽいと思います。ただ、1・2年生編と比べると、そのシーンの重要性が若干薄いというか、何となく「読者への(あるいはアニメ化の時の)サービスシーンだから」感を感じてしまいました。それだけ、1・2年生編の時のプールへの導入が非常に必然性の高いシーンだったとも言えます。








ここで一回区切ります。
まだ物語の超序盤。全て書き上がるのは果たしていつになるのか・・・。こうご期待!



それでは、その2に続きます。



【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 最終楽章 前編」の感想など その3


4/17に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
その3です。

ギリッギリですが、後編の刊行前に書き終えることが出来ました。かなり慌てて書いているので、文章が変になっている所、何が言いたいのか良く分からない所、相変わらず他の方々の考察ブログに引きずられてる所等々、読みにくい点が数々あるかと思いますが、どうかご容赦頂きたいです・・・。


それから、相変わらず麗奈に対して厳しい物言いになってる箇所があるので、"その3"も、麗奈ファンの方は閲覧注意です。(だって、武田先生が麗奈をそういう風に書くんだもん・・・という言い訳)


あ、それと、立華編に関するほんのりとしたネタバレもあるので、立華編未読の方はご注意下さい。







当然ながら、以下ネタバレ注意です!


















  • 久美子の進路に対する布石はいくつか打たれてはいるものの、今から音大は現実的ではないし、教育大に進むにしても・・・
最終楽章の、吹奏楽部絡みともう一つの話の本筋として、久美子の進路と将来というものがあります。久美子は滝先生と"大人になる事"について話します。
「子供の頃の私は、大人になったら勝手に立派な人間になれると思い込んでる節があったんです。
・・・
でも、実際はそういうものでは、まったくなくて。いまの自分は、子供のころの自分の延長上にありました」
「それもなんだか怖い気がします。心は変わらないまま大人になっちゃうなんて」
「ですが、黄前さんの周りにいる大人はそうやって年を重ねてきたのだと思いますよ。自分が大人か子供かというのは、周りの環境によって決まるのだと思います。」
(一部抜粋)
この会話の直前には、教員という仕事の大変さとやりがいを滝先生が述べる場面があります。

美知恵先生との2者面談では、美知恵先生になぜ教師になったのか尋ねます。
「美知恵先生は、どうして学校の先生になろうと思ったんですか?」
「安定した職に就きたかったからだな」
「えっ、それだけですか」
「それだけだが?」
「もちろん、教師になってからいろいろと見えてきたものはある。
・・・
仕事のいいところも悪いところも、実際に働き出してから気づいたことばかりだ」
「人生なんてものは、設計図どおりにはいかないものだ」。未来を空想するのもいいが、机上で考えるよりも実際に足を踏み出したほうが得るものが多いこともある。」
20代中盤の武田先生が書いたとは思えない、大人として非常に共感できる言葉を、滝先生も美知恵先生も久美子に語り掛けます。そして美知恵先生は「やりたくない事から考えて、マイナスを減らすという方向で進路を決めるという方法もある」といって、文系の学部を久美子に勧めます。この中には"教育学部"もバッチリ入っています。
滝先生と美知恵先生は、親の次に久美子にとって身近な大人で、特に美知恵先生は担任なので、進路相談をするのは当たり前と言えば当たり前なのですが、「なぜ教師になったのか」と尋ねる生徒は少ないんじゃないでしょうか。そして、物語上で父親に仕事のことを尋ねるシーンはなく、先生二人に教師と言う職業についてそれぞれ尋ねるシーンがあるという事は、恐らく教育学部系の進路に進む伏線なのなかと思っています。
第二楽章の段階では「もしかして音大の線もあるか」と思いましたが、音大にしても教育学部の音楽専攻にしてもピアノが必須で、久美子は3年生の夏の段階でピアノの練習を一切やっていない事を考えれば、音大進学は現実的ではありません。なので、もし教育学部に進むにしても、音楽専攻ではない可能性が高いと思います。
その1で「久美子が将来の北宇治の顧問かもしれない」という事を書きました。これを読んでいる方の中には「吹奏楽部の顧問なら、音楽教員じゃなきゃだめなんじゃないか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際の吹奏楽部でも音楽教員でない先生が吹奏楽部の顧問になって指揮者としてタクトを振っている例が沢山あります。我が母校の顧問も、音楽ではなく物理の先生でしたが、コンクールも文化祭も定演も、合奏練習でも本番でも指揮を振っていました。
なので、「音楽以外の教員になった久美子が、北宇治の吹奏楽部の顧問に就く」という可能性もあるかなと思います。








  • 麗奈は高校2年間で「一人では音楽が出来ない」という事を学んだが、それゆえに今まで自分に課してきた高い基準を、ドラムメジャーの立場で部員全員に突き付け始めている。
麗奈は、特に音楽に対しては確固たる自信と論理と信念がガッチリあって、それに向かって真っすぐに突き進むキャラクターとして描かれているのですが、これは裏を返すと「自分の考えこそが正解」という視野の狭さにもつながっているように思います。確か、アニメ製作スタッフのどなたかが「麗奈は、視野の狭さこそが特別たる所以」というような事を仰っていた記憶があります。
その視野の狭さはシリーズを通して一貫してるのですが、第二楽章の感想でも書きましたが、香織先輩との係り合いの中で「一人では音楽はできない」という事を学んだことで、少しだけ視野が広がります。が、音楽に対する根本的な考え方・向き合い方は変わっていないので、今まで麗奈の中にだけ向いていた「正しい音楽」を、生徒指揮の立場に就任した事で、今度は部員全員に突き付け始めます。その麗奈には「怠けている訳でもないのに技量や上達スピードが劣る人・上役からガミガミ言われて委縮してしまう人」という、言い換えれば「弱者」の視点を持つことができません。

物語の序盤、麗奈と久美子の下校シーンでは、こんなやりとりをしています。
「人数が多いって事は、それだけオーディションの倍率が上がるってことだけどね。二年、三年でBメンバーになる子が確実に出るって事だし」
「層が厚いってそういうことでしょ。
・・・
みんな、覚悟の上で吹奏楽部を続けてるわけやし」
「それはまぁ、そうなんだけど」
「Aに入りたいなら、上手くなるしかない。あの子に負けたくない、あの枠を勝ち取りたい。そういう競争意識があったら、北宇治はより高みを目指せる」
・・・
「久美子もそう思うやろ?」
麗奈が訪ねる。肯定以外の返事を、予想すらしていない声で。
「うん、もちろん」
(一部抜粋)
麗奈の「競争意識こそが音楽において高みを目指せる」という考えが集約されています。麗奈にとってはこの考えは「正解」なので、否定などされる筈がない。だから肯定以外の返事を予想すらしない訳です。
余談ですが、物語を俯瞰で見た時、久美子の考えが「もちろん」という言葉が発せられるほど麗奈と合致しているとは思えません。しかし、久美子は音楽・吹奏楽の考え方に於いて麗奈の影響を強く受けていて、かつ今年こそは全国で金賞を獲りたいという気持ちが強いので、多少の齟齬があっても「もちろん」と言ってしまっているのだと思います。
この後、麗奈と久美子は吹奏楽部の体験入部でペットの所にきた新一年生についての話をします。
「ウチの部が強豪って知って、入るのはやめときますって言った子もいたけどね。そこまで本気でやるつもりはないし、足手まといになりそうって」
「部活って、強要するようなもんじゃないだろうし。そうやって入らないって決断する子がいるのも仕方ないね」
「やからこそ、アタシは今年の新入部員には期待してる。練習が厳しいってわかってても入部を希望してくれたってことやろ?」
「まあ、そうしてくれる子がどのくらいいるかはまだわかんないけどね」
「来るよ、絶対」
(一部抜粋)
麗奈の言葉通り、サンフェス練習ではあまりの厳しさに、ついに一年生が泣かされはじめます。
「見てる人からしたら初心者かどうかもわからんねんから、それをできひん言い訳にせんとって。ホルンの橋川さん。無理なんやったら吹こうとせんでいい。ちゃんと足合わせて。ずれたら後ろの子が危ないんやから」
「す、すみません」
「泣いててもできるようにはならんでしょ。気持ちはいいから、結果で見せて」
はい、と返事をする一年生部員の声はかすれていた。
「それと、ユーフォ。針谷さんも挙動おかしい。歩幅が小さすぎるのと、一人だけ列からはみ出してる時がある。わかってる?」
「はい、すいません」
「同じ初心者でもできてる子だっているんやから、言い訳はできんでしょ。本番は来週やねんから、いつまでも初心者気分でおられても困ります。ちゃんとやって」
そうしているうちに、すずめが久美子に1年生の集団退部があるかもと告げるに至ります。
「佳穂もそうですけど、初心者の子たちのストレスが凄いんですよ。ほら、高坂先輩って初心者でも同じようにやれーって指導するじゃないですか。あれで高坂先輩に反発するような気の強い子だったら問題ないんですけど、内気な子はどうしても自分をどんどん責めちゃうんですよねぇ」
「でも、そのパートの先輩がフォローしてるよね?」
「んー、やっぱりフォローだけじゃなんともならないんじゃないですか?怖いって一度思ったら、足がすくんじゃうだろうし。で、緊張してまた間違えるという悪循環。」
この厳しさはパートでも発揮されているようで、サンフェスの時の滝先生の挨拶の場面では、こんなシーンがあります。
「今年の演奏レベルは例年より一段と高くなっているように思います。ドラムメジャーの厳しい指導の賜物でしょうか」
麗奈が謙遜するように小さく首を横に振っている。その正面で、トランペットの一年生が激しくうなずいていた。
最初から「厳しいです」と前置きされてからペットになった1年生なので、それなりの心構えはしてたはずですが、それでもおそらく麗奈以外の上級生が1年生のフォローアップをしているにしても、同学年の吉沢ちゃんや2年生の夢の負担も結構あるんじゃないかと思います。
アンコン編でも書きましたが、麗奈は演奏で至らない点がある原因を「努力不足」としか判定できない側面があります。「出来ないのは、出来るまで努力していないからだ」という発想です。沙里も同じような事を言っていましたが、これはアンコン編でいう葉月やつばめのような「出来ない」側の人間には心理的負担が極めて大きいです。
体育館での基礎合奏のシーンに
彼女は分かっているのだ。一人では全国に行けない。
という一文が添えられているように、先述の通り「吹奏楽は一人では音楽は完成しない」という事を麗奈は香織先輩や優子部長との係り合いの中で身に染みて感じているのです。ただ、その2の"カリスマの危うさ"の所にある麗奈のセリフの引用を良く読んでみると・・・
「高校生にしては上手だね、ではアタシは満足できません。北宇治が一番上手いって言われたい。」
「アタシは勝ちたい。立華にも、龍聖にも、どの学校にも。」
コンクール直前のリハーサル室での一言の時には
「アタシにとってこれが、三度目の京都府大会です。」
と、このように部員に向かって北宇治の演奏に言及する際の主語が「アタシ」になっている箇所が前編全体を通して目立つ印象があります。
これは、凄く意地悪な見方をすれば

「アタシが全国大会で金賞を獲りたいから、あなたたち頑張りなさい」

という解釈もできてしまうように思いました。「アタシは勝ちたい」「アタシは満足できない」という言い回しは、武田先生は意図的に入れている気がします。

さらに、これは部員全員にではなく久美子との会話の中でのものですが
「でも、今年決めたことが来年、再来年の子たちにまで影響するから。アタシは滝先生のいる北宇治が、ずっと強豪であってほしいって思ってる」
というセリフもあったりします。「"滝先生のいる"北宇治が」という言い方をしています。麗奈が滝先生ラブなのはわかるんですが、個人的にどうしてもこの言葉に引っ掛かってしまいました。麗奈さん、あなたの視界の中に部員たちはどのくらい入ってますか・・・?








  • 麗奈の「普通」の浮世離れが随所で表現されているところに、生徒指揮(≒指導者)としての問題点が示唆されていて、それはもしや、将来吹奏楽部の顧問になる久美子との対比か?
序盤、新入生が多く入る為に楽器が足りなくなるかもと心配するシーンで、久美子と麗奈が楽器の購入費用について話します。
「滝先生、予算が多めに取れたら新しいチューバ買いたいって言ってたけど、結局まだ買えてないもんね」
「チューバ一台でほかの楽器何台か買えるし、まとまったお金がないと厳しいんでしょ。部費の値上げっていうのも難しいし」
・・・
「マイ楽器率が上がると助かるけど、高価な楽器はさすがにお願いしづらいよね」
「でも、子供がそれを必要とするなら、買うのが親の役目やと思うけど」
「それは麗奈の家だから言える台詞だよ」
「そう?」
「そうそう」
一般家庭において、管楽器を購入する事がどれ程の負担かが、麗奈にはピンと来ていません。
また、サンフェス前の幹部会議で進路の話になった際には、麗奈は久美子にサラッと音大を勧めます。
「・・・進路はまだ、未定かな。考えられないっていうか」
「なんも決まってないなら音大は?」
「いやいや、音大ってそんなふうに決めるような進路じゃないでしょ。」
「アタシは久美子が音楽続けてくれたらうれしいけどね」
事もなげに言う麗奈の顔を、久美子はまじまじと凝視した。
子供の頃から完全な一本道として音楽の道を突き進む麗奈にとっては、音大進学という選択肢がどれほど特別なものなのかがよく分かっていないようです。
進路希望の用紙提出後の会話でも、麗奈は久美子に音大受験を勧めます。その過程で、久美子は麗奈に問います。
「なんでプロになりたいって思ったの?」
「その質問、アタシ的にはすごく不思議。子供のころから将来はプロになるって決めてたし、逆に、やりたいことがないって状態が想像できない。やりたいことなんて、十八年も生きてきたら勝手に見つかるもんじゃない?」
この直後に久美子は梓と会ってこの話をしますが、梓は「明確なビジョンを持ってる麗奈みたいな人の方がレア」と言います。音大を目指す麗奈とのシーンの直後に、同じく音大を目指す
梓とのこのシーンを入れる事で、同じ「音大受験生」の中でも考えに差があるんだという事と、麗奈にとっての「普通」が、梓の言うところの「ウルトラレア」である事が浮き彫りになります。
久美子が縣祭りの日に麗奈の家に行くシーンでも、その豪邸ぶりに驚く久美子に対して麗奈が返す場面があります。
麗奈は「普通でしょ」となんでもない顔で言った。これが普通でたまるか、というのが久美子の率直な気持ちだったが、麗奈にとっては当たり前の環境なのだろう。
最後の一文が重要です。久美子を始め他の部員にとって「普通でたまるか」という環境が、麗奈にとっての「当たり前」なのです。
因みにこの日の帰り、またしても麗奈に音大を勧められた久美子はこう思います。
梓にしろ麗奈にしろ、音大という進路を当然視しすぎているような気がする。
久美子には音大に行くだけの覚悟も、経済力も、それらすべてを上回る飛び抜けた才能もない。ユーフォニアムは好きだ。
だが、それを職業にして生きていくほどの気概はない。
(一部抜粋)
久美子のこの感覚は、改めて解説するまでもないほど、至極真っ当なものです。

余談ですが、ここで麗奈が久美子に音大を勧める理由の一つが語られます。注目したのは、久美子が音大に進まなかった場合に、友達関係が揺らいでしまうかもしれないと心配する麗奈のこの台詞です。
「だって、友達関係ってアタシだけでどうにかできることちゃうし。」
アンコン編の感想でも書きましたが、麗奈は「奏者の演奏技量は、自身の努力量が純粋に反映される」という考えを持っています。詳しくは、ホントの話の感想その3と、ヒミツの話に収録されている"お兄さんとお父さん"という話を参照願います。
色んな周囲の環境・親の経済力・本人の元々のポテンシャルによって、音楽も勉強も、本人の努力次第でどうする事も出来る人生を送ってきました。そんな彼女は、友人関係だけは「自分の努力だけではどうにもならないから不安だ」と言います。麗奈は中学生までは他人とつるむ事を良しとしませんでした。久美子という親友が出来てしまったが故に、自分の努力だけではどうする事もできない大事な物が彼女に乗っかってしまった訳です。勉強と音楽は努力次第でどうにでも出来ると思っているという点で浮世離れしているのと同時に、それに対して麗奈にとっての「自分だけではどうにもできない友人関係」という物が浮き彫りになっています。最終楽章後編のあらすじには、久美子と麗奈が衝突してしまうと書かれています。ここで「友達関係ってアタシだけではどうにかできることちゃう」というセリフが突き刺さってきます。

話を戻します。上記のように最終楽章前編では、「麗奈にとっての普通が、久美子を始めとした他の人にとっては全く普通じゃない」というシーンが随所に描かれています。これは、生徒指揮としての指導においても「麗奈にとっての『普通の技量』『普通の指導』が、他部員にとっては普通じゃない」という事が起こっている事を暗に示しているのかなと思いました。前述の「麗奈が自分の基準を部員に突き付けている」という話と組み合わさってきます。麗奈にとって普通の基準が、部員達にとって普通ではない基準を突き付けられている。だからこそ部員たちの技量が上がっていくというプラスの面もありますが、すずめや沙里が言うように、辛い思いをしている部員も居るはず・・・。それは、奏者としては誰しもが一流と認める麗奈が、指導者としては欠点があるという事を表しているのかもしれません。現実世界においても、音楽家としても演奏技量と、音楽指導者としても指導力というのは割と別物だったりしますし。
そして、「麗奈は、奏者としては一流だけど指導者としては欠点がある」という事を描いているとして、将来久美子が教員として吹奏楽部を指導する未来があるならば、そんな麗奈と「奏者としては一流とまではいかないが、指導者としての腕前はある久美子」が対比されて描かれているという可能性もあるんじゃないかなと思いました。考えすぎでしょうか。












  • 今までの北宇治と全く違う音楽観を持っているのに演奏技量が高いという真由は、久美子や奏にとって全く未知の領域で、それは中学で転校を繰り返したのち、超強豪校で2年間を過ごした結果なのか
真由は、あすか先輩や奏とは違い、腹に一物を抱えた人物では無いはずなので、おそらく作中の台詞は全て真由の本心なのだろうと思います。
最初真由は、清良女子からの転入生という事で、実在の吹奏楽部でも良くある「あの先生に指導を受けたいから転入する」というパターンか、あるいは「清良女子ではA編成で出られないから、北宇治に転入してA編成入りを目論んだ人物」かと思ってたんですが、どうやら純粋な親の都合のようです。
序盤で久美子・緑輝・葉月・つばめと初めて顔を合わせ、清良女子からの転校生で吹奏楽部出身である事が分かったシーンで、久美子が真由に吹奏楽部に入るのか尋ねた時に
「うーん、少し悩んでるんだ。三年生から部活に入って、ほかの子の迷惑になったりしないかなって」
と言って、吹奏楽部に入部するか躊躇する場面があります。具体的に何で迷惑をかけるかは明言されていませんが、文脈的には「急に上級生が入ってしまうと、和を乱してしまわないか」という意味合いだと思います。だとすれば、この時点で真由は人間関係最重視という事になります。
真由がコンクールの結果を気にしていないという描写は随所にあります。奏が北宇治に入学した理由を尋ねた場面では
「選択肢の学校のなかで、いちばん吹奏楽部が強かったからかなぁ。」
「それはコンクールで結果を出したいからですか?」
「というより、合奏するなら上手なほうが楽しいでしょう?いくら自分が参加してるって言っても、合奏時間に下手な演奏をずっと聞かされるのって嫌だなぁって思っちゃう」
・・・
「私、合奏が好きなの。だから、好きなものを好きでいられる環境を選ぼうって思って」
(一部抜粋)
と答えます。一見実力主義的な考えに見えますが、彼女が言いたいのは「上手な音楽が好きで、それに自分が参加するのが楽しい」という事で、コンクールの結果はあくまでそれを推しはかる指標でしかない訳です。真由は基本的に「音楽に優劣や勝敗の概念を持ち込まない」という姿勢で、それはオーディションの結果、ソロが久美子に決まったシーンでも
前を向く真由が、こちらに向かってうっすらと微笑みかけた。悔しさや悲しさを一切感じさせない、純粋なる祝福だった
という一文にも表れています。
低音の1年生3人が揃って部活を休んで、さつきを始めみんながざわついた時には、
「辞める子が出るのって、そんなに珍しいことじゃないでしょう?どうしてそんなに心配するの?」
「たとえば部活を辞めた子がいたとして、その子はつらい気持ちから解放されるし、残った子たちはその子を気にしなくてすむし、win-winの関係になれると思わない?たかが部活なんだし、無理してしがみつくようなものでもないでしょう?」
と言います。一瞬ヒヤッとする言葉で、嫌味っぽい言葉を投げかけた奏を始め、低音パートの面々は大なり小なり怪訝な気持ちになったと思います。ただ、よーく考えてみれば「たかが部活」というのは一理あります。学生の本分は学業な訳で(音楽系の進路に進む場合を除けば)部活はあくまで課外活動なのです。辞めた所で生活が困窮する訳でも、学校を追われる訳でもありません。そして、もちろん吹奏楽部に入ったからには3年間続けて欲しいという心情も痛いほど分かりますが、楽器を吹くのがつらい、吹奏楽部に所属している事が精神的に耐えられないとなれば、やる意味がないと私も思います。「音楽は楽しくなければやる道理が無い」と考えれば、真由の理屈も分からなくはないです。「退部者は珍しくない」と言っているという事は、清良では少なくない数の退部者が居たという事でしょうか。
さらに真由は、ユーフォソロのオーディションを辞退しようとします。
「真由ちゃんはコンクールに出たくないん?」
「そういうわけじゃないんだけど、私が出ちゃうとひと枠埋まっちゃうでしょう?北宇治で長くやってる子が優先してコンクールに出場するべきだし、ソロを吹くべきだって思ってる。…おかしいかな」
「自分は確実にAに入る技量を持っている」という自任が前提の、捉えようによっては上から目線な物言いではありますが・・・。
ここで真っ先にツッコミを入れるのが葉月というのがポイントです。葉月は高校から吹奏楽を始め、滝先生が部活の改革を行った結果全国大会に進むという過程を目の当たりにしているので、葉月の音楽観は麗奈とは違う意味で「滝先生指導下の音楽観」に染まっています。その葉月が「その意見は変だと皆思ってる。真由の意見はぶっ飛び過ぎだ」と言う事で、真由の音楽観が北宇治のそれまでの音楽観と如何にズレているかが表現されています。
このやりとりのあと、久美子の「前の学校でもオーディション辞退したいと思ったか」という問いに真由は
「全然、一度もないよ」
「じゃあ北宇治でも同じじゃない?」
「でも、清良ではそれが正解だったから。頑張ったらみんな喜んだし」
と答えます。
この後、オーディション前日にもオーディション辞退を進言しますが、
「そういうやり方は間違ってると思ってるから」
という久美子の一言を聞き、それ以降はオーディション辞退を言い出しません。「間違ってる」という久美子の言い回しが、先述の「正解だったから」という真由の言い回しとの対比になっているように感じました。ここで真由が「北宇治ではこのやり方が"正解"なんだ」と思ったのだと思います。そしてそれが、終盤に久美子が麗奈とソリの部分を練習する為に音楽室を抜けるタイミングで真由がソリの部分の練習をしたシーンに繋がっていきます。奏が真由に質します。
「黒江先輩、どうしてこのタイミングでその箇所を練習するんです?」
「え?だって、関西大会前になったらまたオーディションがあるんでしょう?私、変なことしたかな」
「変なことってーーーいえ、もういいですけど」
「もし変だと思ったら、ちゃんと指摘してね。私、全部直すから」
真由からすれば「北宇治での正解の行動」を取ったはずなのに、奏からツッコミを入れられて困惑する様子が描かれています。久美子は、この会話を聞きながら、二人の関係が上手くいっていないかを心配していますが、恐らく内心は「喧嘩を売られた」くらいに思っているのかもしれません。
このように、真由は「北宇治にとっての『正解の音楽・正解の行動』を探る」「基本的に音楽に勝敗や競争の概念を持ち込まず、とにかく楽しく演奏する」というキャラクターになっています。
このうち、特に前者に関しては「転校を繰り返してきた」という事が大きく影響しているのかなと思います。第二楽章の感想でも書きましたが、吹奏楽部員の音楽観・コンクール観というのは、最初に所属した(中学から始めた人はその中学の、高校から始めた人はその高校の)吹奏楽部の方針に大きく影響を受ける傾向にあります。真由が中学時代に何回転校したかは分かりませんが、「高校二年間"は"福岡に居た」と言っているので、おそらく中学時代には1回以上の転校を経験したと推測されます。「吹奏楽部の方針に大きく影響を受ける傾向にある」というのは、それだけ各学校ごと、指導者ごとに「正しいの音楽・正しい吹奏楽部」が違うという事です(希美先輩の時の退部騒動は、この「正しい吹奏楽部」の違いによる衝突という側面があります)。大抵はその学校の吹奏楽部で3年間過ごす訳ですが、真由の場合は転校を繰り返し、その度に違う方針の吹奏楽部に移って行ったという事です。そういう経験を経て、「学校によって正しい音楽が違う」という事を知っていったのかなと。「清良ではそれが正解だったから」という言い回しには、そのような背景があるのではと推測しています。
一方後者に関しては、そんな色々な中学校で「正しさ」の違いに触れてきた真由が、清良に入学して「音楽とは楽しむものだ」という考えに影響を受けた結果なのかなと思いました。
転校を繰り返した真由は、中学校の3年間でどの吹奏楽部の音楽観にも染まり切らずに演奏技量だけが向上した状態で清良に入学したんじゃないかと推測しています。清良は確かに強豪で、緑輝が聖女の時に目にしたような強豪校特有の殺伐さを、真由も経験したと推察されるセリフも散見されます。1年生4人が部活を休んだシーンでは、奏に「先輩らしくない過激な発言だ」と言われて「清良でも同じような反応をされた」と言っていました。
ただ、個人的に思い出すのは立華編の終盤のシーンです。トラブル続きで部員たちが強張ってしまっている場面、未来先輩の発案で
「そもそも、音楽ってのは楽しむもんです。苦しそうな顔してたって、お客さんはちっとも喜びません。だから、まずは演奏してる私たちが思いっきり音楽を楽しまないと」
と南先輩が告げたのちに、各自思い思いにシングシングシングを吹き鳴らし動き回り、部員たちが元気を取り戻す、というシーンです。上級生の表情から察するに、これは恒例行事のようで、文章を通してでも、部員たちの楽しそうな雰囲気が伝わる場面で、立華編の中でも名シーンのうちの一つだと思っています。
マーチングの強豪校として名を馳せる立華にあって、このようなシーンがあるという事は「強豪校でさえ、むしろ強豪校だからこそ、"音楽を心から楽しむ"という土壌がある」という事を武田先生は描きたかったんじゃないかと思うのです。もしそうならば、同じく強豪校である清良も「音楽は楽しんでこそだ」という考えがあって、真由はそんな清良の音楽観が根付いているという事なのではないでしょうか。

ただ、掴み切れてない所もあります。縣祭りと修学旅行の写真をパートで見ている時、真由は自分が写真に写るのが好きではないと言います。
「自分が写ってる写真を見たら、ちょっとぞっとしちゃう」
とまで言います。ここに関しては間違いなく真由の内面に迫るセリフの筈で、実際、考察ブログを書かれている方や、ツイッターなどでも皆さんが様々な視点から色々な考察をされていています。ただ、自分の中では、この部分がどうしても掴み切れません。転校を繰り返してきた事と関係があるのは間違いないのですが…。
因みに、同じシーンですずめが「なんでお姉ちゃんは自分の写真を撮りたがらないのか」と嘆くシーンで久美子が
「つばめちゃん、自撮りは嫌いみたいだから。」
と言います。真由と仲のいいつばめも自撮りが嫌いというのは、何か繋がりがあるのでしょうか。そもそも、なぜ真由とつばめが仲良しになったのかも語られていないので、その辺も気になる所です。
また、京都府大会でリハ室から出る直前に久美子と真由が会話をするシーンでは
「私、北宇治として本番に立つんだね」
「そりゃあ、真由ちゃんは北宇治の一員だし」
「ふふ、なんだか不思議な感じだよ」
振り返ると、微笑する真由と目が合った。目尻になるほど下がる両目、うっすらと弧を描く唇。凹凸の少ない顔立ちのせいだろうか、その微笑はひどく寂しそうに見えた。
「・・・真由ちゃん?」
「頑張ろうね、本番」
この「寂しそうに見えた」の部分が掴み切れません。なぜ真由は京都府大会の直前に寂しそうな表情を見せたのか。なぜ久美子は寂しそうな表情だと思ったのか。この辺は後編で明らかになるのでしょうか。

そんな真由を、久美子と奏は受け入れられずにいます。真由の入部のシーンで久美子は
にっこりと笑う真由に、久美子もひきつった笑顔を返すしかない
と、物語の序盤も序盤で真由の入部を歓迎しない気持ちがバッチリ出てしまっています。
終盤では、あすかから授かった"響けユーフォニアム"を真由が聴くシーンで、久美子が真由を明確に拒絶する様子が描かれます。
「さっきの曲、なんて曲なの?すっごく素敵だなって思ったんだけど」
こちらを振り返る真由の表情からは、一切の悪意を感じない。
言い渋る理由はない。それなのに、久美子は本能的な不快感を覚えた。
真由のことは好きだ。いい子だと思う。だが、踏み込まれると抵抗がある。距離を縮めることに、困惑する自分がいる。
(一部抜粋)
なぜ久美子は、嫌がらせを受けた訳でもない、酷い事を言われた訳でもない真由をここまで拒絶するのか。それは以下の事が考えられます。

久美子にとっての真由は、部長職で忙しくパートに居る時間が短いが故に、パート内での居場所を奪う存在。そしてなにより、強豪校からの転入生で、ユーフォ奏者として申し分ない演奏技量を持った真由は、ユーフォ首席奏者の座、すなわちユーフォソリストの座を脅かす存在なのです。
特に久美子は、口には出さないものの、自分がユーフォの首席奏者であるという強い自負が
ユーフォパートに与えられたスペースの、いちばん中央寄りの席。指揮者に近いその場所こそが、去年から変わらない久美子の特等席だった
という一文に表れています。

もう一つ。久美子が真由を受け入れられない一番の理由は、真由の音楽観に理解が及ばないという事なのだと思います。
久美子が真由を受け入れられない事と、真由の音楽観を久美子が理解出来ない事、この2つが凝縮されている場面があります。それは久美子が真由に縣祭りに誘われて断り、直後に自由曲のソリの部分を一緒に吹くシーンです。久美子は先約があるという嘘をついて真由の誘いを断ります。どこかで「麗奈と約束するだろうし」と思ってた可能性はありますが、ともかく久美子は理由なく断ります。そして、真由の提案で、自由曲のペットとユーフォのソリを吹きます。久美子は吹きながら、お手本とするあすかに想いを馳せ、その卒業後に入って来た奏についてこう思います。
奏の腕前は確かだが、久美子は彼女を脅威だと思ったことはなかった。
普段は謙遜しているが、久美子の根底には経験者としてのプライドが根を張っていた。だがー・・・。
(一部抜粋)
シリーズを通してちょいちょい顔を出していた久美子の「音楽に対して優劣や勝敗に重きを置く考え」がこのあたりにチラチラ現れます。対して真由の様子は
久美子の目をまっすぐに見つめ、真由がうれしそうに目尻を下げる。ピストンにかかる指が楽しげに躍った。
真由の睫毛が震える。その瞳がきらめく。月光を浴びた夜の海面みたいに。チカチカと映り込む銀が、ただただ綺麗だった。そこにあったのは、純粋な喜びだった。
「楽しかったね」
そう、彼女は言った。あまりにも無邪気な声で。
真由の音楽への向き合い方もここで見えてきます。彼女は久美子とのセッションで、久美子の目を通しても、音楽・演奏そのものを純粋に楽しんでいる様子がうかがえます。
そんな真由を見て久美子は
真由はいい奏者だ。そんなことは、彼女が入部したときから知っている。久美子が本当に知りたいことは、自分と彼女のどちらが優れた奏者であるか、だった。
と考えます。真由とは余りにも対照的です。第二楽章後編の感想で、久美子はそもそも「どういう音楽をしたいのかが描けてない」「コンクールの結果重視」という事を書きました。それに付随する形で、先述した「音楽に対して優劣や勝敗に重きを置く視点」がガッチリ書かれています。だからこそ、久美子は優劣や勝敗など関係なく純粋に演奏そのものを楽しむ真由の音楽観に理解が及ばずに拒絶をしてしまうという事なのかなと思います。どちらの音楽観が良い悪い、という事ではなく、純粋に音楽観が全く合わないという事なのだと思います。

奏はもっと露骨です。頑なに「黒江先輩」と呼んで自分の懐には一切入れる隙を見せません。先述の、久美子の前で真由がソリを練習するシーンでは溜息を吐いたりします。ただ、物語上では奏がどの程度真由を敵視しているのかはまだはっきりしません。

真由の様子は、当然ながらすべて久美子からの視点でしか物語に投影されません。なので、はっきり分からない部分も非常に多いです。この3人、あるいは佳穂も交えた4人の関係が後編でどのようになっていくのか、自分はまだはっきり見通せずにいます。













  • 緑輝の一貫した「コンクールの競技的側面を蔑ろにせずに、かつ、音楽を楽しむという根本を忘れない」という考えが、久美子と真由をつなぐか
恒例になった、新一年生に向けての吹奏楽解説。全員が経験者だった第二楽章と違い今回は全員が初心者なので、コンクールの初歩、即ち、A・B・C部門と金銀銅賞のところを説明しています。
「北宇治は二年連続で関西大会出場を果たした強豪校。去年は関西大会で金賞を取りました」
「おおー」
「ハイ、弥生ちゃん。金賞って聞いて、すごいって思った?」
「だって金賞っていちばん上じゃないですか」
「もちろん関西大会で金賞ってめっちゃすごいことやねんけど、いちばんって意味ではないんよね。」
・・・
「上位三校が金、銀、銅なわけやなくて、参加した団体全部に金、銀、銅のいずれかの賞が与えられるというわけです」
・・・
「次の大会に進めない金賞のことを”ダメ金”って呼んだりします」
「金賞なのにネガティブ!」
「確かに確かに」
「せっかくやからもっとええ感じの呼び方したらええのにね」
・・・
「……うちの子たちがアホですみません」
・・・
「謝らんでええよ。むしろそういう吹奏楽部の外から感じる視点っていうのも緑は大事やって思う。コンクールって、これまでの練習の成果を見せる場所なわけやから、その思い出が悲しくなるのって嫌やもんね」
(一部抜粋)
緑輝はさらに、A・B編成の話に続きます。
「A部門の出場メンバーは指揮者を除いて五十五人。北宇治は部員数がすでにこの定員をオーバーしてるんで、当然メンバーはオーディションで決めます。」
「ということは、A部門かB部門に分かれるってだけで、コンクールには全員参加できるんですよね?」
それまで丁寧な相槌を打っていた佳穂が、笑顔のまま緑輝に問いかけた。
「うん。全員本番の舞台に立つよ」
「それってめっちゃ素敵ですね。みんなが主役みたいで」
無邪気な感想に久美子の心臓はざわついた。なぜ動揺したのか、自分でもわからない。
「佳穂ちゃんいいこと言うね。緑も、吹奏楽部のそこが好き。」
「楽しい思い出をみんなで作れたらなって思います。」
(一部抜粋)
余談ですが、なぜ久美子の心臓がざわついたか。これは先述した勝敗・優劣に重きを置いている久美子にとっては、正直「B編成は主役じゃない」と思ってるという事なんだと思います。そんな久美子の胸の内に、佳穂の「無邪気な感想」がチクチク刺さったんだろうと思います。
話を戻します。沙里以外の初心者3人相手に、とても暖かい解説をする緑輝さん。"音楽は競技ではない"という考えがあるからこその緑輝の台詞の数々。彼女のコンクールに対する姿勢が良く分かります。
真由が、「三年生から部活に入ったら迷惑になったりしないか」と入部を迷う場面では、
「しいひんよ!緑、新しい友達が増えたらうれしいもん」
と返します。"強豪校だから戦力的に云々"というではなく、単純に"部活仲間が増える事がうれしい"と掛け値なしに言えるところが緑輝の価値観の現れだと思います。
一方この考えに対して、コンクールの結果軽視や競争原理の否定もしない所が緑輝のバランス感覚の良さです。課題曲と自由曲が決まった時に、弦バスソロの話になった際には、求にこう言います。
「求くん、ちゃんと自分がソロを弾くつもりある?」
「いえ、まったく」
「若者よ、向上心を持つのだアターック!」
葉月:あかんで、求。どんなときでもてっぺん目指さな。緑を倒して俺がソリストや!ぐらいの心意気見せへんと
「はあ。心意気、ですか」
(一部抜粋)
ここのバランス感覚の良さが、北宇治にとって非常にマッチしています。空気が重くなり過ぎないような言い方で求の向上心を引き出そうとしています。
この、見出しにも書いた「コンクールの競技的側面を蔑ろにせず、音楽を楽しむという根本を忘れない」という考えは、コンクールの結果重視・実力主義重視の久美子と、コンクールの結果を気にしない・実力主義懐疑の真由という、交わる事が難しい2つの考えを取り持つ可能性があります。葉月が、久美子と同じくらいコンクールの結果と実力主義重視の姿勢なので、後編で久美子と真由がコンクールに対する考え方で対立した場合、間を取り持つのはパーリーの緑輝かもしれません。




  • 葉月のAメンバー入りに、ただただホッとする
やっぱり、3年生が最後のコンクールに出られないというのは、個人的にはいい気分はしないので・・・。ともあれ、葉月が3年生でようやくAに入れて本当に良かったです。

・・・後編では「3年生を差し置いてコンクールに出たくない」とか言い出してオーディションを辞退する下級生が出たり・・・?しないか・・・。



  • 後編のあらすじに、「久美子と麗奈が衝突」と書かれていたが・・・
個人的な予想では、久美子・麗奈・秀一が三つ巴で衝突するんだろうと思っていました。が、後編のあらすじには久美子と麗奈の衝突の事しか書かれていません。秀一なんかは、明らかに麗奈と音楽観が合ってないように描かれてると思ったんですが・・・。








なんとかかんとか後編刊行前に"その3"まで書き終えることが出来ました。
読みにくい文章で本当に申し訳ないです・・・。
そして、最後まで読んで頂きありがとうございました!それでは、後編の感想ブログでお会いしましょう!


あぁ、ついに響けユーフォニアムシリーズが終わってしまう・・・。






【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 最終楽章 前編」の感想など その2

4/17に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
その2です。
まさか2ヶ月近くかかるとは思いませんでした。気が付けば、後編刊行まであと1週間。その3は間に合うのだろうか…。


最終楽章前編が刊行されてから今まで、色々な方の考察ブログを拝見しました。どれもこれも唸るものばかりで、このブログは「過去に拝見した考察ブログに引っ張られてしまってないだろうか」という不安に常に苛まれながら書きました。もしそういう部分がありましたら、大変申し訳ないです・・・。


因みに、今回のブログは麗奈に対してちょっと厳しい物言いになってる部分が若干あるので(もちろん、麗奈を貶めようという意図はありませんよ!)、麗奈ファンの方は一応ご注意頂けると・・・。










当然ながら、以下ネタバレ注意です!
















  • 今までの作品中で全肯定されてきたカリスマという存在の危うさ

1巻での物語の中心は「堕落した吹奏楽部にカリスマ指導者が現れて劇的変化を起こす」というものでした。この時のカリスマは、まさに滝先生でした。
第二楽章では、優子部長の持ち前のリーダーシップで部員が見事に意思統一されました。この時のカリスマは、実は滝先生より優子部長でした。優子部長の場合、夏紀先輩の手綱さばきもあって、部内の雰囲気は非常に良かったようです。
が、麗奈や久美子を始め、多くの2・3年生部員が、それこそが関西止まりだった原因と考えているようで、先述の通り優子部長も、それが"敗因"だと言っています。
そして最終楽章では、そんな思いを持つ久美子が部長に、麗奈がドラムメジャー(生徒指揮)に就任します。久美子の代でのカリスマは、間違いなく麗奈です。そしてその麗奈は「2年生の時に夢のパート割りを巡って優子部長と意見が対立し、自分の意見を取り下げた結果関西止まりだった」という経験も追加されているので、「甘えを排し、部員一人一人が厳しく自分を追い立て、緊張感を持ち、競争意識の中でより高みを目指す事こそが全国金賞への道である」と考えています。例えば、楽器・パート紹介の時には

「アタシは自分が優しい先輩だとは言えません。厳しいことも言うと思います。ただ、絶対にみんなを上へ連れていくという自信があります。」
麗奈の言葉はまっすぐに芯が通っている。その力強さに心を動かされた一年生部員も少なからずいるようだった。
(一部抜粋)

この時点で、新一年生の中で麗奈のカリスマ性に魅せられた部員がいる事が書かれています。ここが後のすずめのボイコットを示唆するシーンに繋がります。
全国金賞という目標が決まった後にはこのように演説します。

「北宇治の演奏は上手い。けれど、ただ上手いだけでは全国金賞という目標は達成されない。」
「北宇治は、一番を目指しましょう。高校生にしては上手だね、ではアタシは満足できません。北宇治が一番上手いって言われたい。そのために、みんなには高みを目指してほしい。」
「ドラムメジャーとして、アタシも全力で一年間、北宇治を引っ張っていきたいと思っています。全国大会金賞、取りに行きましょう!」
麗奈の言葉に、士気は一気に高まった。そのカリスマ性は闇を裂く鮮烈な光みたいに、強烈に周囲を惹きつける。よくも悪くも。
(一部抜粋)

ここで全シリーズを通して初めて、カリスマという存在に対して「よくも悪くも」というネガティブな言葉が添えられます。
麗奈は、滝先生や優子部長と比べても音楽観が先鋭的かつ排他的で、共感する人にとってはどんどん熱量が上がっていく反面、付いていけない人には全く付いていけません。すずめが、久美子に一年生の集団退部の可能性を告げるシーンで、1年生みんながヤバい空気になっているのかと久美子に聞かれた際に、すずめは以下のように言います。

「全員じゃないですよ?むしろ、経験者の一年生は高坂先輩に同調する声の方が大きいですし」

先述の楽器紹介の時点で書かれていた、麗奈のカリスマ性に引っ張られた少なくない数の1年生が、麗奈をカリスマとして信奉する勢力として多数派となり、初心者を始めとした、麗奈に付いていけない少数派を追いやり始めている様子がうかがえます。
それを感じさせるのが直後の、クラの2年生が久美子に「塾があるからと居残り練習をしない2年生が居る」と不満を口にするシーン。どうやら同じ現象が2年生の間でも起こっているようです。

「私、去年みたいに先輩たちが悔しがる顔は見たくないし、実際そうなったら後悔すると思うんです、絶対。だったらいまのうちに二年生としての自覚を持って頑張ってほしいなって思うんです」
「私はやっぱりみんなと同じ熱量を持ってほしいというか・・・足を引っ張るやつはいらないって思うんですよ」
そう告げる後輩の顔は大真面目だ。
五月になって以降、こうした内容の相談が増えた。下手なやつはいらない。そういう排他的な空気が、部内を支配しつつあるように思える。

このシーンがある2章冒頭の幹部ノートに、麗奈は

滝先生は本気で全国で金賞を取れるって思ってて、そのために行動してくれてる。アタシたちもその期待に応えようとすべきだし、駄々をこねる子に付き合ってられない。北宇治は上を目指してる。その夢のために行動できない子をフォローする必要って、本当にある?

と記しています。この麗奈の考えが、麗奈をカリスマとして信奉する部員に伝播している訳です。そして、カリスマを信奉する者は、カリスマと同等か、場合によってはそれ以上に先鋭化する事が良くあります。麗奈の方針に賛同・酔心した部員が増える事で、「ついてこれない奴は不必要である」という排他的な空気が醸成されきています。第二楽章であれだけ流行った「大好きだよゲーム」は、最終楽章では部員がやっているシーンが一切出てきません。というか、出来るような空気を最終楽章では感じません。
このように、麗奈のカリスマ性は終盤まで不穏なニュアンスで描かれているのですが、オーディション結果発表後に麗奈が「ひと言」を部員に発する場面だけは、前作までのように肯定的なニュアンスで描かれています。

「ここにいる百三名は全員が仲間であり、ライバルです。」
「北宇治の今年の目標は、全国大会金賞。その夢を叶えるためには、生半可な努力では足りません」
「アタシは勝ちたい。立華にも、龍聖にも、どの学校にも。」
「去年の夏の、あの関西大会のときみたいな思いはもう二度としたくない。全員で全力を尽くしましょう」
(一部抜粋)

「競争・勝敗・優劣」というニュアンスが麗奈の言葉から溢れています。ただし、この直後に美玲が久美子にオーディションの結果に物言いを付けるシーンが入れることで、やはりここでもカリスマという存在に不穏な空気を纏わせています。詳しくは後述。
響けユーフォニアムシリーズは、第二楽章まではカリスマという存在が肯定され続けてきました。というか、カリスマのプラスの側面ばかりが表立ってきました。が、今までのカリスマ2人に比べて明らかに先鋭化した考えを持つ麗奈がカリスマの地位に立った途端に、カリスマという存在の危うさを描き出した武田先生。後編でこの辺をどのように爆発させるのでしょうか。






  • 佳穂は練習中の疑問をユーフォの先輩に聞けないでいるのか?

その1で「佳穂の登場回数の少なさが気になる」と書きましたが、佳穂についてもう1つ気になる箇所があります。それは、すずめがさつきからチューナーを見ながらチューニングしているのを注意されるシーン。まだ音感があまりついていないすずめは「高いとか低いとかよく分からない」と言います。それを聞いていた佳穂が割って入ります。

「それ、私も思ってた!」
「合奏のときに、高坂先輩とか滝先生が指摘するじゃないですか。」
「その場で修正して直すのはわかるんですよ。でも、次の演奏時には戻っちゃいません?音の高い低いって自分でコントロールできないと思うんですけど」
普段は聞き役に回る佳穂がここまで饒舌に主張するのは珍しい。前々から疑問をため込んでいたのだろう。
(一部抜粋)

いやいや久美子さん、「ため込んでいたのだろう」じゃないでしょ…。もしかして佳穂は、練習中に聞きたい事があっても久美子や奏や真由に聞けずにいる事があるのでしょうか。だとしたら、佳穂はあまりいい練習環境に居るとは言えない気がしますが・・・。
この直後、縣祭りがあり、久美子・奏・求以外の低音パートがみんなで縣祭りに出かけます。もしかして、ここで久美子と奏が参加していない事で、真由と佳穂の距離が縮まったりという可能性もあるなぁと思ったりします。










  • ようやく部員達に色々委ねるようになった滝先生、滝先生をとにかく絶対視する麗奈、滝先生依存に疑問を持ち始めている秀一、滝先生と麗奈にひたすら追従してきたがここに来て滝先生への疑念を抱き始める久美子

アンコン編の感想でも書いた通り、やはりアンコンでの試みは、滝先生が部員に権限移譲をさせるための前段階だったようで、滝先生は選曲・練習計画・部活運営についてある程度生徒に委ねるようになっています。久美子も、練習計画を練るに当たってその事を感じています。
ただ、肝心の部員側、特に麗奈は事あるごとに滝先生絶対視を断固として主張します。
コンクールの選曲を滝先生が幹部三人に相談する場面。滝先生は「選曲の相談を他の部員にもする場合には全部員に周知するか、それが出来ない場合は周知しないように。多数決でも、私に一存でも構わない」と三人に尋ねた際には、そんな麗奈と、滝先生に対してそこまで絶対視をしていない秀一と意見が対立します。

「アタシは滝先生の判断にすべて任せて構いませんけど。先生が間違った判断をくだすはずがないですし」
「俺は全員で多数決でもええと思うけどなぁ。」
「音楽的な知識が深い子と浅い子の一票が同じ重みってのは怖いでしょ」
「そんなん言うても、それが民主主義やろ」
「飛び抜けていいものを作ろうと思うなら、絶対的な決定権を持つ人間を一人置いておくべきやとアタシは思う。みんなで決めた、は責任の分散にはなるやろうけど、なあなあの判断になる可能性は高い」
「自分が判断に関わることで、人任せでなくみんなで音楽を作るんやって自覚が芽生えるパターンもあると思うけどな。とくに、先輩と後輩に挟まれた二年生部員は宙ぶらりんな立ち位置になることが多いから、できればいろいろと核となる事項には関わらせてやりたい」
「成長を促すチャンスならほかにもあるやろ。コンクールの曲決めは今年一年の活動を左右するねんで。塚本の意見は弱すぎ」
「でも俺は、なんでもかんでも顧問におんぶに抱っこな部活もどうかと思う」
「なんでもかんでも、ではないでしょ。大事なところは滝先生に任せたほうがいいって言うてんの」

一応自由曲の候補を「3曲の中で」とは言っているものの、正直滝先生は十中八九「一年の詩」になるように仕向けてる感は無くはないですが・・・。さておき、先述のカリスマ云々の話とも関連しますが、秀一は滝先生依存に対して弱いながらも危機感を覚えています。が、麗奈は滝先生を妄信に近い形で信じていて、かつ全国金賞が"目的"になっているので全く聞き入れません。その後も、秀一がオーディションで部員全員で決める方法を提案した際にも、強い口調で拒絶します(因みに香織先輩との再オーディションの時には、全員の挙手制にしていたアニメ版と違い、原作では滝先生が判断する事になっていました)。その1でも書きましたが、前編では麗奈と秀一の考えの違いが随所に表面化していて、それは府大会直前の幹部からの一言の時の「険悪なムード」に繋がっていきます。
麗奈の滝先生絶対視は、各大会でオーディションをやる事を発表したシーンが一番ハッキリと描かれます。奏に「最後だからって急に3年生が優遇されたりしないですよね?」と聞かれた麗奈が「そうならないように滝先生に判断を委ねる。滝先生が判断を誤ることは有り得ない」と言い切ります。その後の奏の

「高坂先輩は滝先生を心から信頼されてるんですね」

というセリフは、質問を横取りされた美玲の表情や、後述するオーディション後の美玲の久美子に対する訴えを考えると、麗奈に対する強烈な皮肉の可能性もありますが、それは、麗奈が「滝先生は全国でも最高レベルの指導者だ」と断言した後の

「もちろん、私もそう思います。」

というセリフが額面通りなのかによって大きく違ってきます。奏の心境は、はたしてどちらだったのか・・・。

一方の久美子は、サンフェス終了後に滝先生が他校の顧問と談笑している場面を目撃するシーンと、美玲から直談判を受けた直後のシーンで滝先生への疑念を抱きます。ここが、妄信に近い麗奈との差です。いずれの場面も「本当に単純な実力だけでメンバーを選んでいるのだろうか」という疑念で、特に後者は「自分の演奏技量だけがソリに選ばれた理由なのか」というものなので、その疑念は自分が絡んでくる事なのでモヤモヤが増幅されています。

滝は奏者としての力量のよし悪しで自分をソリストにしたのか、それとも部がまとまることを優先して自分をその位置に置いたのか。
頭ではわかっているのだ。滝がそんなことをするはずがない、と。それなのに、負の思考が脳を渦巻いて消えてくれない。

"真由と久美子の関係"の所で詳しく書きますが、久美子にとって「奏者としての優劣・勝敗」は非常に重要な要素なので、奏者としての純粋な力量でソリストに選ばれたのか否かというのは、久美子にとって極めて重要な事なのです。
ここで思い出されるのは、第二楽章で夏紀先輩がAメンバーに選ばれトロンボーン唯一の3年生が落選したシーン。第二楽章の感想で「同じくらいの力量だった場合は、部員のモチベーションも考えて副部長である夏紀先輩をAに入れた可能性」について書きました。音楽において奏者の精神状態というのは演奏に直結します。その事を滝先生が知らないはずがない。真由と久美子が同程度の力量だった場合、部の空気を優先して、あるいは同じ場面でソリを吹く麗奈との音色の相性を考慮して久美子がソリに選ばれた可能性は充分にあります。久美子が今までその可能性を全く考えていなかった事と、その可能性が脳裏に浮かんでいる事を打ち消そうとしている事の方が個人的には不思議です。それだけ久美子は滝先生に盲目的に追従してきたとも言えます。
その盲目的に追従してきた事は、上記直前の、滝先生に「なぜすずめをAに入れたのか」を問うシーンに表れます。滝は「編成バランスを考えた時に、音量の豊かさを考慮してすずめをAに入れた。演奏技量だけが奏者の能力ではない」と言います。個人的には至極真っ当な返答だと思うのですが、久美子は「隙のない解答」といいつつも、純粋な演奏技量以外の要素が選考に影響しているという事が受け止めきれない様子が描かれています。

自分は本当に、滝に言われるがままに動いていていいのだろうか?

この一文は「今まで滝先生に盲目的に追従してきた」久美子が「純粋な演奏技量以外の要素を選考に反映させた滝先生へ疑念を抱き始めている」という事を端的に表現しています。この直後、久美子は滝先生に尋ねます。

「滝先生は、私たちを全国に連れていってくれるんですよね?」
「その言い方は正しくないですね。正確に言うならば、全国には皆さんの力で行くんです。私だけでは何もできません。音楽を作るには奏者がいなくては」

因みにこの滝先生のセリフは、先述のパート紹介の時に麗奈が言った「絶対にみんなを上へ連れていくという自信があります」というセリフと対になっています。久美子の「連れていってくれるんですよね」というセリフは、滝先生に盲目的に追従してきた事の他に、全国大会に行く事が"目的"になっている事を表しています。
この滝先生の返答に久美子は

滝の頭のなかでは、きっと理想の音楽がすでにできあがっているのだろう。彼の望む音楽を求めて、部員たちはこれまで努力を重ねてきた。

と考えます。第二楽章の感想ブログでも書いたのですが、久美子は吹奏楽部への考えが「コンクールで良い賞を獲りたい」に偏っていて、「やりたい音楽」「目指したい演奏」といった音楽性に対する考えがあまりなく「滝先生の望む演奏をひたすらに追いかけていけば、全国大会で金賞が獲れる」という考えの元に突っ走ってきました。3年生の府大会直前でも、久美子はまだ音楽性の考えが深化していないという事が表れています。全国大会で金賞を獲る為には、部長である久美子が「そもそもどういう音楽をやりたいのか」「どういう演奏を目指したいのか」をハッキリ描く事が不可欠だと思うのですが、どうでしょうか。
その1でも書きましたが、このように、顧問・部長・副部長・生徒指揮の考えが、ゆっくりと、しかし着実にズレ始めています。この歪みは間違いなく後編で火種になるでしょう。








  • 美玲が久美子にオーディション結果の不満を訴えるシーンは、前編の不穏な描写の総決算

先述の通り、麗奈の演説の直後に、美玲が久美子に物申すシーンがあります。美玲の台詞は、作中のあちこちで滲み出ていたカリスマ(=麗奈あるいは滝先生)に向けられる不穏な空気を、「滝先生の判断への不信」という事で久美子に訴えます。

「今回のオーディション結果、先輩は納得していますか?」
「みっちゃんは納得してないの?」
「正直に言えば、あまり。どうしてさつきがBで釜屋さんがAなのか、滝先生の考えが理解できません。」
「北宇治は実力制なんですよね?将来性ではなく、現時点での能力を比べて優れている人間をメンバーに選ぶ。そういうシステムだと私は思っていたんですが」
「滝先生は滝先生なりの考えがあるんだと思う。じゃなきゃ、さっちゃんよりすずめちゃんのほうがいいって判断にならないだろうし」
「それはつまり、黄前先輩も順当に考えたらさつきがAになるべきだって思ってるってことですか?」
彼女は疑っているのだ。この部の絶対の指針である、滝の判断を。
「滝先生は私たちとは違う次元でそれぞれの演奏と向き合ってる。私たちの判断よりも滝先生の判断のほうが結果的には正しくなるはず。」
「黄前先輩は滝先生の判断を支持するということですね?」
こちらを見下ろす眼差しは、ひどく冷静だった。
それから目を離さないまま、久美子はコクリと短く首を縦に振った。
「分かりました。黄前先輩がそう言うなら、いまの滝先生の判断を信用することにします」
(一部抜粋)

滝先生の判断が「絶対の指針」と思っている部員が大半で、だからこそ美玲は表立って言えなかった訳です。そして、先述の"カリスマの危うさ"と"麗奈や久美子の滝先生絶対視"の部分を端的に表現した台詞を美玲は言います。

「先輩たち・・・今の三年生にとって、滝先生は神域なんだと思っています。弱小校を強豪校に導いたカリスマだし、先輩たちは部が強豪校に変貌していくところを実際に目の当たりにしている。でも、一年生、二年生にとって、北宇治は入部した時点で強豪校なんです。私たちは北宇治が弱小だった時代を知らない。滝先生は確かに素晴らしい顧問だと思っていますが、でもきっと、三年生ほど滝先生を絶対視することはできない。それだけは、頭の片隅に留めておいてほしいんです」

ここにきて、ユーフォシリーズを通して初めて「滝先生は絶対なのか」という事が明言されます(サンフェス最後の場面は久美子の脳内の話なので)。そしてこれは、「滝先生への不信=滝先生を絶対視する久美子や麗奈への不信」にもつながっていきます。と同時に、作中でもチラチラと顔を覗かせていた「部員間での考え方の齟齬」も表されています。この部分が、その1で書いた「今までの北宇治に於いて正義・正解とされてきた考え方にメスを入れていきますよ」の部分です。
この場面は、先述した「大会毎にオーディションをする」と発表した際に、美玲の発言を横取りした奏が、麗奈の「滝先生が判断を誤ることは有り得ない」という発言を引き出した場面と繋がっています。その横取りされた美玲が「滝先生の判断を絶対視できない」という所がポイントです。横取りした奏の返答が皮肉だとすれば、奏は美玲に助け舟を出した事になり、2年生の中でも滝先生や麗奈への不信がくすぶっていると解釈できますし、もし額面通り奏も滝先生を絶対視してるとすれば、2年生の中で美玲のように滝先生を絶対視出来ない部員が声を上げる事が出来ない状態になっているとも解釈できます。
また作中を通して流れていた切迫感を、「部内の空気」という事で久美子に訴えます。

「今年は最初から空気が違っていて、ずっと競争をあおられている感じがします。自分の意志で動いているというより…なんというか、駆けっこをしているときに後ろからライオンに追われている、みたいな。危機感に脅されてる気持ちになることが多いような気がして。」

美玲は2年生なので、今年と去年の比較でこのように言います。つまり優子と麗奈、2人のカリスマが作る部活の空気が全く違っていると訴えている訳です。部員たちは「全国大会金賞(を自分が獲得したい・滝先生に獲得させてあげたい)という"目的"、あるいは関西止まりの悔しさを二度と味わいたくないという『ライオン』に追い立てられている麗奈」という「ライオン」に追い立てられているという構図です。麗奈のこの心境に関しては後述します。
美玲は、この場面で前編の不穏な空気を総集編のように語ってくれます。ここまで分かりやすいシーンが組み込まれたという事は、後編で「滝先生(あるいは滝先生を絶対視する麗奈や久美子)に対する不信」と「全国大会金賞というライオンに追い立てられて疲弊する部員達」が大きなカギになるのは間違いないと思います。










  • 求と源ちゃん先生の件は、もしかしたら全てが明らかにならないかも

サンフェス終わりに龍聖の樋口君と何やら揉めていた求。源ちゃん先生が求のおじいさんである事は周知の事実ですが、明らかに何かイザコザがあったような書き方をされています。
そして、求には姉が居ること、お盆には墓参りをする事などが書かれています。分かりやすく「伏線ですよ!」というガッツリとした伏線が張られています。
過去に武田先生は「人間関係に於いて、その人のバックグランドを全て知るという事は現実的でない。だから、続編を想定していなかった1巻においては、敢えて「明らかにならない部分」を残す事でリアリティを出した」と仰っていました。
もしかして・・・、全く触れられないというのは考えにくいですが、全ては詳らかにならない可能性もある気がします。和解するにしても、過去に具体的に何があったかは久美子(読者)は知らされない。とか、あるいは和解せずに終わる可能性もあります。後編ではどの程度詳らかになるでしょうか。







  • トイレでの1年生二人の会話は、読者への当てつけ・・・?
読者の誰もが息をのんだ、トイレでの1年生の会話のシーン。これこそが北宇治のリアルな空気だと久美子に突き付けます。
「ユーフォのソリが誰になるかやなぁ」
「黄前部長でしょ?上手いし」
「それが、今年は黒江先輩が入ってきたからわからんらしい」
「えー、黒江先輩がソリストになったら副部長とドラムメジャーが怒るんとちゃう?あの人ら、部長贔屓なところあるし」
「どうなるかわからへんでー。滝先生、空気読めへんし、」
「ピリつく空気で合奏すんの嫌やわ。どうか部長がソリストに選ばれますように」
「そしたら部のまとまり自体はよくなるしな。黒江先輩って、やっぱ転入生やし」
「あーまだ馴染んでない感じはする」
「見てるこっちも、黄前部長のほうを応援したくなるしなー。」
(一部抜粋)
どんなに実力主義を徹底しようとしても、音楽は人間のする事で、ましてや高校の吹奏楽部となれば、部員の心情を排除する事は不可能に近いです。
気付かれた方も多いと思いますが、「副部長とドラムメジャーが」の部分は、「読者が」に置き換えてもそのまま読む事ができます。そして、この2人の台詞は、まったくそのまま読者の声として読む事もできる文章になっています。

「滝先生(あるいは武田先生?)、空気読めないし」
「どうか久美子がソリストに選ばれますように」
「真由はまだ馴染んでない感じはする」
「読んでるこっちも、久美子を応援したくなる」

自分には、北宇治の後輩の本音が久美子に突き刺さるというシーンであると同時に、武田先生が読者に向けて
「みなさん読者は、こういう事を思って読んでると思いますが、それは麗奈と香織先輩のソロ争いの時に、香織先輩を支持した優子を始めとした香織先輩派の部員と同じですよ」
という事を当てつけに言っているシーンだと感じました。「当てつけ」と言うと言い方は悪いですが、武田先生はユーフォシリーズを通して「正義は、視点や立ち位置を変えれば、別の正義が見えてくる」という事を表現されてきました。特に音楽とは「正解」の定義は非常に曖昧で難しく、だからこそ揉め事も多いのです。
そしてこれは「読者の皆さん、私がこのままスッキリ収まって"めでたしめでたしチャンチャン"な物語を書くと思いますか?そんな訳ないでしょ?」という、武田先生からのある意味宣戦布告とも解釈できなくもないですが、どうでしょうか。






  • ちかおとちえりちゃんがソロに指名されてて何だか和んだ
末永くお幸せに。というか、もしちかおがちえりちゃんを悲しませるような事をしたら許しません。
それにしても、3年生がA編成で出れないというのは、どうしても気持ちのいいものではないです・・・。






  • 久美子の「コンクールで良い賞を取ることが何を賭しても至上である」と「部員全員にとって楽しい部活だと感じてほしい」という両立が至難な2つの考え
これは前編の全体を通して久美子が頭を悩ませ続けます。
第二楽章後編の感想などでも書いた通り、久美子は基本的にコンクール至上主義的な考えを持っています。ただ、アンコン編でも垣間見えたように「音楽を楽しむ・部活を楽しむ。コンクールで良い賞を獲る事が全てではないのではないか」という相反する考えも覗いています。それは恐らく葵先輩の事もあるでしょうし、そもそも久美子のコンクール至上主義は麗奈の影響を受けての事で、部長という立場になった事で部内全体に気を配る必要が出た事で視野が広がったというのもあるでしょう。ともあれ、アンコンでの経験がそういう考えを芽生えさせるきっかけになったのは間違いありません。
新一年生が入って最初のミーティングで、恒例となった「部の方針を多数決で決める」シーン。圧倒的なリーダーシップの元「コンクールで良い賞を獲るぞ!」の空気を部員達に纏わせた優子部長と違い、久美子は1年生だった頃の自分が経験したものと同じ居心地の悪い空気を感じ取ります。
エスかノーか、その選択を強制するような空気がじわりじわりと足元から忍び寄る
その空気の結果、満場一致で全国金賞を目指す事になった後に、部員に向けて色んな配慮の滲む台詞を言います。
「大変なこともあると思いますが、みんなで頑張っていくのがいちばんだと思っています」
「・・・だからその、いまこうして決めた目標はブレさせないようにしましょう。みんなで頑張って力を合わせたら上手くやれると思うし、苦しいこともつらいことも乗り越えられると思っています。あ、もちろん苦しいとかつらいことばっかりじゃなくて、楽しいこととかうれしいことのほうがたくさんある部活にできたらいいなとは思ってるけど。ただ、どうしても誰かにとって納得のいかないこととかも起こってくると思うから、そういうのも全部上手くやれたらいいなって。」
(一部抜粋)
久美子の部活に対する姿勢は、この一文に集約されていると思います。と同時にこの台詞は「最終楽章では、部員達は苦しいこと・つらいことを乗り越えられないかもしれない。誰かにとって納得いかない事が起こって、上手くやれないかもしれない。そういう爆弾を仕掛けてますよ」という武田先生の予告とも解釈できます。

先述の、クラの2年生の相談を受けた後、久美子はこう思います。
せっかく吹奏楽部に入ってくれたのだから、一人だって退部者を出したくない。全員にとって居心地のいい部活であればいいと思うし、それが理想論であることもわかっている。
これは、こと吹奏楽部にとっては至難の業です。音楽が競技ではない以上、音楽観と言うのは百人百様だからです。秀一も「部員全員の考えをコントロールしようとするのはおこがましい。辞めたい子がいるなら、受け入れるのも大事だ」と諭します。それでも久美子は一年生に北宇治吹奏楽部を好きになって欲しいと願います。
この一文があるという事は、後編において退部騒動が起こるかもしれない、もしかしたら「もうこんな部活続けられません!」と言って、実際に退部者が出る事も充分想定されます。
そして、この部分が「何が何でも全国大会金賞」という麗奈の考えと決定的に違う部分でもあります。最終楽章前編は、読み込めば読み込むほど久美子・秀一・麗奈の吹奏楽部に対する考え方の齟齬が浮き彫りになるように仕組まれているように感じます。







それでは、その3に続きます。
なんとか後編の刊行前に書き終わるように頑張ります!


【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 最終楽章 前編」の感想など その1

ごきげんよう
プライベートでゴタゴタがあって色々バタバタしている無味Pです。

今回は、4/17に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編」
を読んで、気付いた事などをネタバレガッツリ込みで書かせて頂こうと思います。

気が付けば刊行から1か月以上も経過していました。当然のようにその2・その3に分割致します。果たして後編刊行までに書き終わるのか・・・。若干不安です。




以下ネタバレです!
























  • やっぱり、第二楽章での「コンクールの結果が最重要」みたいな空気は、最終楽章へのながーい伏線だった?
元々響けユーフォニアムは、1巻の段階では続編を想定していなかったと武田先生は仰っていました。アニメ化を機に2・3巻と続編が刊行されたのですが、ここでもまだ2年生以降を執筆するか決めてなかったんだと思います。
ただ、第二楽章を執筆した段階では、少なくとも武田先生の中では3年生編まで書く事を決意していたんじゃないかと思います。そんな中で第二楽章は、優子先輩のリーダーシップもあって、「コンクールの結果が全て」な空気がどんどん濃くなって行っていました。特に関西カラ金に終わった後の展開は、加部先輩の体育館でのシーン以外は

・優子部長が、部内の調和を重視し過ぎた事が"敗因"だと語る
・直後の久美子の「自分たちの努力は報われなかったんだ」と言いながら悔し涙を流す
・コンクール結果重視の最右翼である麗奈のドラムメジャー(事実上の生徒指揮)就任
・部長に指名された久美子が、金賞を獲る為に部長職に集中したいと言って秀一と別れる

等々、「3年生編では『コンクールで良い賞を獲る事が全て』の空気がどんどん先鋭化しますよ」という予告と解釈できるシーンが沢山ありました。
自分としては、これは間違いなく3年生編への布石あるいは伏線だろうと思っていましたし、武田先生の事だから、先鋭化していく事での揉め事が起こって、そしてその中心は、コンクール結果重視の最右翼である麗奈じゃないかなと想像していました。
概ねそんな感じにはなりましたが、麗奈との対立軸は緑輝だと思っていたので、そこは大外しでした…。そして、「コンクール結果重視」に反発する部員が現れる所までは想像していましたが、さらに進んで滝先生の指導・方針そのものに部員側から不穏な目が向けられる所まで行くのは想像していませんでした。
因みに、第二楽章までは本文中(つまり久美子の心中)に表れる事の無かった言葉が、コンクールの曲決めの際に出てきます。
いい演奏とはいったい何か。答えはまだ、見つかっていない。
シリーズ最終巻となる後編で、久美子なりの・北宇治高校吹奏楽部なりの答えを出す事ができるでしょうか。






  • ほぼ全編を通して伏線張りのみで前編が終了
武田先生ご自身も、ツイッター
新刊の前編は楽しくなってたくさん種蒔きしちゃったんですが、その分、後編がすごいことになってます
と仰っています。
過去のユーフォシリーズでは、1年生編である2巻・2年生編である第二楽章前編、どちらも物語の序章の巻ですが、中盤あるいは終盤で何かの大きなトピックとその解決がありました。2巻で言えば、希美先輩とみぞれ先輩の鉢合わせからの(元の木阿弥になる形での)和解。第二楽章前編で言えば、オーディションでの奏・夏紀先輩・久美子の場面。
ところが、今作では何か起こりそうで起こりません。「これは伏線だろうなぁ」という出来事がいくつも起こって、それが爆発しないまま後半へ続きました。例えば立華編なども、前編ではそこまでの重大インシデントは起こらずに、後半で一気に噴出したりはしましたが、あれは"前編で種蒔きして後半で怒涛"という感じとは少し違ったように思います。
恐らく、今まではある程度新規に読む人が単巻でも楽しめるように各巻ごとに山場を作っていたのを、「最終楽章まで読んでくれている人は既刊本も読んでいる」という前提に基づいて、前半に大きな山場を作る必要が無く、だったら"前編で種蒔きして後半で怒涛"をやろうと武田先生が判断したのではと思います。
読み手としては、いつ爆発するか分からない時限爆弾が次々と仕掛けられていき、最後まで大爆発する事なく後半へ続いた感じでした。
読む前は「あぁ、この後編が刊行されたら、今度こそ響けユーフォニアムという物語が終わりを迎えてしまうのだな」と思えて、後編が刊行されるのが寂しい、まだ終わって欲しくないという気持ちがありましたが、前編を読み終える頃には「おいおい!これどうなるんだよ!早く続きが読みたい!」と思っている自分がいました。武田先生の小説家としての力量が益々高くなっている事に感服するしかありません。






  • プロローグは、良く読むと一人称が誰なのか明記されていない
これは読んだ方は結構な人数引っ掛かった所だと思います。自分は初見時には何の疑いも無く滝先生の話だと思ってましたが、確かに良く読むと誰の話なのかが明記されてないんですよね。恐らく久美子が北宇治の顧問になって3年目の話なのかなとは思いますが、あるいは裏の裏で滝先生視点なのか。滝先生と久美子が全く同じシチュエーションを経験したとも考えられます。ウルトラCは、久美子以外の部員(葉月・秀一・美玲・さつき・佳穂等)や、まさかの梨香子先生なんて可能性も・・・、いやさすがにそれは無いですかねww







  • 前編の空気を皮肉るようにプロローグに表れた「音を楽しめ!」というスローガン
先述の通り、最終楽章前編は全体を通して「コンクールの結果が全て」の空気が先鋭化していきます。記憶が曖昧ですが、確か過去に麗奈が「音楽を楽しむっていう意味が良く分からない(あるいは、自分には音楽を楽しむという感覚が無い)」というようなニュアンスの事を言っていた記憶があります。そんな麗奈が生徒指揮を務めている訳ですから、「音を楽しめ!」なんていうスローガンは皮肉でさえあります。そう考えると、やはりこの場面は滝先生の話ではないのでしょうか?






  • ホルンの森本さんが、この巻では名前すら出ず・・・
アンコン編で驚きのサブキャラ昇格を果たしたホルンの森本さんですが、この巻では名前すら出ませんでした。つばめがアンコン編に引き続き、本筋に絡んでくる主要キャラになっていき、その絡みで順菜ちゃんも良く名前が出るのとは対照的で・・・。後編では、せめて名前だけでも!





  • 一昨年全国銅・去年関西金の学校で、低音に入る新1年生が全員初心者・・・
自分は強豪校出身ではないのでその内情は分からないのですが、いくら公立とはいえ、低音に入る新1年生が全員初心者というのは、ちょっと切ない気持ちになりますね・・・。「北宇治でチューバ吹きたい!ユーフォ吹きたい!」みたいな中学生が現れなかったのでしょうか?
それから、これは余談ですが、北宇治って低音の男子率低いですよね。低音ってどの学校も男子率が上がる傾向にあるのですが、久美子が1年生の時には後藤先輩のみ。3年生の時には求君のみ。特にチューバが5人居るのに、全員が女子というのは、なかなか珍しいんじゃないでしょうか?



  • 佳穂の自己紹介でニヤニヤできる
佳穂が自己紹介の時に
「やったことのある楽器は鍵盤ハーモニカとリコーダーです」
と言った自分の中でガッチリ刺さりました。
初心者部員の「鍵盤ハーモニカとリコーダーぐらいしかやったことなくて・・・」はもはや常套句です。細かい所にもあるあるネタを仕込む武田先生さすがです。








  • 幹部ノートに表れる3人の考えの違いが、作品内のピリピリした空気を増幅させる

アンコン編の感想ブログでは「この3人は部活運営では揉めないだろうが、音楽の方向性で揉めるかもしれない」といった事を書きました。が、良く考えれば、どういう音楽を良しとするかによって部活運営に対する考えも変わる訳で、3人も音楽観が違っている時点で、部活運営についても齟齬が生まれるのは当たり前なんですよね。ちょっと浅はかでした。
まず第一章冒頭の幹部ノートで先制パンチをお見舞いされます。

目指せ、部員百人!(塚本)
多けりゃいいってもんでもないでしょ。(高坂)

この場面ではまだ「麗奈の尻に敷かれる秀一」という構図に見えて、微笑ましく感じてたんですが、後の展開を考えると、割とこの亀裂って危ういように感じています。

第二章では、「全国金賞の為に行動できない部員をフォローする必要があるのか」と言い出す麗奈に、久美子は「脱落者を出したくない」と言い出します。詳しい引用は後述するとして、ここでも、より先鋭化する麗奈と、部長として部員を繋ぎとめたい久美子の考えの差が現れます。

第三章になると、部内の張りつめた空気を感じている秀一が弱音を吐きます。

後輩に注意するのも嫌やし、できることなら和気あいあいとただ楽しく過ごしたいとか、たまに思う。もちろん、そんな気持ちで全国なんて行けへんから、気を引き締めてはいるけど。

アホでしょ。そんなんだから仏の副部長とか言って舐められるねん。(高坂)

自分が秀一の立場だったら、恐らく同じ気持ちになってたかなと思いますが、ともあれこの辺では既に、秀一と麗奈の部活に対する考えの違いが鮮明になっています。それはそのまま、部員たちの部活動に対する考えの差にもなっています。
幹部3人だって、吹奏楽やコンクールに対する考えが違うのは当然と言えば当然なんですが、これが"対立"の様相を呈するようになると部活動が上手く機能しなくなってしまいます。後編では、この3人の考えの違いは少なからず火種になるのは間違いないと思います。







  • すずめがサンフェスでのつばめの処遇に不満を示す場面は、これから部内で起こる揉め事のサンプルとして機能しているか

すずめは久美子に、サンフェスで姉のつばめがカラーガードである事に不満をぶつけます。

「お姉ちゃん、どうして旗係なんですか。二年生がスネアとかバスドラとかマルチタムとか担当してるのに、三年生のお姉ちゃんが楽器を担当しないっておかしくないですか?」
「えっと、それはつばめちゃんが不満を言っていたのかな?」
「そうじゃなくて、単純におかしくないですか?お姉ちゃん、パーカッション好きなのに!」

パーカスの楽器名を正確に言えるのに、カラーガードを"旗係"と言ってしまうのは何なんだろう・・・、という疑問点はさて置きww
その後もすずめは、「きっとパートリーダーに鍵盤を押し付けられてるんだ」「マーチングの楽器が少ないから遠慮してカラーガードになったんだ」「お姉ちゃんは勤勉で努力家で、最後の年にその努力を見て貰えないなんてかわいそうだ」と久美子に訴え続けます。
結局久美子と、偶然通りかかったつばめの必死の説得で、ようやくつばめが自ら進んでカラーガードになった事・順菜ちゃんがつばめの適性を見抜いて鍵盤を担当させている事をすずめは理解しました。
これ自体は、単に「姉を思うが故の妹の暴走」という、ある種微笑ましいエピソードです。
が、これって実は

「学年も努力量も勤勉さも関係なく、実力のある者が然るべき演奏機会を得る事が出来る」というような、今までの北宇治に於いて正義・正解とされてきた考え方にメスを入れていきますよ。

という、今後の展開へのサンプルとしてのエピソードなんじゃないかと思うのです。前編は全体を通してその兆候があちこちにあります。という事は、後編では「滝先生が顧問になってからの北宇治で絶対的に正しいとされていた事・考え・人物」に武田先生が切り込んでいくのは間違いないと思います。果たしてどの部分にどのくらい切りかかるのか。どのような解決をみるのか。後編は、武田先生の作家としての手腕が問われると思います。





  • 沙里の件は、解決しているようで、実は根本のところが解決していないように見える

序盤の、新一年生3人が低音パートに入る場面。沙里は久美子に以下のように告げます。

「なんか、北宇治って強いから先輩たちもすっごく怖いのかなって心配してたんですけど、久美子先輩みたいな優しい部長さんで安心しました」
久美子は軽く胸を張ると、沙里へと微笑みかけた。
「大丈夫だよ。絶対に楽しい高校生活になるから」
この後、沙里が疲労"等"で部活を休んでしまう事を逆説的に示唆しています。
サンフェス前には、すずめと一緒に朝練をしている様子が描かれています。すずめは上達が非常に早く、しかもすずめは自身の上達に喜びと楽しさを覚えて、ますます上手になる。という好循環に入っています。
一方、沙里は朝練をする理由をこう言っています。
クラリネットって上手な人が多いんで、足を引っ張りたくなくて」
直後にすすめが「そんなに上手なのに足を引っ張るなんてありえない」と反論しますが、当の本人は真面目にそう思っています。この段階で沙里が"北宇治が目指すもの"あるいは"沙里自身が作り出したクラの演奏技量の基準"に追い立てられ始めているのが分かります。
その後も、沙里とすずめが朝練をする場面が描かれるのですが、沙里は「足を引っ張りたくない」ばかりを口にします。
二章では、沙里が精神的に追い込まれていく様子が現れ始めます。沙里は、久美子に早く練習に来る理由を聞きます。
「多分、部活が好きなの。私も麗奈も」
「先輩は、部活が楽しいですか」
「楽しいなって思ってるけど、サリーちゃんは違う?」
「私は、」
口を開き、しかし続きは出てこなかった。
(一部抜粋)
そして、沙里が明らかに麗奈に怖気づいている様子が描かれます。ここから、沙里を麗奈の元に一人残してすずめが久美子に「今の一年生がボイコットするかも」という話になっていくのですが、そこはコンクール至上主義先鋭化の話・カリスマ性の話・久美子の部長としての負担の話など複数の話題に繋がるので後程。
ここの場面では、久美子にとって楽しい・充実していると感じられる部活動の運営方針が、沙里にとってそうは感じられていないという事がはっきりします。久美子は「部活が楽しくないなら相談して」と沙里に言いますが、麗奈と仲がいい久美子にはなかなか言い出しにくい様子です。
そしてついに1年生仲良し4人は集団で部活を休んでしまい、梨々花の先導で、葉月と久美子は沙里の家に見舞いに行きます。低音パート直属の後輩3人に関わる事かもしれないのに、行くのを渋る葉月もどうかと思いますが、沙里の家で出会った佳穂への問いかけが、無意識に詰問調になってしまう久美子も久美子です。
で、久美子の申し出で沙里と二人きりで話をする場面、沙里は思い切って「麗奈が苦手で、人が怒られている所、特に友人の佳穂が怒られているのを見ると辛い」と告白します。
「高坂先輩に不満があるわけじゃないんです。」
「でも、つい思ってしまうんです。全員に厳しくする必要って、本当にあるのかなって」
「コンクールのAメンバーは五十五人。だったら、百三人全員を完璧な奏者に仕上げる必要はないんじゃないですか。佳穂だって、いまはああして笑っているけど、サンフェスの練習が始まってすぐは裏でよく泣いてました。成長するまでどうして待ってあげられないんだろう。北宇治は人数的には余裕があるのに、どうして音楽の楽しさを知る前に足を引っ張るなって怒られなきゃいけないんだろうって、そう思ったんです。ゼロをプラスにする努力は楽しいけれど、マイナスをゼロにしろと怒られるのはちっとも楽しくないじゃないですか」
(一部抜粋)
そして、「高坂先輩が正しいのは分かるから、泣いてる子を励ましてきて、最近やっと『楽しい』って言ってくれるようになったけど、それは自己満足なんじゃないかと怖くなる。部活のためにみんなが色んなものを犠牲にしていて、他人が辛い目に遭っているのを見るのが辛い」と打ち明けます。
それに対し久美子は、奏の時のように「頑張りを認める」という方向に持って行きます。
「犠牲なんてないって言ったら嘘になるよ。」
「でも、得るものも多いんじゃない?さっきサリーちゃんも言ってたでしょう、部活が楽しいって言ってくれるようになった子もいたって」
「続けていたらみんな初心者じゃなくなる。佳穂ちゃんたちだって、今年のコンクールではAメンバーになってるかもしれない」
「ありがとうサリーちゃん。いままで頑張ってくれて。サリーちゃんのおかげで百三人、全員いるよ。一年生だって、まだ一人も抜けてない」
沙里の瞳が光でにじむ。刺さった、と久美子は心のなかで確信した。
彼女が本当に欲しているものは、自信のこれまでの行動に対する報酬だ。彼女はきっと感謝されたい。人知れず周囲を支えてきた自分の努力を、誰かに認めてもらいたい。
奏の時に「奏の頑張りをストレートに認める」という事で彼女の心を開いた経験が久美子にあるので、沙里に対しても「努力を認め、それによって退部者が出ていないという事をストレートに感謝する」という手法を使います。
そして
「サリーちゃんがいれば、北宇治はもっとよくなるよ」
と言い切ることで、彼女の重荷を下ろそうとします。「ありがとうございます」という言葉と、彼女の様子を見て、久美子は「もう大丈夫だ」と確信します。
次の日、沙里はいつものようにすずめと共に朝練に現れます。またしても沙里を麗奈の元に一人残して久美子を連れ出します。そして「沙里は共感性が高すぎるうえに、『あなたは悪くない』と同級生が言っても聞いてくれないので、部長である久美子が言ってくれた事で安定するようになった」と礼を言われます。久美子は「すずめのてのひらの上で踊らされてただけか」と嘆息しつつも、すずめの沙里を思う気持ちに感謝をします。
物語的には、ここで沙里の件は丸く収まって無事解決。という所なんですが、個人的には、この問題って根本の所が解決してるのかがちょっと疑問です。
久美子は「麗奈は言い方がキツい時があるから、そこは改善して欲しいけど」とは言うものの、それを麗奈に進言している様子がありません。しかも、今年から大会毎にオーディションをやる事になったので、部員達は常に追い立てられる状態にあるとも言えます(詳しくは後述します)。「他人が怒られてる様子を見てるのが辛い」と言う沙里の根本の部分、つまり、沙里がそう思ってしまう本人の心情だったり、部員たちがガミガミ言われている状況は変わっていません。安心して音楽に取り組める状況にあるのか若干疑問です。実際、沙里は物語上では言動に変化がありません。「もう大丈夫」という情報をもたらしたのも、沙里本人ではなくすずめでした。
ただ、じゃあ後編で沙里の件が爆発するかと言われると自信がないです。久美子の言う通り、初心者も経験を積んでいき、いずれはフォローが要らなくなります(ただ、1年後にはまた新入部員が入ってくる訳ですが…)。そして、本人の中での「退部を引き留めるのは、ただの自己満足なんじゃないか」という不安要素に関しては、そうして引き留めた部員たちが最近ようやく部活を楽しいと言ってくれるようになったという事実と、久美子が「それは自己満足なんかではないよ」と沙里に直接伝えた事である程度解消したはずです。
なので、沙里が後編でどのような動きをするのかが非常に気になります。





  • 前編全体で、久美子の視野の中に佳穂が入る場面が少ない(物語内での登場回数が少ない)のがとても気になる
久美子は部長としてやる事があまりに多く、ちょっと抱え込み過ぎている節があります。もう少し他の3年生も頼って良いと思うのですが…。例えば部内の人間関係の調整や悩み相談などは、もっとパートの3年生に担わせてもいいと思っています。
ともあれ、そういう部長の仕事の忙しさもあって、1・2年生の時に比べて低音パートに居る時間が減っています。そんな中でとにかく気になるのは、佳穂の登場回数と、久美子と佳穂の会話の頻度が余りにも少ない事です。奏とは相変わらず丁々発止のやり取りをしているのと比べても明らかに佳穂との距離が遠いです。
これは、真由の存在が久美子の中で悪い意味で大きくなっているという事も大きく関係しています。真由の事が思考の大きな部分を占めてしまっているので、久美子の中で佳穂の存在が薄れてしまっているのだと思います。
嫌な言い方をすれば、佳穂は初心者なので真由のように自分の居場所を脅かす事もなければ、奏のようにAメンバーとして"戦力"として見込める存在でもありません。沙里を見舞った帰りに、梨々花と葉月はこんな事を言っています。
「久美子先輩って才能がある子が好きですもんね」
「そら北宇治におったら全員そうなるやろ、久美子だけじゃなく。」
「下手な子が優遇されるより健全ですしね」
「やろ?久美子は部長やから、とくにそういう傾向になるんはしゃあないとうちは思うで?」
(一部抜粋)
そういえば、サンフェスの練習で佳穂が麗奈に泣かされてた時にフォローをしていたのは真由でした。物語的にも、低音1年生3人の中で特に積極性があるのがすずめだからというのもありますが、A編成入りを果たしたすずめに比べて、B編成の佳穂と弥生が久美子と絡むシーンが極端に少ないです。特に佳穂は同じ楽器の後輩なのに・・・。この辺、もしかして後編へのカギになったりするのでしょうか。それこそ、佳穂が部活を辞めると言い出す可能性もあったりしますが・・・。






ここで一区切りします。
"その2"に続きます。なんとか後編の刊行前に書き終わりたいですが・・・。


【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム ホントの話」の感想など その3

ごきげんよう
4月5日に刊行された小説版短編集新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話」
の感想ブログ。
今回はいよいよ本丸であるアンコン編についての感想を綴っていこうと思います。

遅筆過ぎて8月下旬の投稿になってしまいました。大変申し訳ない・・・。














以下ネタバレ注意です!




















  • 想像したより随分と爽やかな仕上がりになったアンコン編
アンコンは、吹奏楽部出身者の中でも辛い思い出がある人の割合が結構多くて(自分もそう)、そんなアンコンをユーフォシリーズで読者の胃袋をキリキリさせてきた武田先生が描くと、一体どんなドギツい話になるのかとビクビクしていたんですが、想像よりもずっと後味良く爽やかな仕上がりになったなというのが素直な感想です。
とはいえ、やっぱりアンコン特有のピリピリムードも麗奈さんによって華麗に織り込まれたり(笑)、オジサン吹奏楽オタクでも思わず反応してしまう曲目が登場したりと、アンコンの雰囲気はちゃんと表現されていたように思います。では、それぞれ具体的な感想を書いていこうと思います。





  • 順菜ちゃんと森本さんのサブキャラ昇格は全くの予想外
そもそも、「主要キャラの金管勢は金8か金5だろう」と勝手に思っていたので、特に順菜ちゃんのサブキャラ昇格はかなり驚きました。とても感じの良いキャラになってましたね。でも、アニメオリジナルキャラのうち、久美子と同学年のパーカスで唯一未登場となった堺ちゃんの気持ちを思うと・・・。3年生編で奇跡のサブキャラ昇格を期待しましょう。
森本さんに関しては、金管でアンサンブルをやるならホルンで誰か入る事はほぼ間違いないのですが、定演編のように「その他の部員」くらいにしか登場しないと思っていました。しかも、ホルンのアニメオリジナルキャラだと、ララの方が知名度がある中で森本さんのサブキャラ昇格はかなり意外でした。ララはアニメ版だと「モナカ」だったというのもあるかもしれないですね。森本さんは名前は出てくるものの、物語そのものにはあまり絡みませんでしたね。3年生編での活躍はあるでしょうか。







  • 宮城とはだいぶ勝手が違う京都のアンコン
アンコン編は、宮城の母校と京都の北宇治ではアンコンへの取り組み方がまるで違うなと感じる事が多かったです。
大きな所でいえば、自分の出身地である宮城は、府大会からの京都と違いアンコンでも地区大会があり、しかも区分がかなり細分化されているので各団体から複数の編成が出場可能になっていました(地区によっては各団体から出せる編成に上限がある所もあったようです)。
なので、母校では校内予選というものがありませんでした。自分の学校では一応「アンコン前に発表会をやって、余りにひどい演奏だった編成は出場を取り下げる」というルールが2年生の時に出来たものの、結局は全編成が出場しました。
さらに、母校は北宇治に比べて部員数も多くなかったので編成作業もかなり異なっていました。母校ではまずパーカス・フルート・クラ・サックス・金管で「基幹の編成」を組みます。サックスなら4か6が定石、クラも曲目によっては弦バスを入れて管弦編成にしたり、金管は8を基本にボーン2ユーフォ1にするかボーン3にするか、あるいは金管5にするか・・・等々。で、そこから漏れた人達(技術面で劣る、あるいはダブルリードや弦バスなど編成に入れにくい楽器)で寄せ集め編成をいくつか作ります。そうやって全員アンコンに出場させていました。なので、北宇治とは違う意味で編成作業でゴタゴタが起こりやすく、後述の練習の進め方もあって人間関係が揉めやすい時期でした。母校は部員数も多くない故にコンクールでオーディションも無く、ソロ争い等も起きなかったので、コンクールよりアンコンの方が圧倒的に揉め事が多かったです。
このように、地区大会の有無・部員数・大会の成績・顧問の先生の意向など様々な要因によって学校ごとに取り組み方が違うのがアンコンの特徴で、それぞれが母校と正反対な北宇治のアンコンへの取り組み方はとても新鮮でした。





  • 知らない曲のオンパレードの中に、馴染み深い曲名がチラホラと
アンサンブルは好きなんですが、曲名を聞いてもピンと来ない曲が多かったです。最近の曲が多いのか、単純に自分の知識不足か・・・。
ただ、馴染み深い曲もいくつか出てきました。『文明開化の鐘』や『三つの小品』などはよく耳にする曲名で、特に『文明開化の鐘』は自分も好きな曲です。
そんな中で何より自分の心にズバッと来たのは『高貴なる葡萄酒を讃えて』です。自分が現役時代からアンコンの超定番曲で、"ユーフォがミュートを使用"・"コルクのポン"で有名です(そう思ってるの自分だけ?)。自分この曲が大好きでくり返し聴いています。吹いた事はないんですが難易度もかなり高いようです。でも音の動きが華やかで、陽気な曲調と相まって聴いてて飽きない楽しい曲です。
そのほかの曲で言うと、不勉強ゆえに知らない曲だったんですが、そのうちの一つであるクラ4の『革命家』という曲が、自分の中でかなり刺さりました。「20年先をいった」と称される独自の感性で前衛的なタンゴ曲を多く作曲した、A・ピアソラというバンドネオン奏者兼作曲家の作品が原曲だそうです。クラアンサンブルに編曲されたのは比較的最近のようですが、この曲がまー素晴らしい!原曲の情熱的で複雑な音の動きを損なわず、クラリネットの音色と見事に調和していて、難易度は高そうでしたがとても良いアンサンブル曲でした。また、この曲を通してピアソラ本人の作品にも興味が出ました。こうして、1つの曲を切っ掛けに色んな曲に興味が広がっていくのも、音楽の楽しさの一つです。








  • コンクールで評価をされる演奏と一般受けする演奏の乖離について思う事
滝先生は、校内オーディションの投票方法を久美子たちに相談する際に
「演奏を評価するというのは、本当に難しいことです。主観や好みだってもちろんあるでしょう。ですが、それを排除して客観的に演奏を見極めることの難しさを、皆さんに体感してもらいたいんです。…好みと良し悪しを混同しないというのは、大人でも難しいことですけどね」
と言っています。また、久美子は
「オーディションで勝つ演奏と一般受けする演奏って、やっぱり違うじゃないですか」
と言います。秀一も
「娯楽用の演奏とコンテスト用の演奏が別物なんやっていう体験は大事な気がする」
と言っています。麗奈も"コンクールで評価される演奏と一般的に受ける演奏の差"という点に関しては異論を挟みません。
この"コンクールで評価される演奏と一般聴衆に支持される演奏の乖離"について、物語上では存在する事が大前提として話が進みます。実際の吹奏楽界隈にいらっしゃる方々は、この点をどのように考えてるのでしょうか。
これは個人的な音楽観としてなんですが、"コンクールで評価される演奏と一般聴衆に支持される演奏の乖離"は、(実情として乖離があるにしても)本来は無い方がより理想に近いんじゃないかと思うんです。
何故かと言うと、「誰かに審査されて演奏の出来を競い合う事」より「聴衆に自分の音楽を聴いてもらう事」の方が、より音楽の本質に近いんじゃないかと思うからです。一般聴衆を魅了する音楽がコンクールで評価されないという事が、果たして在ってよいものなのか。そもそも音楽は競技ではないので…。
そして、(あくまで素人考えではありますが)音楽に客観的な良し悪しが存在するとはどうしても思えないのです。特に芸術に関しては百人百様の価値観があって、その価値観に基づいて音楽を聴くので、重視する点も違ってくるはずです。なので、音楽を完全に客観的に良し悪しを評価する事は出来ないのではないでしょうか。そういう意味においては審査員も観客の一部でしかないと思うのです。
音楽は、やはり自分たちの音楽を誰かに伝える事が主な目的のはずなので、多くの観客を魅了する音楽と、コンクールで評価される音楽に乖離があるのは、音楽の趣旨としてどうなのでしょうか。
以上のような事があるので、音楽の専門家である滝先生のこの発言を読んだ時には、個人的には少しモヤモヤしました。





  • 推進役の秀一、ブレインの麗奈、調整役の久美子
優子・夏紀ペアとは違った意味で、この3人のバランスが絶妙だなと思いました。秀一と麗奈の意見が割れた時に、その折衷案を探りながら滝先生に提案する久美子。その案の懸念する点を滝先生に示され足踏みする久美子に、秀一が「いいんじゃないですか?」の一言で久美子の案を推します。それを聞いた麗奈は、元々自分が推したものではない案のメリットを直ぐに把握し、それをロジカルに纏めます。
この数ページで3人の役割分担がハッキリ分かります。麗奈は秀一に睨みを利かせていますが、こと部活運営に関しては秀一もちゃんと発言が出来ているので、恐らく部活運営の点では、この3人は揉めないかなと思います。火種は、もう少し音楽性の所にありそうですが・・・。









  • 麗奈が葉月とつばめを詰めるシーンは、上手な部員が陥りがちな状態をリアルに表現している
麗奈は、間違いなく部内でトップクラスの演奏技量を持っていて、頭の回転も早いんですが、エース部員だからこそ陥ってしまう状態になってるなと思います。
葉月とつばめは2年生でもコンクールではB編成の出場なので、技量的には他の6人に比べて劣るという事になります(こういう言い方は好きではないですが)。特にアンサンブルは人数が少ない分、個人の粗が見えやすくなります。出来る側の人間にとって、出来ない人間の技量の低さ・上達スピードの遅さはフラストレーションが溜まる原因になります。特に吹奏楽は、シリーズ作中でも何度か言われている事ですが、"出来ない側"の底上げが演奏の完成度を高めることに直結します。
もう一つ、麗奈は「奏者の演奏技量は、自身の努力量が純粋に反映される」という考えを持っています。これは、最初の短編集である『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のヒミツの話』に収録されている"お兄さんとお父さん"という話から繋がっています。小3の麗奈は
二人の演奏を聴き比べて先生が麗奈を選ぶのは当たり前の話で、だからこそ彼女がこちらに文句を言うことに困惑した。麗奈だってピアノのコンクールでほかの子に負けることはあるけれど、悔しいと思ってもその感情を相手へとぶつけたことは一度もなかった。だって、自分が負けたのは自身の努力が足りなかったせいだから。
と言います。書いてて思ったんですが、"音楽は競技である""コンクールの結果に不平を感じない""演奏技量は自身の努力が純粋に反映される"という麗奈の音楽観がこの1文に集約されています。そして、麗奈の音楽観は小3の時から変わっていないという事でもあります。本来麗奈は、この由佳ちゃんとの出来事によって「努力量が自身の演奏技量に充分に反映され、コンクールの結果に不平を感じないのは、自分の音楽の才能が元々高い事と、指導者や経済力も含め音楽をする環境が完璧に近い形で整っているからで、本来演奏技量の高さ・上達スピードは本人の努力量のみでは決まらない」という事を学ぶはずだったんですが、帰宅後の滝先生との出会いと、滅多に無い父親とセッションできる機会を得た喜びによって消し飛んでしまったので、この事を学ぶ事なく高校2年生になったという訳です。
さらに、久美子の入っている編成で練習の主導権を握るのは麗奈な訳ですが、久美子は麗奈の練習の音を聴いて以下のように述べます。
いくら難度が高かろうが、麗奈は高音を外すことを恐れない。彼女の頭の中にあるのは、音楽的に『正しい』音を再現することだけだ。
『正しい』に鍵括弧がついているのがミソです。コンクールでは滝先生の思い描く音楽を部員が如何に再現するかという作業をしていたのと似ていて、麗奈の思い描く『正しい』音楽に向かって6人で曲を仕上げていき、『正しい』音楽とのズレを麗奈が判定するという練習になっています。残念ながら「6人が共同で音楽を作り上げる」ようにはなっていません。
これらの要因によって、麗奈はつばめと葉月を詰めてしまう訳です。麗奈のようになってしまう部員は、実際の吹奏楽部員でもたまに居るようです。
つばめと葉月の立場になった事があるので(なのでアンコンはトラウマ)、特につばめの心境を思うと居た堪れなくなります。麗奈は、演奏で至らない点がある原因を「努力不足」としか判定出来ないので、改善方法を提示出来ていません。なのでつばめと葉月は、どうすれば良くなるのかを掴めないので
何せ彼女はここ二時間、気が滅入るほどの教育的指導を麗奈から受けている
という事態に陥ってしまいます。麗奈は、いつまで経っても改善しない2人の演奏に不満を募らせ、2人は「具体的にどうすればいいのか」を掴めないまま繰り返し詰められる。おおよそ"いい練習"とは言い難いです。
アンコンの場合、顧問の先生が直接指導する時間が少ない分、生徒同士で指導しながら練習を進める時間が増えるので、こういう状況は特に起こりやすいです。






  • つばめの状況がなぜ改善したのかを、久美子は麗奈に伝えたか
つばめの苦しい状況を打破した久美子の洞察力はさすがだなと思います。こういう状況になった時に、久美子のように具体的にどうしたらいいのかに気付き、進言してくれる人がいるというのは、とても貴重な事です。そして、麗奈の足りない部分を久美子が補うという理想的な展開になっているのが、全体として爽やかな読後感になっている理由の1つでもあります。
1つ気になるのは、つばめの演奏がなぜ劇的に改善したのかを、久美子が麗奈に伝える描写が無い事です。久美子はなぜ伝えなかったのか釈然としません。単純に伝えている場面が描かれていないだけかもしれないのですが、その後の展開を読む限りは、その事が麗奈に伝わっているとは思えません。個人的に、つばめの演奏が改善した理由と状況を麗奈が知った時に、彼女の中でどういう心理的な変化が起こるのかがとても興味がありますし、麗奈にとってもこの事に気付くかどうかは非常に重要な事なんじゃないかと思うのですが・・・。










  • つばめの言動は、オーディション制のデメリットを浮き彫りにしている
実はアンコン編の中で、つばめの言動によってコンクールのメンバーをオーディションで決める事によるデメリットが見えた場面が2つあります。
1つ目は、久美子の指摘によってつばめの演奏が劇的に改善したシーン。順菜ちゃんが次のように話します。
「はしもっちゃんもいろいろと指導してくれてはってんけど、つばめってBやったからAの子らに比べると指導時間が短くて。しかも、普通に指導者ありでやってる分には問題なかったから、そもそもできへんことに気づかれんかったのよ。欠点に気づかへん状態というか」
これに関しては、オーディション制のデメリットと言えるかは微妙ですが・・・。ただ、オーディションの結果B編成に回った生徒は、滝先生と松本先生によって「技量が一定水準に満たない」と判断された部員な訳で、その部員が「技量が一定水準に達している」A編成の部員よりもプロから指導してもらえる時間が短くなってしまうというのは、特にB編成の1・2年生にとって不幸な事だと思うので、今後改善しなければいけない点なんじゃないかと思います。もしA編成に、2年生であるつばめがAから外れた分の枠に1年生が入っていたとして、仮にオーディション制を採用せず上級生から優先的にA編成に登用される仕組みであれば、つばめはAに加われたかもしれません。その場合橋本先生から指導を受けられる時間も多くなり、結果つばめの演奏の改善が早まった可能性もあります。
いずれにせよ橋本先生から指導を受けられる時間がもっと確保されていたならば、もっと早くにつばめの欠点とその改善方法が発見されていたかもしれないと思うのです。もしかしたら、つばめのようにB編成に回ったが故に、演奏技量が伸び悩んでしまっている部員が他にも居るかもしれません。
もう一つは、校内予選前日に発せられたつばめの一言に表れています。つばめは久美子に「Aでコンクールに出るのは怖いか」と問います。しばらく考えたのちに言います。
「私、下手やし。いままでずっと自分がBなんは当たり前やと思ってたんやけど、でも…でも、順菜ちゃんみたいに、自分もAで出たいって思ってええんかな」
滝先生が来る前の北宇治は、上級生を優先してA編成に入れていました。結果、上級生は「努力しなくてもAで出れるから」といって真面目に練習をせず、部活全体に怠惰な空気が蔓延しました。滝先生がオーディション制を導入し、その空気を一掃しました。そんな、部にとってプラスの効果をもたらしたオーディション制のデメリットを、つばめは顕在化させたと言えます。
もしも久美子がつばめの改善点に気付かなかったら、つばめは潜在能力を発揮する事なく、橋本先生から指導を受ける時間も相対的に少なく、自己評価も低いまま3年間Aでコンクールに出られずに終わってしまう可能性があったという事です。その場合、つばめは高校を卒業する時に、音楽に対してどういう感情を抱くでしょうか。それは、音楽に深く取り組むことが出来たと言えるでしょうか。「自分は下手だからAで出たいなんておこがましい事だ」なんて思ってしまっていた部員が少なくともここの1人いるというだけで、充分オーディション制のデメリットと言えると思います。
こういう内容を、わざとらしくならずに物語に織り込む事が出来るというのが、武田先生の力量だと思います。




  • アンコン編の中にある、今後の展開に対する超希望的観測
(何年後になるかは分かりませんが)続編があるのは確実なので、最後に、アンコン編の中にある各場面から「続編ではこうなったらいいな」という希望的観測を書こうと思います。
まず1つめ。後半で奏と久美子が、来年のコンクールについて話す場面があります。
「滝先生も、各部員の実力を把握しやすいでしょうね。きっとこれで、自由曲も決めやすくなったでしょう」
「自由曲って、コンクールの?」
「そうですよ。上手い子が活きる曲を選ばないともったいないですもんね」
来年を見据えて行動する、とはそういうことなのか。
すべての行動が来年のコンクールに続いている。でも、一つひとつの演奏を単なる過程と割り切ってしまうのは、ひどく寂しい。
「純粋にアンサンブルを楽しみにするのって、部長としての自覚が足りないかな」
「むしろそれが正しいんじゃないですか?目の前の演奏に集中するのって、当たり前のことだと思いますけど」
(一部抜粋)
第二楽章後編の感想ブログで「優子部長と久美子は、部の活動すべてがコンクールで良い成績を獲る為の過程と捉えていて、それは音楽への向き合い方としてちょっと違うんじゃないかと思うし、それが関西止まりだった原因かもしれない」という事を書きました。今まで「コンクールで良い賞を獲る為」に吹奏楽をやっていた久美子が、「全ての演奏機会には本来貴賤が無い」という事に気付き始めています。さらに「純粋にアンサンブルを楽しむ」というセリフが久美子から出ました。これが、久美子の中にある「コンクール至上主義」的な考えからの脱却、すなわちコンクールで良い賞を獲る事が"目的"ではないという考えに至る兆しだったら嬉しいです。

もう一つ。同じく上記の場面で、奏が「滝先生も自由曲を決めやすくなっただろう」と言っています。一方、滝先生は、アンコンでの新たな試みとして、自分たちで編成と選曲をするという体験をさせたと言っています。これは、コンクールの選曲やメンバー編成の一部を生徒に委ねる可能性もあるかもしれないと期待しています。
良く考えれば、滝先生は「生徒の自主性を重んじる」という方針を掲げているにも関わらず、少なくともコンクールは、練習計画・選曲・メンバー編成の全てを滝先生が決めてしまっています。アンコンで編成と選曲を部員に任せたのが、次のコンクールで編成と選曲を部員に委ねる布石だったらいいなと思っています。まぁ編成を完全に部員に決めさせるというのは可能性低いですが、選曲くらいは大いにあり得ると思います。「生徒の自主性を重んじる」と言うからには、せめて選曲と練習計画くらいは生徒たちに決めさせる方がいいんじゃないかなと思いますし、そっちの方が部員達はより主体的に音楽に取り組む事が出来るんじゃないでしょうか。第二楽章の感想ブログで「滝先生は、コンクールを「生徒たちに『努力して音楽の完成度を高める楽しさ』『その音楽を観客に聴いてもらう喜び』を伝える」ための手段として活用した」と書きましたが、何回か読み返しているうちに、やっぱり滝先生も、コンクールで良い賞を獲る事が"目的"になってしまってる気がしていました。このアンコンでの試みが、滝先生自身にとっても音楽に対する取り組みの転換点だったりするのでしょうか。

前述のように、久美子たちは滝先生や麗奈などの"リーダー"が示した「正しい音楽」に従って吹奏楽に取り組んできました。2巻の合宿の場面など、それを示唆する描写が初期の頃からいくつもあります。そういえば、アニメ版2期のED曲の歌詞の一部分に
「タクトに導かれてここまで来たよ」
という一節がありましたね。校内予選を通過したクラ4のメンバーは、そこから一歩先に進んで「メンバーが共同で音楽を作り上げる」という事が出来たでしょうか。久美子3年生編では、久美子たちが自立して音楽を作り上げる物語が読めたら嬉しいなと思いますが、武田先生はどうお考えでしょうか・・・。











刊行から5か月近く経って、ようやく感想ブログを書き終えました。リアルが忙しかったとはいえ、本当にどんだけの遅筆なんだ自分・・・。
アンコン編は自分の中で話したい事が本当に多くて、なるべく語弊無く綴るのに苦労しました。とにかく溢れる思いを言葉に込めてぶつけてみました。アンコン編はもちろん、どの作品もとても素晴らしい作品ばかりで、武田先生の作家としての力量を感じるものばかりでした。
アンコン編の感想は、本当は南中カルテットの事も書きたかったんですが、アンコンの事でいっぱいいっぱいで、そこまで頭が回りませんでした・・・。

ここまで、こんなに長引いてしまった感想文を読んで下さった皆さん、本当に本当にありがとうございました!ユーフォシリーズの続編と、武田先生のさらなる活躍を期待しましょう。

それでは。