【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 最終楽章 後編」の感想など その3

2019年の6/22に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 後編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
その3です。

なんと2021年になってしまいました。
2月には「飛び立つ君の背を見上げる」の発売が発表されているにも関わらず、
今更最終楽章後編の感想ブログを書いているという体たらくでございます。
それでも待ってて下さる方が居ると信じて、その3を上げさせて頂きます。














以下ネタバレ注意です!
(2年前に刊行された小説に対してネタバレも何もないだろって感じですが…)





















  • 滝先生が「コンクールに特化した音楽が実在するか怪しい」「私はコンクールに照準を合わせる能力はある」「いい音楽は何かを自分で考える事は素晴らしい」と立て続けに言ったのは、自身に言い聞かせつつ、久美子に自立を促しているように感じる
麗奈とケンカをした翌日、久美子は1人で朝練に向かう訳ですが、そこで久美子は滝先生に、ユーフォを2本にしてチューバを4本にした理由を聞きます。滝先生は当然「強弱の幅を広げる為に低音の厚みを増やした」と答えます。久美子はすかさず問いかけます。
「それは本当に、滝先生の作りたい音楽なんですか?」
久美子の問いかけに、滝は目を見開いた。
「さすが部長ですね。非常に答えにくい質問ですが、尋ねてくれたこと自体はうれしく思います」
「あの、それは答えになってないと思います」
四月の段階で、久美子たちはひとつのルールを取り決めた。全国大会金賞を目指す、それが北宇治の絶対だ。
(一部抜粋)
「滝先生の作りたい音楽なのか?」というセリフに「コンクールで良い賞を獲る事が目的」という事に違和感を覚えはじめている事がうかがえます。
年度の初めに「全国大会で金賞を獲る為に厳しい練習を課す」と「コンクールの結果は軽視で思い出作り程度に音楽をやる」の2択を部員に選択させる訳ですが、そもそも論として、本来ここが二元論になっている事がおかしいと思うのです。だからこそ、"例年通り"前者を"自ら選択"した久美子を始めとした北宇治の部員達、ひいては滝先生本人でさえ、その歪みに苦しんでいるように思います。過去2年は、堕落した部内の変化で上がった情熱によって覆いかぶさっていた部分が、ここにきて表面化したとも言えます。
最後の一文で、「全国大会金賞を目指すのが絶対だ」とまで言っているほど、これまでの久美子は「全国大会金賞」を獲得する事に取り憑かれていました。
しかし、久美子の中に芽生えてきた「全国大会金賞獲得が目的」という事への疑問や違和感が、次のセリフに表れます。
「滝先生は、本当はコンクールに特化した音楽は好みじゃないんじゃないですか?」
「それを好き嫌いで判断するのはナンセンスですよ。特化させることが悪だとは思いませんし、そもそも特化した音楽なるものが本当に存在するのかも怪しい。どの学校も、自分たちがいいと信じるものを作り上げている。そうじゃないですか?」
この滝先生のセリフは、コンクールに参加するに当たってこれ以上ないほど的を射た答えだと思います。「コンクールに特化した音楽が存在するかも怪しい。だから、自分たちにとっての"良い音楽"を作る」というのは、「そこにあるのは良い評価ではなく良い音楽」という考えがあるように思います。
しかし次に滝先生は、少し引っ掛かるセリフを述べます。
「確かに、私は一般的な吹奏楽部顧問よりも結果を出すのが得意かもしれません。それをコンクールに迎合している、と言われたらそれまでですが。私にはそうした方向に音楽の照準を合わせる能力がありますし、皆さんにも私が求める基準を満たすだけの力がある。皆さんの音楽が上達していくのを聞くのは好きですし、それに結果がついてくればもっと喜ばしい。違いますか?」
「音楽が上達~結果がついてくれば~」のくだりに関しては、先ほど言った「良い評価ではなく良い音楽」という考えに通じます。結果よりも音楽ありきという考えだからこそのセリフです。
ただ「私にはコンクールで結果が出る音楽に照準を合わせる能力があって、皆さんには私が求める基準を満たす能力がある」という点だけが、このシーンで妙に浮いています。
アンコン編の感想ブログに「コンクールでは滝先生の思い描く音楽を部員が如何に再現するかという作業をしていた」と書きましたが、まさに滝先生のこのセリフがこの部分を指しています。前のセリフでは"良いと信じる音楽を作り上げる"の主語は"自分たち"だったはずですが、このセリフを額面通りに受け取るならば「"正解の音楽"が滝先生の中にあって、部員達はその"正解の音楽"に向かって演奏する」という事になります。
滝先生がなぜこのような事を言ったのか、次に続くセリフから考えてみたいと思います。
「すみません、失礼なことを言いました」
「失礼だとは感じていませんよ。むしろいい兆候だと思います。学生のうちはどうしても他者の評価に固執しがちですが、黄前さんは音楽の本質に向き合おうとしている。私が求める音楽がどのようなものなのかを探ろうと試み、いい音楽とは何かを自分の頭で考えている。それは本当に素晴らしいことだと思います」
ここでも「私が求める音楽がどのようなものなのかを探ろうと試み」と「いい音楽とは何かを自分の頭で考えている」という、反するようなことを続けて言っています。
これは、一つには滝先生本人の迷いもあるのかと思います。ただ、もう一つ勘繰ってみると、もしかしたら滝先生は、自分自身に"吹奏楽部顧問として全国大会金賞に導くんだ"と言い聞かせていると同時に、久美子に音楽的感性の自立を促しているのかもしれないと思いました。
前者については、学生時代には、部活の指導ばかりで自分に目を向けてくれなかった父親への反感や、音大時代のオケの経験などから、全国大会金賞を"目的"にする事に強い抵抗感がある中で、それでも亡き妻の遺志と部員たちの情熱を汲んで、何とか"目標"として全国大会金賞に向くんだと自分に言い聞かせているのかもしれません。
後者については、現状が「滝先生の思い描く音楽を部員が如何に再現するかという作業」になっていることを認めつつ、久美子にそこに気付いて欲しい、そして、そこから久美子の中の自主的な音楽的感性を育んで欲しいという願いがあるのかもしれないと思います。

ここの項をどういう視点で書くか、正直かなり迷いました。そもそも指揮者は、そのバンドの音楽を俯瞰で見て指示を出すという性質上「指揮者が音楽の方向性を示し、奏者がそれに従う」というのは、ある程度は当然のことです。しかもそれが、指揮者が音大卒の音楽教員で、奏者が吹奏楽部の学生という立場を考えれば尚更。
ただ、「音楽を作るのは指揮者・指導者で、奏者(部員)はその音楽を構成する要員」というような、嫌な言い方をすれば「部員は、指導者の思い描く音楽を作り上げる為の部品」みたいな状態が望ましいとはどうしても思えないのです。
北宇治は、少なくとも久美子3年生の府大会辺りまではそのような状態でした。ここから終盤に向けての流れを読むと、おそらく武田先生も多少なりとはそこを意識されたのではないかと思います。










  • 麗奈との喧嘩と滝先生との質問シーンの後に、奏に「衝突の許されない関係はいびつだ」と言わせる事でより分かりやすく、そして後の奏自身の発言にも関わってくる
滝先生とのシーンの後、一人で朝練をする久美子の元に4人の後輩が同じく朝練の為に音楽室に表れます。一人で練習をしている久美子に対して奏が言葉をかけます。
「高坂先輩と喧嘩されたのでしょう?」
「なんでそう思うの?」
「久美子先輩が理由もなく一人で朝練に参加するのは珍しいので。私はいいと思いますよ。喧嘩するのは人間関係が健全な証です」
「なにその理論」
「衝突の許されない関係はいびつですよ。相手を神様とでも感じていれば、逆らおうと思うことすらないでしょうけど」
語尾ににじむ揶揄めいた響き。彼女が言う関係とは、誰と誰のことを指しているのだろうか。世間一般の話か、滝と部員か。それとも、麗奈と久美子のことか。
このセリフを言わせるなら、後輩の中では奏しかいないでしょう。
今までの物語(つまり久美子の視点)で、その意見が否定的に語られる事がなかった滝先生と麗奈に対して、最終楽章では初めて久美子からそういう視線が向けられました。そんな事を知ってか知らずか「衝突の許されない関係はいびつだ」という言葉を久美子に投げかけます。奏は「3年生は滝先生を神格化し過ぎている」と指摘していましたし、久美子と麗奈の普段のやりとりも見ている中で久美子が麗奈を見上げる存在として認識している事を察知していたはずです。久美子は「一般論か、滝と部員か、麗奈と久美子か」と考えますが、恐らく奏は3つともを含んで言っているのでしょう。
久美子が麗奈と衝突し滝先生に疑問を投げかけた直後のシーンで奏が言った「相手を神様とでも思っているなら、衝突も起こらない」という言葉は、奏の口を借りて武田先生が久美子に伝えたかった事なのかなと思ったりしました。
因みに、この「相手を神様とでも思っているなら」という台詞は、この後奏自身にも降りかかってくるのですが、それは後述します。







  • 関西大会で曲の詳細な描写があった時点で「あ、これは関西止まりだ」と思ったら、全国出場でびっくりした
同じ事を思った方も多いはず。課題曲自由曲ともに、演奏の詳細な描写がなされた時点で「あー、これは関西止まりか・・・。残りのページは、その後のアレやコレやで物語が進んで行くんだな」と思いながら読んでいました。そしたら、全国大会が決まって、初見時には思わず「え?」と声が出てしまいました(笑)








  • 文化祭の曲目が相変わらず絶妙
「ディープパープルメドレー」は自分も大学時代に吹きましたねぇ。とにかく細かいダイナミクスを付けなくても勢いとパワーで押し切ってもどうにかなってしまう曲なので、ある意味楽です。その代わり体力を使いますが(笑)。文化祭の曲目にニューサウンズは必須ですね。
そして最後は「アフリカンシフォニー」。チューバにとっては「エル・クンバンチェロ」と双璧を成す地獄の曲です。曲中ずーっと酸欠との闘いです。1000mダッシュみたいな曲です。久美子は「合奏って楽しい」なんて言ってますが、自分はこの曲はもう吹きたくないです(苦笑)。








  • 久美子は樋口の言い分を概ね納得するのに真由は完全に拒絶するのは、対立軸の当事者だから
文化祭で樋口から求の件を聞かされた久美子は、求に断りなく色々と打ち明ける事に関しては諭すような事を言ったりしますが、基本的には樋口の気持ちを否定する事はしません。もちろん、後に求に北宇治に来た理由を打ち明けられるシーンでも、求の気持ちに納得を理解します。それは、対立軸が樋口×求なので、久美子はあくまで第三者だからです。
その証拠に、樋口との会話の直後にある真由とのシーンでは、久美子は「真由が間違った考えを曲げてくれない」というニュアンスを出します。
「私、やっぱり次のオーディションは辞退したほうがいいかと思って」
勘弁してくれ、と口から飛び出そうになった悲鳴をすんでのところで抑える。
「全国の舞台でソロを吹くのは久美子ちゃんでいいと思うんだ、私」
「真由ちゃん、なんでそんな事言うの?」
「なんでって、なんで?私、おかしな事言ってるかな」
心底わからないという顔で、真由が小首を傾げる。
「真由ちゃんは吹きたくないの?自分の気持ちに正直でいいんだよ?」
「私はいつも正直なんだけどな」
「またそんな事言って・・・」
これ以上何を言っても伝わらないだろう。
「この話はいまはナシにしよ。それより、文化祭を楽しまないと損だよ」
真由はいまだ納得いかない様子で唇を引き結んでいたが、久美子が背中を押すと、ためらいがちにうなずいた。真由は意外と頑固だ。久美子が嫌になるくらいに。
これは対立軸が久美子×真由で、久美子が当事者だからです。「真由は間違ってる」というニュアンスがあるという事は、逆に言えば「私の考えが正解」という事です。
第二楽章までは、対立軸に久美子が居る事があまりなかったので、久美子はいかにも「全体を客観視できる存在」として描かれてきましたが、いざ自分が対立軸の当事者になると、自分の主観に一気に引き込まれる様子が、この対比で非常に良く分かるようになっています。そしてこの後の展開によって、その側面がさらに際立つことになるのですが…、それは次の項で。
この辺から「相対する考えを持った複数人がいて、でもそれぞれに善悪の二元論で判定できない」というシーンが短期間で効果的に挟まってきます。







  • 緑輝の進路が決まった時の求の涙が羨ましい
自分が高校生の時、同じ楽器に1つ上の先輩がいませんでした。1つ下もいませんでした。
2つ上の先輩を慕ってはいましたが、ちょっとクセのある人でコミュニケーションの解き方に悩んだ時期もありました。
2つ下の後輩も、自分としては初めてできた直の後輩だったのでめちゃくちゃ可愛がったし、後輩も慕ってはくれてましたが如何せん一緒に過ごした時間が短すぎました。

なので、先輩が引退した後の事を思って涙を流せる求も、涙を流してくれる後輩がいる緑輝も、本当に羨ましいなと思うんです。緑輝と求に限らず、1巻からずっと低音パートの先輩後輩の関係が本当に羨ましいです。








  • 椅子を楽器にぶつけられたら、怒る気持ちも分かる
部内が殺気立っている様子を表す描写ですが、そうでなくても、自分の楽器に(故意ではないとはいえ)椅子の足をぶつけられたら、顔をしかめてしまう気持ちは良く分かります。
因みにうちの部では、楽器をぶつけてしまった時には「楽器に対する愛が足りない」とよく言われましたし、自分でも言ってました。今でも、楽器を何かにぶつけてしまった時には思わず叫んでしまう事があります(笑









  • 二年生部員の応援が、後の真由・奏のシーンにつながっていく
パート練習に向かう途中、久美子はすれ違う二年生部員に声をかけられます。
「久美子先輩、オーディション頑張ってくださいね」
「関西大会、部長のために頑張ったんです。私、ずっと応援してます」
久美子がいかに後輩に慕われてるかという場面ではありますが、このシーンを挟むことで真由が部内でどういう立場に置かれているかが逆説的に浮き彫りになります。ここは後の真由とのシーン、そして、真由の発言に怒りを露にする奏のシーンの布石になっていますので、それは後述。









  • 緑輝にすら悩みを打ち明けられない"強豪校の部長"久美子と、その様子を察する秀一
パート練習中に深くため息をつく久美子に、緑輝が近づきます。
「もーらい」
「何してるの?」
「久美子ちゃんから逃げた幸せを食べてるの」
「何それ」
「だって、久美子ちゃん、ため息ばっかりついてるんやもん。何か悩んでる?」
「悩みっていうか…」
このままでいいのかと思って。そう言いかけて、久美子は慌てて口を押さえた。部員が往来する場所で部長が話していい内容ではない。
「ま、なんとなーくって感じかな。ほら、オーディションも近いし。不安だなぁって」
ここで自分の中のモヤモヤを押し留めてしまう久美子は、「北宇治の部長はかくあるべき」みたいなのに囚われてしまっているように思います。これは部長に就任してからずっとそんな感じがあります。「ちょっと後で相談してもいい?」といえば、緑輝なら喜んで応じたでしょうし、かなり適切なアドバイスがあったんじゃないでしょうか。まぁとっさの事だったのでしょうがない事ではありますが…。
因みに、何が"ここままでいいのか"は、直後に示されます。
関西大会を経て、部員同士の結びつきはよくも悪くも強固となった。全国大会金賞。春に掲げた目標に、いまや限りなく近づいている。当然、部員同士が互いに求める演奏レベルは高くなり、結果として基準に満たない生徒たちは周囲から冷ややかな目で見られる。
緑輝のようにフォローが上手い部員がいるパートはいい。葉月のように学年差を抜きにして後輩と接することのできる部員がいるパートも、人間関係は円滑にまとまる。
問題なのは、あまりに厳しい縦社会ができあがってしまっているパートだ。
この文の直後に久美子は、全員がパート練に言っているトランペットの席を見るという、読み手にとってとても分かりやすい行動を取ります。この辺はパーリー会議で森本さんが「オーディションで落ちた部員をどうフォローアップしたらいいか」という相談を麗奈が「そんなの放置でいい。強豪校と戦っても勝てるところまで持っていく事だけを考えるべきだ」と一蹴し、他のパートリーダーが口々に賛同したシーンとも繋がります。バスパートだけでなく、ホルンもパート内のフォローアップがある程度うまくいっているのかもしれませんし、厳しい縦社会ができあがってしまっているパートはトランペットだけじゃないのかもしれません。

久美子の"とっさの誤魔化し"に気付いている緑輝は、こう切り返します。
「みんな久美子ちゃんのこと、応援してる。それでも不安?」
「応援してくれるのはありがたいんだけどね」
ただ、それを全面的に肯定できるはずがないことは、緑輝だってわかっているだろう。久美子を応援するという目的は部を団結させるのに役立ちはしているが、集団の輪から真由をじりじりと弾き出しつつもある。それではダメだと久美子も頭ではわかっているのだ。ただ、自分が何をすべきかがわからないだけで。
「うーん、緑、思うねんけど、久美子ちゃんが悩んでることって、どうすべきかじゃなくて、どうしたいかなんかもしれへんね。自分の気持ちにもう少し素直になってもいいと思うな」
「私はいっつも素直だよ。素直になりたくないときも素直になっちゃって、もっと上手くやれたらって申し訳なくなるくらい」
「ほんまに?」
ずい、と緑輝が顔を近づけてきた。困惑する自分の顔が、ダークブラウンの瞳のなかに閉じ込められている。反射的に目を逸らしたのは、完全に無意識の行為だった。
「本当だよ」
緑輝は何かを言いたそうに唇を軽く曲げていたが、気持ちを切り替えるように席から立ち上がった。
「そっか。ならいいや。」
このあと緑輝はにこやかに手を振りながらパート練に戻って行きます。
「オーディションが近いから不安だ」という咄嗟の小ウソに対して「みんなが応援してくれてるのに?」というのは、「久美子ちゃんの本当の不安の種はそれじゃないでしょ?」という緑輝の反語的問いかけなのですが、意図せず久美子に対して"自分が応援されている事で部員の団結が促されている一方、真由がその団結の輪から外されている"という状況を再認識させる事になっています。
このあと緑輝は、久美子の心の声であるはずの「自分が何をすべきかがわからない」が聞こえているかのように「その悩み事は、どうすべきかじゃなくて、どうしたいかなんじゃないか」と言います。この緑輝の発言によって、読者の視点が"久美子はそもそもどうしたいのか"に移っていきます。
久美子の「私はいつも素直だ」という発言が本心でない事は緑輝にも分かっているはずですが、緑輝はツッコみません。もし相手が久美子ではなく葉月だったら。もっとグイグイ行っていた気がしますが、久美子の「部長であるが故に大っぴらに言えない」という気持ちを察したという事なのでしょう。ここも個人的には時間を取ってもっと緑輝がツッコんでいれば色々変わった気がしますが、やむを得ないところでしょうか。

この様子を傍で見ていた秀一は、果たしてどういう気持ちだったのでしょうか。そして、誤魔化しついでに言った"明後日の幹部会議"においてあんな事が起こるなんて、久美子も秀一も、そして読者も、全く想像だにしていません。こういう小さな伏線も、複数回読まないとなかなか気付けないんじゃないかなと思います。武田先生は芸が細かいですね。






クライマックス前ですが、一旦区切ります。
一体何年越しで書いてるんだという感じですが(汗
おそらくは「飛び立つ君の背を見上げる」刊行前に書き上げるのは無理だと思いますが、なんとか今年中には書き終わりたいと思います。


それでは、その4に続きます。