【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 第二楽章 後編」の感想など その4

10/5に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
自分でもびっくりのその4です。その3から2か月以上経ちまして、まさかの年越しとなりました。今更こんな記事を読んで下さる方には感謝しかありません。


















しつこいですが、以下ネタバレ注意です!











  • 麗奈の変わらないコンクールに対する姿勢と、変わりつつある音楽に対する姿勢
麗奈は、基本的には滝先生と同じく「自分の目指す音楽像」の先にコンクールの結果が付いてくるという考えですが、滝先生よりもっと先鋭化していて「誰も文句言えないくらい上手になれば全国金賞を取れない訳が無い」と思っています。そして、少なくともコンクールに対しては、かなり競技的な側面に傾向した考えを持っています。あるいは、音楽そのものを競技として捉えているのかもしれません。

その考えは2巻で述べられています。
「たまにさ、『音楽を評価するなんてできないから、コンクールは気にしなくていい』とか言う人いるやん?アタシ、あれって勝者だけに許された台詞やと思うねんな。下手くそなやつが言ってもそんなんは負け惜しみやんか」
この考え自体は間違った事とは思いませんが、"勝者"や"負け惜しみ"という語彙に、麗奈がコンクールを競技として考えてる事が表れています。しかもそこには他の部員が抱く「音楽は本来競技じゃないけど…」というような迷いが一切ありません。なので、中3で府大会カラ金でも、高1で全国銅でも、高2で関西カラ金でも、悔しさを強く感じてはいますが「こんなに頑張ったのに結果が伴わない」というような評価に対する不条理を一切口にしません。この考えは、中3の時に府大会銀賞のショックを味わっている南中出身の優子部長・希美先輩・みぞれ先輩(特にコンクールに対して「良い結果だと好きだし、悪い結果だと嫌い」と言っている優子先輩)との対比になっています。優子先輩と麗奈は共にコンクールの結果を重視していますが、結果に対する考えが対になっているのが興味深いです。逆に、そこが対になっていても、コンクールの結果に偏重した考えを持っているという点で価値観が合致しているので、麗奈は優子先輩を「有能な部長」と思っている訳です。もちろん、優子部長の人心掌握術や調整能力も込みでの判断だとは思いますが。

麗奈はさらに続けます。
「もし圧倒的な上手さがあれば、コンクールで評価されへんなんてことはありえへんと思う。そりゃあ確かに、審査員の好みって結構あるし、百パーセント公平とは言えへんけど。でも、誰が聞いても上手い学校ってあるやん。こいつらプロか、みたいな。あそこまでいけば誰だって評価してくれる。やから、文句を言うならあのレベルになってからかなって思う」
「アタシ、コンクール結構好きやねん。あんなにいっぱいの人に音楽を聞いてもらうチャンスって、滅多にないわけやし。やから、できるだけマイナスには考えたくない。やるからには全力出したい」
ここで麗奈は「プロレベルの演奏をすれば評価されないなんて事はない」と述べます。麗奈にとって目指したい音楽は「プロ級の演奏」というハッキリした音楽像があって、目標の音楽=プロ級の演奏=コンクールで評価されない訳がない演奏となるので、コンクールの結果に対する不条理を訴えない考えになるんじゃないかなと思います。この、目指したい音楽像がハッキリしているという点が、優子先輩など、他のコンクールの評価を重視するキャラクターとの差になっているように感じます。
ただ、少なくともこの時点では音楽性や表現力より演奏技術に偏重した考えが「圧倒的な上手さ」「誰が聞いても上手い学校」という表現から滲み出てるようにも感じます。彼女の演奏自体は、音楽表現の面でも極めて優れた奏者である事が随所に描かれているなかで、彼女のこの姿勢は逆に際立ちます。そして、なぜそんな発想に至ったのかと言えば「いっぱいの人に聞いてもらえるチャンスは滅多にないからマイナスに捉えたくない」というシンプルなものです。父親がプロのトランペッターで、幼少期からトランペットもピアノも習い、自宅に練習環境も用意されている彼女が、コンクールの競技性に一切の疑念を持たず、かつ音楽表現より演奏技術に重点を置いているというのが彼女の音楽に対する姿勢の特徴であると言えます。

上記の姿勢は物語の中で基本的に一貫していますが、第二楽章(あるいは、その前の定期演奏会・立華との合同演奏会編)に入って変化が見られる点があります。それは、集団で協調して音楽を完成させるという意識です。原作3巻まではその意識が希薄で、音楽への姿勢がかなり先鋭化したキャラクターとして描かれています。
この姿勢と、先述の「音楽は競技である」という考えが合わさって発生したのが、香織先輩とのソロ争いの時の諍いです。原作では「ソロを譲らない事でとやかく言ってくる連中」を、アニメ版では香織先輩そのものを(と捉える事も出来る言い方で)「ねじ伏せる」と豪語しています。コンクールの演奏を競技として捉えているので、ソロパートのオーディションも純粋な競争と考えています。まぁ、オーディションでメンバーを選んでる訳なので確かに競争なのは間違いないんですが、麗奈の中には「そうは言っても音楽の根本は競技ではない」という発想が薄いので、香織先輩に譲れと言ってる人達の考えが全く理解できない訳です。
しかし、再オーディションを経て滝先生に「中世古さんではなくあなたがソロです」という言葉を貰い、香織先輩が涙を流しながら自分にソロを託す姿を見て、徐々に「吹奏楽は一人ではできない」という考えを持ち始めます。ただ、この段階ではまだ完全にこの考えには至り切ってはいないと思われます。なぜなら、3巻の全国大会の結果発表後に、麗奈と香織先輩の以下のようなやり取りがあるからです。
不意に、香織が腕を伸ばす。滑らかな指が、麗奈の頭を優しくなでる。
「ここまで、よう頑張ったね」
その言葉に、麗奈は自身の膝へと顔を埋めた。
その瞳からあふれ出す透明な涙が、少女の頬を伝って落ちる。
「すみません、先輩」
麗奈の香織先輩への謝罪は「香織先輩の思いも背負ってソロを吹いていた」という事ではあるんですが、見方を変えれば、全国銅賞という結果は集団で完成させた音楽に対する評価だという考えではないが故の発想とも言えます。香織先輩や久美子や他の部員の演奏、滝先生の指導や指揮を含めての銅賞という評価な訳で、それに対して麗奈が謝るというのは、冷静に考えれば自分以外の奏者の存在に無頓着な姿勢とも取れます。
それに対し香織先輩は
「謝ることなんてなんもないのに。ここまで来れたんは麗奈ちゃんのおかげやわ」

と返します。麗奈の頭をなでた時にかけた「よく頑張った」という言葉の中には、自分からソロの座を奪った事で受けた逆風に対しての労いもあったでしょうし、自分に対して謝罪の意思を示した後輩に対し「謝る事は無いし全国に来れたのは麗奈のお陰だ」とかけた言葉は全くの本心だったでしょう。恐らく麗奈は、この香織先輩の対応を受けて、吹奏楽は1人では出来ないんだという考えを明確に持ったと思います。定演以降、麗奈の口からは演奏全体に関する発言が増えた印象があります。

この意識の変化をはっきりと感じたシーンが、第二楽章後編で見られます。それは、久美子がソロの指導を受けに行く途中、偶然居合わせた麗奈と共に、外で練習する夢の音色を聴くシーンです。麗奈は夢の演奏をこう称します。
「小日向さんってさ、サードやねんか。いや、もちろんサードが重要ってのはわかる。サードがしっかりしてへんとハーモニーが上手くいかんし、ファーストとサードのあいだでバランス取らなあかんセカンドも、曲を作るうえで欠けたらあかん」
「でもさ、高音が得意な子をサードにするのって、宝の持ち腐れやと思わへん?」
(一部抜粋)
定演編や第二楽章前編で、音楽に対する意識の変化を随所に感じていましたが、後編のこのセリフは、麗奈の意識の変化を明確に表していると思います。
まず1つは、パート毎に優越が無いと明言した点。トランペットパートという小さな枠内でさえ、1人で音楽を構成出来ない。かつ、ファーストもセカンドもサードも貴賤なく等しく重要であると言っています。吹奏楽は集団の協調によって音楽が完成するという意識が芽生えているからこそのセリフだと思います。
そしてもう1つは、夢がサード担当である事を不服に思っている理由が「夢が高音を出すのが得意だから」という点です。個人的に、麗奈の音楽観の変化を一番感じたセリフです。
久美子も言っていますが、パート分けは上手い順にファースト・セカンド・サードと割り振る認識があったりします。恐らく麗奈も高1まではそういう認識だったんじゃないかと推測します。その麗奈が「上手だから」ではなく「高音が得意だから」という理由で夢をファーストに推そうとするところに、麗奈の認識の変化を強く感じました。もし夢が、同じ「技量が高い」でも、高音より(ペット音域内での)中低音の響きや安定感が抜群だと感じたならば、麗奈も無理にファーストに推したりしなかったんじゃないかと思います。
後編全体としても、みぞれ先輩の演奏に不服を立てる時も「このままだとコンクールで良い賞が取れないから」という物言いではなく、音楽の完成度や音楽性に対しての懸念からの物言いが多い印象があります。麗奈もここにきて音楽表現に対しての考えを表す場面が出てきた所に、彼女の成長を感じたりします。
アニメ2期の回想シーンで「先輩に『周りの音を聞いてない』と怒られる」と言っていた中学生の麗奈が、香織先輩との関係を経て上記のような音楽観の変化があったとすれば、それは1人の音楽家として着実な成長を遂げたと言えるのではないかと思います。この面においての音楽観の深化は、麗奈にとって高校最後のコンクールで良い成績を得る為、もっと言えば彼女が今後一流のトランペット奏者になる為に必要不可欠なものなんじゃないかと個人的には思います。そう考えると、麗奈にとって香織先輩との出会いというのは、極めて重要だったんじゃないでしょうか。







  • サファイア川島は、1巻でコンクール結果重視の考えを否定した後、コンクール観に関する発言がぱったり途絶える
サファイア川島は、物語上ではコンクールの結果を重視する考えに否定的な見解を述べる数少ない人物です。ユーフォの登場人物でコンクールの結果主義に対して明確に否定的な発言をするのはサファイア川島とみぞれ先輩くらいです。1巻では、香織先輩と麗奈のソロの件で部内の空気が悪くなった時、サファイア川島は以下のように言っています。
「コンクールでいい評価を取りたいなら絶対ソロは高坂さんにするべきやと思う」「たださあ、」
「ほんまにそれだけでいいんかなあと思って」
「コンクールの結果以上に大切なものも、緑はあると思うねんなあ。実力だけで決めてしまうのって、なんか悲しいやん」
「中学三年間、ずっと全国大会で金賞だったの。聖女は女子校やし、やっぱこういう揉め事っていっぱいあったのね」
「そのころから、緑、思ったの。もし自分がこの中学を選ばなくて、普通の地区大会で終わる学校の吹部に入ってて、みんなで金賞目指して、普通にのんびりやってる部活に入ったらどうなってたんやろうって。全国とかには無縁だったかもしれんけど、きっとそれも楽しかったと思うねんなぁ」

久美子:コンクールの評価だけがすべてじゃないって、そう言いたいの?

「うん!たぶん、そういうこと」

葉月:そんなん高坂さんかわいそうやろ。なんで自分より下手なやつにソロ譲らんとあかんの

「そういう考え方、緑、嫌い!」
(一部抜粋)
この場面は元々、運動部出身の葉月と中学から吹奏楽を続けているサファイアのコンクールに対する捉え方の対比を表現した場面ですが、シリーズを通して読むと、コンクールの結果を重視する考えを持つ麗奈や優子先輩との対比も見えてきます。麗奈(や久美子・秀一)が居た北中は中3の時に府大会カラ金。優子先輩(やみぞれ先輩・希美先輩)が居た南中は中2で関西大会銀、中3で府大会銀。そんな二人はコンクールの結果に偏重した考えを持っています。対してサファイアは中学時代は3年間全国大会で金賞。そんな彼女が上記のようにコンクールの結果だけを追い求める考えに否定的な意見を述べています。
麗奈と優子先輩はコンクールにおいての最上位を経験していないという体験が、コンクールの結果を求める考えに影響を与えたでしょうし、逆にサファイアはコンクールの最上位を経験し、その副作用を身をもって体感したからこそ、コンクールに懐疑的な考えも併せ持つ事が出来るようになったんだと思います。サファイアも優子先輩と同じように、中学の吹奏楽部での活動が、自身の音楽観の形成に影響を及ぼしている訳です。
ただ、サファイアはこれ以降コンクールに対する所感を述べる場面がありません。同パートの部員にコンクールや出場校のあれこれを解説したり、パンフレットやCDを買ったり名門校に色めきだったりする事はあっても、コンクールに対する考えどころか、北宇治のコンクールの結果に対する気持ちを述べる事もありません。
高1で自身初めて全国大会で金賞を逃した時も「残念やったね」としょんぼり言うのみです。さらに高2ではもっと下がって自身初めて全国大会を逃しているのですが、こちらに関してはそれに対する言動が一切描かれていません。全国大会3年連続金賞を経験した上で「音楽にはコンクールの結果よりも大切なものもあるはずだ」という考えに至ったサファイアが、いざ本当に全国銅賞や関西大会止まりという結果になった時の彼女の心境というのが、もっと掘り下げられてもよかったんじゃないかと思います。
3巻までが刊行された後に、「ひみつの話」という短編集の形式で、本編の補足の話が刊行されました。第二楽章でも「第二楽章版ひみつの話」が、もし万が一執筆されるなら、是非ともサファイアのこの辺の話が読んでみたいです。







  • 久美子の「コンクールの結果を重視する考え」が、物語全体の雰囲気を決定づけているが、久美子はまだ「目指したい音楽像」を描き切れていない
さぁお待ちかね、主人公の久美子です。久美子は元から「音楽は競技じゃないのに云々」という考えが無く、コンクールはある事が大前提として吹奏楽部の活動をしています。恐らく、高校に入るまでは、競技じゃない音楽にコンクールがある事に疑問を持つ事自体が無かったんじゃないかと思います。
中3で府大会カラ金だった時の「関西には行けなかったけど金で良かった」という反応は、そもそも「あまり高望みすると、叶わなかった時にダメージを負ってしまうから、希望を低く見積もっておく」という考えがあっての事なので、麗奈や滝先生に感化された結果、コンクールの結果を重視する考えを前面に出すようになったんだと思います。
元々久美子は主体性に乏しく周りに流される性格として描かれていて、2巻以降は徐々にその殻を破って行くのですが、実はコンクール観・音楽観に関しては麗奈にかなり影響されています。もしかすると、北中の吹奏楽部がそういう音楽観を持って活動しているのかもしれません。
サファイアの項で書いた、1巻で麗奈派か香織先輩派かを巡ってサファイアと葉月が言い争う場面で、久美子は
緑輝と葉月は普段は仲がいいのだが、どうでもいいことですぐに口論し始める。
と内心でつぶやきます。二人の意見の間で板挟みになる辛さからくる気持ちではありますが、初見の時に、この論争を「どうでもいい」と言い切っちゃう久美子にヒヤッとした記憶があります。麗奈と香織先輩どっち側に付く付かないという発想が「どうでもいい」と言っているのかもしれないですが…。

2巻で、みぞれ先輩のコンクールに対しての懐疑的な意見が述べられた時、久美子は思考を巡らせます。
もしもコンクールがなかったら、
少なくとも、先輩とAの枠を取り合ったり、ソロを巡ってもめたりすることはなかったのではないだろうか。好きな音楽を選んで、演奏会に向けて演奏して。そんな生活はずいぶんと魅力的なんだろうな、と久美子は思った。金とか銀とか、そういうことで悩むこともなくなるし、悔しい思いをする必要もない。
でも、
もしもコンクールがなかったら、関西大会行きが決まったときの、あの気持ちは味わえなかった。コンクール前のあのドキドキも、演奏中のワクワクも、全部体験できなかった。それってきっと、とてもつまらないと思う。
(一部抜粋)
コンクールが無い事が魅力的である理由が「コンクールの評価で悩む事がないし、悔しい思いもしない」と言ってる所に、そもそも久美子に「音楽は競技ではない」という考えが薄い事が分かります。
この直後、三年生が演奏について議論を交わすのを耳にして、足取り軽く部屋へ戻ります。そして"その2"で紹介した優子先輩との会話に繋がります。で、ここから先、久美子の思考にはコンクールに懐疑的な考えが出てこなくなります。その結果、物語としてもコンクールに懐疑的な描写がほとんど表れなくなります。さらに、この年は実際に全国大会出場という目標が達成されたので、コンクールに懐疑的な考えを持つ部員が表だっては居なくなる訳です。
「響けユーフォニアム」は、シリーズを通してコンクールに対して非常に前向きな(というか、コンクールに対して懐疑的な雰囲気があまりない)作風になっているのですが、なぜそうかと言えば、主人公である久美子の一人称で話が進んでいて、その久美子がコンクールに懐疑的な考えを持っていないからです。
第二楽章に入って関西止まりになっても、少なくとも久美子は、結果に対しての不条理を感じる事はあっても、「何故本来競技ではないはずの吹奏楽にコンクールがあるのか」という所までは遡りません。それは、文化祭で優子先輩がお客さんに挨拶した後の場面。そして、文化祭後にコンクールの結果に対しての不条理を秀一に吐露する場面で現れます。
優子:今年、北宇治高校は関西大会で金賞をいただきました。これからも頑張りますので、どうか皆さん応援よろしくお願いします

会場のあちこちから、おめでとう!と無邪気な祝福の言葉が飛び交った。悪気がないことは明らかだが、それを聞く部員たちの心は複雑だ。
「私ね、なんとなく北宇治は全国に行くんだと心のどこかで思ってた」
「だって、頑張ってたじゃん。優子先輩も、夏紀先輩も…希美先輩も、みぞれ先輩も、みんな、頑張ってた。演奏だって、絶対に良かった」
「でも、結局ダメだった。私は…私は、それが納得できない。私たちの努力は、なんで報われなかったの?何がダメで、何が足りなかったの?先輩たちは、間違ってないのに。頑張ったのに」
悔しい。悲しい。形にできなかった感情が、食いしばった歯の隙間からこぼれ落ちる
(一部抜粋)

ここで久美子のコンクール結果主義的な考えがハッキリ現れます。もちろん、"その2"でも言った通り、本気でコンクールに挑んだが故の真っ当で切実な感情なのですが、少なくとも久美子の中では、観客からの絶賛の拍手も、自分たちにとって満足のいく演奏が出来た手ごたえも、練習や部活運営に対して精一杯努力を重ねた事も、関西止まりだった事で完全に掻き消されてしまっています。これは、"その2"で書いた加部先輩の演説を経ても基本的には変わりません。どんなに努力しても、納得いく演奏でも、コンクールで評価されなければ、久美子にとってそれらは全て否定されたように受け止めてしまいます。
だからこそ、久美子は秀一との恋人関係を解消してまで、優子先輩の代で果たせなかった全国大会出場の夢を果たすべく部長職に全てを懸ける決意をする訳です。この久美子の姿勢が、作品全体の空気を醸成しています。

もう1つ重要なポイントがあります。実は作品全体の中で久美子は、コンクールに懸ける思い・自身の演奏や曲の完成度などの演奏技術に関する事を述べる場面は多々あるんですが、「自分がどういう音楽をやりたいのか」「自分が目指したい演奏はどういうものなのか」といった、音楽性に関しての考えが表れる場面がほとんどありません。
作中では「コンクールで良い賞を取りたい」「もっとユーフォが上手くなりたい」「あすか先輩のようなユーフォ吹きになりたい」といった思いが発揮される場面はいくつもあります。この3つのうち、あすか先輩を目標に据える考えに関しては、久美子の目指す音楽の姿と言えなくもないんですが、基本的には演奏技量とコンクールの結果が、久美子の目標の中でかなりのウエイトを占めています。
久美子に影響を与えた麗奈は、コンクールの評価を重視はしていますが、先述の通り、麗奈は目指したい音楽像がハッキリしているのに対して、久美子は「コンクールで評価されたい」に偏っていて、「やりたい音楽」「目指したい音楽」が明確になっていない印象があります。

"その2"で紹介した上野氏が述べたように、上手になる為に練習する動機は、コンクールでの評価を得る為よりも、まず「目指したい音楽像」があって、それに向けて練習するべきだと自分も思いますし、そうする事で評価されるコンクールであって欲しいと願っています。久美子はまだ「コンクールで評価されたいから」という動機で音楽をやっているように感じます。同じ事が優子先輩にも言えると思いますし、実はその点こそ、関西止まりになってしまった要因の1つなのかなと思いました。
久美子が部長に就任した事で、そもそもどういう音を出したいのか、どんな音楽を目指したいのか、北宇治高校吹奏楽部としてどういう音楽を奏でたいのか、そういった音楽性に対する考えの深化が、全国大会進出への道なんじゃないかと個人的に思います。もっと言えば、久美子の進路にも影響を与えるかもしれません。具体的には、音大とか教育学部の音楽専攻とかプロ奏者への挑戦とか・・・。久美子三年生編では、この辺の話もでるのでしょうか。












第二楽章の感想ブログもようやく一区切りつきました。なんか、長々書いてるうちに、書きたい論点がぼやけたり、文の前と後で言ってる事が逆転してしまってないか心配です。

長かったブログ執筆もようやく終わったので、そろそろピクシブハーメルンで筆が止まっている臼井君と晴香部長の話の続きを書こうと思います。
興味のある方は是非読んで頂けると!
(最後の最後にダイマすいません・・・)



前後編に亘って読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。