【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム ホントの話」の感想など その2

ごきげんよう
4月5日に刊行された小説版短編集新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話」
の感想ブログ。
今回は後半のうちアンコン編を除いた7~11・13話について気付いた事などをネタバレガッツリ込みで書かせて頂こうと思います。

もはや、刊行から2ヶ月以上も経ってしまいました。どんだけ遅筆なんだ自分…。いや、プライベートが若干忙しかったのもありまして…。










以下ネタバレ注意です!



























七、「未来をみつめて」
  • 実は原作ではほぼ初絡みの晴香部長と香織先輩
アニメではかなり親しい間柄だった晴香部長と香織先輩ですが、実は原作小説では今までほとんど2人が交流する場面が無かったんですよね。定演の時にあすか先輩と3人で来る場面くらいしか、2人が絡む場面がありません。その時も直接は会話してなかったり。
なので、小説版でここまでガッツリ2人の会話が聞けたのはとても嬉しかったです。



  • 「あの子は部長しかできない」というあすか先輩の優子評は言い得て妙
3人による優子部長と夏紀先輩の話が聞けたのは、率直に嬉しかったですね。
優子部長は、部長が適任というよりは、部長以外に適任が無いというあすか先輩の評は、少し言葉は強いですがその通りだなと思います。そして、その優子部長を操縦できるのは夏紀先輩しか居ないので副部長を任せたという事なので、この二人が最高学年になった段階で2人は部長・副部長の関係になる以外の道が無かったという事になります。まさになかよし川。そして、それを見事に見抜いたあすか先輩は、人を見る目が的確という事でもあります。
それにしても、あれだけ「自分がユーフォを吹けさえすればそれでいい」というスタンスを表に出していたあすか先輩が、晴香部長と香織先輩には部活全体や今後の事を考えてる側面を見せる所にグッときますね。



  • 晴香部長の心中のつぶやきは、青春の刹那性を強く意識させられる
お土産コーナーであすか先輩と戯れている間、晴香部長は思います。
自分とあすかの友情は、これから先、いま以上の密度を持つことはないだろう。
・・・
でも、いまだけはまだ、自分たちは友達だった。ここにいるのは北宇治高校吹奏楽部の部長であり、副部長であり、パートリーダーだった。卒業後は価値を失う肩書を、忘れないでいたかった。いまを共有している証を、晴香は欲した。
この文章、青春の刹那的な空気を実に鮮やかに表してるなと思うんです。高校生活はたったの3年。留年でもしない限り自動的に最高学年になり、まして部活動の部長・副部長となればそれなりの重圧が降りかかる訳です。そして、1年経てば自動的に引退となります。
その余りにも短い期間に2人が経験した事は非常に濃密で、恐らくは今後の人生でもこれ以上濃密な1年間はなかなか無いと思います。
この文章は、青春の儚さ・切なさ・輝きを見事に表現してると思います。武田先生がお若いからこそ、この青春時代のリアルな空気を表現できるんだろうと思いました。青春ものの創作物として、ここの描写が優れているという事は、作品の完成度に与える影響は非常に大きいです。






八、「郷愁の夢」
  • 新山先生の、憧れる先輩への余りに切ない願い
最初、新山先生は滝先生に憧れてたのかと思ったんですが、滝先生の(のちの)奥さんである千尋さんが新山先生の憧れだったんですね。滝先生が久美子に打ち明けた通り、なかなか活発な方だったようです。
この新山先生の、同性である千尋さんに対する愛情にも似た憧れの感情は、とても共感できるんです。特に以下の部分
千尋にはもっとふさわしい人がいるのでは、と聡美が考えてしまうのも致し方ないことだろう
「そりゃ私も、千尋さんみたいな恋人がいたら四六時中一緒にいたいって考えると思いますけど。あーあ、滝先輩はズルいですよね。いいなあ、こんな彼女がいて」

千尋:私じゃなくて滝君がうらやましいの?

「うらやましいですよ。滝先輩め!って何回も思ったことありますもん。私のほうが千尋先輩を好きなのに!って」
こういう事って、男性同士だとほとんど起こらないんですが、女性同士だと割と起こるんですよね。少なくとも自分の周りでは結構起こってました。この「女性同士特有の距離感」というのは、1巻の段階から作中の空気を醸成する一つの要素になっていましたし、武田先生もそれを表現したかったと明言されています。この短編でもそれはよく表現されてると思います。「お付き合いしたい」とかではないんだけど、その人に相応しい恋人が現れて欲しい、その人の幸せを願わずにはいられない。そんな相手って居るんですよ。
この後の近未来を読者は知っているだけに、心に棘が刺さる最後になっていますが、千尋さんの短い生涯はとても幸せなものだったんじゃないかと思うんです。そして、その幸せな生涯は千尋さんの中では永遠に更新される事がないと考えれば、新山先生が願った「千尋先輩の永遠の幸せ」は、叶ったとも言えるんじゃないかと思います。









九、「ツインテール推進計画」
  • 強豪校になってもちゃんとある賑やかで微笑ましい日常は、良い音楽作りへの大事な土台
とにかく楽しく賑やかで微笑ましい、ホッとする話です。ユーフォシリーズは物語の性質上、どうしてもギスギスピリピリな場面が多く登場するのですが、いくら強豪校とはいえ、こういう空気もちゃんと存在してるんだというのを垣間見れると何だか安心します。そして、こういう和やかな空気は、音楽を作り上げる上での、大事な土台の1つだと自分は思います。やっぱり、部内の空気がギスギスしてては、演奏する音楽もギスギスしたサウンドになってしまいますから。





十、「真昼のイルミネーション」
  • 十話の一文で気付かされる、一話での希美先輩の成長
自分がこの話を読んだ時に最も印象に残ったのは以下の部分です。
他人の悪口を言うほうが、自分自身と向き合うよりもずっと楽だ。苦しいことと向き合うには未来はあまりに長いから、理不尽さを誰かにぶつけて解決したと思い込みたくなる。でも、自分がそんな人間になるのは嫌だ。希美は、自分のなかにある醜い部分から目を逸らさない人でありたい。
「飛び立つ君の背を見上げる(Fine)」において希美先輩の中でくり返し現れた負の感情は、自分の中にある「醜い部分から目を逸らさない」事を実践した結果という事だった訳です。ここを読んで始めて、実は1話の段階で希美先輩は精神的成長を遂げているんだという事に気が付きました。
この感覚は、希美先輩が元から持っていたものなのか、みぞれ先輩との関係性の中で築いたものなのかは分かりませんが、自分は、やはりみぞれ先輩の覚醒を目の当たりにして、涙ながらに久美子に独白をしたあの体験があって、この感覚に辿り着いたんだろうと考えています。そうだとすれば、希美先輩にとってあの経験は決して無駄ではなかったと言えますし、復部を決断した事は彼女の人間的成長にとってプラスになったと言えます。
「飛び立つ君の背を見上げる(Fine)」を先にHPに上げておいて、短編集にこの話を載せる事で「飛び立つ君の背を見上げる(Fine)」の希美先輩の姿勢の理由が紐解かれるというこの手法に、"お見事"と感嘆の声を上げてしまいました。







十一、「木綿のハンカチ」
  • 高校時代にちょっとだけリペアを目指した記憶が呼び起こされた
実は、高校時代に少しだけリペアを目指した事があるんです。
社会人になっても音楽は続けたい。出来れば音楽に携わる仕事がしたい。でも実際問題、音大や教育大は無理。ならばリペアならいけるんじゃないか。そんな夢は「リペアは食べて行けるだけの給料を貰えないからやめとけ」という諸先輩方の助言によりあえなく砕け散った訳ですが・・・。
それにしても、この2人の安定感は凄いですね。既にご両親からの信頼も得ている事を考えると、これはもう結婚するしかないですよね!後藤先輩には是非頑張って、腕の立つ高給取りのリペア目指してもらいたいです。





十三、「飛び立つ君の背を見上げる(D.C)」
  • 優子部長視点で見えるみぞれ先輩の成長
「飛び立つ君の背を見上げる(Fine)」と同じ場面の、優子部長視点の話。希美先輩と夏紀先輩が、優子部長とみぞれ先輩と合流する前に何があったのかが種明かしされます。
ヒミツの話に収録されている「きみのいなくなった日」という話の中で、みぞれ先輩は1年生の時、希美先輩が辞めた時に声を掛けてくれた優子先輩に対して
多分、彼女は自分に気を遣ってくれているのだ。幼馴染みに見捨てられたみぞれがかわいそうだから。だから、こんなふうに優しくしてくれている
なんて余りにも卑屈な感情を抱きます。
さらに2巻での希美先輩との和解のシーンでも、希美先輩が戻ってきたとなった瞬間、あれだけ寄り添ってくれた優子先輩を置き去りにして希美先輩の懐にどっぷり浸かりに行ってしまいます。そして、希美先輩とみぞれ先輩の関係は元の木阿弥。
一応、定演の時などには優子部長はじめ、他の部員にも目を向ける場面もあり、少しずつ視野が広がって来てる様子があったものの、第二楽章では「希美が・・・」の一点張り。
そんなみぞれ先輩が、第二楽章後編を経て、自分の意思と言葉でちゃんと優子部長にお礼を述べる訳です。本当に、ようやくみぞれ先輩も自立した大人としての一歩を踏み出したと思えて、嬉しかったというよりホッとしました。アンコン編で希美先輩が言ったように、みぞれ先輩はもう1人でも大丈夫だと思います。優子部長は
「みぞれのことやから世話焼いてくれる友達がいつのまにかできてそうやな」
という言い方をしている辺り、ある意味希美先輩よりはみぞれ先輩を信用してないんだろうと思います。ま、優子部長の気持ちも分からなくはないですが。






  • 優子部長と夏紀先輩の厚い厚い友情は、親友を超えて「心友」レベル
2人とも青春時代にこんな「心友」に巡り会えて羨ましいです。







  • 短編集の一番最初の希美先輩視点の話が「Fine」で、一番最後の優子部長視点の話が「D.C.
"その1"でも書きましたが、「Fine」というのは「繰り返しなどで戻った時に『Fine』の所で曲を終わらせる」という意味の音楽記号です(フィーネと読みます)。一方「D.C.」は、曲の一番最初に戻って繰り返すという意味の音楽記号です(ダ・カーポと読みます)。
希美先輩視点の、希美先輩とみぞれ先輩とのやり取りが中心の話は「Fine」。つまり、2巻で最初の共依存状態に戻ってしまった二人の関係も、お互いが自立し別の進路を行く事で「終わり」を迎えます。
一方、優子部長視点の、夏紀先輩へ宛てた手紙がベースとなっている話は「D.C.」。二人は同じ大学に進学するので、お互いの関係は「初めに戻って繰り返し」。
しかも、「Fine」を1話目にして「D.C.」を最終話に持ってくるなんて、武田先生はおしゃれな事をするなとニヤッとしたりしました。









取り敢えず、アンコン編以外の感想は以上になります。
ほんと、自分の遅筆っぷりが恐ろしいですww


それでは、
ようやく、いや今更と言ってもいいほど時間が経ってしまっていますが、後日アンコン編の感想を上げますので、気長にお待ち頂ければと思います。




【ネタバレ注意】【追記あり】「響け!ユーフォニアム ホントの話」の感想など その1

ごきげんよう
本業のボカロPとしての活動そっちのけでブログ等を書いてる無味Pです。

今日は4月5日に刊行された小説版短編集新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話」
を読んで、気付いた事などをネタバレガッツリ込みで書かせて頂こうと思います。
最初は発売後1週間で上げようと思ってたのですが、まさかの「リズと青い鳥」公開日のアップになりましたww

相変わらず書きたい事がジャンジャン溢れてしまったので、
・1~6話
・7~11、13話
・アンコン編
の3つに分けようと思います。


2018年4月24日に、第6話の部分を少し追記しました。







以下ネタバレ注意です!

































  • あの話もこの話も読みたかったけど…

短編集が刊行されると発表されてから、「あんな話が読みたい!こんな話が読みたい!」みたいな感じで、色んな話を勝手に期待していたんですが、流石にそんな都合よくは行かないですよねww
ホントの話には収録されなかったけど、個人的に読みたかった話を勝手に羅列して供養しようと思います。

・加部先輩の話が、いつの時点の何の話でもいいから見たかった。
・加部先輩が顎関節症を発症した時に滝先生に相談した時の話が見たかった。
・美知恵先生の話が、いつの時点の何の話でもいいから見たかった。
・関西大会が終わった時の滝先生の胸の内が分かる話が見たかった。
・同じく、関西大会が終わった時のサファイア川島の心情が分かる話が見たかった。
・それでもやっぱり、唯一の3年生がA編成に入れなかったトロンボーンパートの物語が見たかった。
・B編成のコンクールの話が読みたかった。

この辺は、時系列的にも今後補完される事は無いと思うので、自分の中に収めてゆっくり消化しようと思います。

では、ここから先は13ある短編のうち、確実に長くなるアンコン編を除いた12作品の中で、
前半の6作品について、それぞれ1話ずつ感想を書こうと思います。






一、「飛び立つ君の背を見上げる(Fine)」
  • 短編集を通しで読む事で分かる、希美先輩の、ほんの小さく、かつ確実な成長の1歩
この話は、ホントの話が刊行される直前に宝島社の特設公式ホームページに掲載されたものです。
特に印象的なのは、鏡の前で希美先輩が支度をする場面。
手っ取り早く変われるなら、それで。
この文は、パーマをあてるか思案する中でのものですが、この「変わりたい」という願望をベースに、希美先輩視点で話が進みます。夏紀先輩・みぞれ先輩との会話で、希美先輩の中に生まれる負の感情が物語上で何度も描かれ、抑えきれない形で表情や態度として発露される様子も描かれています。
最初、この話をホームページで読んだ時には
「希美先輩とみぞれ先輩は成長する切っ掛けを得たと思ったんだけど、あんまり成長できてないなぁ。まぁ、急に成長を遂げない方がリアリティあるか」
くらいにしか思っていませんでした。
が、短編集を通しで読むと、実は希美先輩もみぞれ先輩も着実に成長をしてるんだという事に気付きました。特にこの「飛び立つ君の背を見上げる(Fine)」は、「真昼のイルミネーション」と「アンサンブルコンテスト」と併せて読む事で、この短編単体では気付かなかった希美先輩の成長を読み取る事ができます。そういう仕組みにしてあるのでしょうか?それとも自分の読解力の問題?詳しくは「真昼のイルミネーション」の所で書こうと思います。
みぞれ先輩に関しては、この短編では分かりませんが、最後に収録されている「飛び立つ君の背を見上げる(D.C.)を見ると色んな事がガチっとハマって、これまたみぞれ先輩の成長を垣間見れるようになってますが、それも後程。
因みに、「Fine」というのは「繰り返しで戻ってきた時に、ここで曲を終わらせる」つまり曲の終わりを意味する音楽記号です。覚えておきましょう。


  • 希美先輩とみぞれ先輩の家庭環境の差
夏紀先輩と希美先輩は大学生活の話題で
「春から家はどうすんの?実家?それとも一人暮らし?」
「うちは実家やけど、優子は一人暮らし始めるって言うてたな。希美は?」
「うちも実家。下宿させられるような金はありませーんって親に言われた」
「ド正論やな」
という会話をします。娘を大学に入学させる事が出来るだけでも、傘木家は経済的に充分豊かではあるんですが、この会話によって希美先輩の音大受験は、演奏技量以前にそもそも経済的にかなり厳しいものだったという事が分かります。
かたやフルートこそ自持ちさせられるものの、娘を大学に行かせるのに精一杯で、下宿させるだけの余裕がない傘木家。
かたや超高額で名高いオーボエを自持ちさせ、家にグランドピアノがあり、娘は音大受験の際に経済的な不安という発想が(少なくともそのような描写が作中に)一切無い鎧塚家。
武田先生は作品にリアリティを持たせたいと言っていました。この辺は、まさにその「リアリティ」という事なのでしょう。


  • なかよし川はやっぱり至高
自分が語るまでもありません。








二、「勉学は学生の義務ですから」
  • 周りが上級者過ぎるが故に、普通の葉月が相対的にグータラに見える
特に麗奈とサファイア川島は完全に「意識高い系」なので、余計そう感じます。久美子も勉強への意識に関しては葉月寄りなんですが、成績に関しては葉月よりも上で、かつ楽器の腕前は葉月よりずっと上手という事で、ますます葉月がグータラに見えます。
これはあくまでもグータラに「見える」だけだと自分は思います。北宇治は学力的に中の上であるという記述があるので、そもそも猛烈な進学校ではない訳です。麗奈はその中でも進学クラスな訳ですが。そして葉月の言う
たとえ未来の自分が苦労しようとも、いまが幸せならそれでいいじゃないか
という感覚は、実に高校生らしいと自分は感じますし、理屈では分かっていてもどうしても勉強を嫌になってしまうのは学生にとって普遍的な事のように感じます。
そんな葉月を囲む3人は、学力も演奏技量も葉月よりも上。一番の救いは、葉月自身がそれに対して劣等感に苛まれていない事ですが、読者の目にはどうしても相対的にグータラに映ってしまいます。原作ではあまり明るい光を浴びない葉月は、3年生に上がってどうなるでしょうか。






三、「だけど、あのとき」
  • 作中唯一の「ガチのソレ」である香織先輩が、ダメ男に引っ掛からずあすか先輩に引っ掛かったのは幸か不幸か
この話は、第二楽章の後編が刊行される前日に宝島社の特設公式ホームページに掲載されたものです。そのタイミングにこの話を投下する武田先生はやっぱり凄いなと思います。
この話の肝は、やはりこの部分でしょう。
香織は、自分が他者から愛されることを知っていた。
香織は自分に親切にしてくれる相手にきちんと誠意で応えるようにしていた。自分を愛してくれる周囲の人々を、香織は心から愛していた。
だけど、あすかは初めから違った。
あすかは香織に、無条件の親愛を与えなかった。それでもそばにいたいと思ったのは、香織があすかに求めているのもが単なる親愛などではなかったからだ。
香織先輩が凄いのは、これだけの美貌をほこり、周りからちやほやされまくりの人生を送っている中で、高飛車になる事無く相手から受ける好意に対して誠意をもって対応している事です。尚且つその相手に返す誠意に「してやってるんだぞ」感が一切ないので、どんどん周りの好意を呼び寄せ、それに誠意を持って応えるから、さらに好意を・・・という好循環が生まれ、僻みや妬みを生みにくい。だからこそ香織先輩の人格もどんどん素晴らしいものになっていきます。それでも妬んだり僻んだりするような人間が近くに居なかったという環境も相俟って、人格者の美人が生育される好循環が達成されているわけです。ここでも「周りの環境」がものを言っていると思います。
そんな中、その美貌と「無条件の親愛を与えなかった」という理由で、あすか先輩に想いを寄せる香織先輩。これは場合によっては、自身の端正な外見を利用して女性を食い物にするような"クズなイケメン"に引っ掛かる可能性が大いにあるんです。そんな中で、あすか先輩に想いを寄せるようになったのは、見方によっては幸せな事だったんじゃないかなと思います。
そして最後、公式ホームページには無かったあとがきが加筆されています。ツイッターでは、この部分を指して「香織先輩ヤバい」みたいな反応がかなりありましたが、個人的にはこのくらいの事をするような雰囲気は原作1巻の時点で充分過ぎるほど出していたので、そこまで驚かなかったです。まぁ作中で唯一、公式で「ガチのソレ」である香織先輩ですから、個人的には
「さすがだなぁ」
くらいに思いましたw
末永くという訳にはいかないと思うので、2人には出来る限り長く耽美な世界を堪能して頂きたいと願っています。







四、「そして、そのとき」
  • 葵先輩に最初に声をかけた杏子さんは、最初「あっ!」と思ったけど違った
葵先輩が大学の入学式で秀大付属の杏子さんに声を掛けられる所から話が進む訳ですが、最初杏子さんが秀大付属の吹奏楽部出身だと告げた瞬間に
「あ!もしかして『あかりちゃんの件』で、怪我してコンクールの関西大会に出れなかったあの先輩か!?」
と思ったんですが、すぐ次の台詞に「トランペットだった」と告げられ、瞬時に否定されました。この杏子さんが、もしあの関西大会に出れなかった先輩だったなら、どんな話になったのか。杏子さんのようにカラッとした態度を取れたか。いや、葵先輩もコンクール前に退部したので、そこまで変な空気にはなってないかもしれませんが。
杏子さんのセリフで刺さったものがあります。
葵先輩:入ってから怖いサークルってわかったらどうしよう
「そのときはやめたらやめたらええやん。趣味やねんから。我慢するために音楽やるんちゃうんやで?楽しめへんかったら意味ないやん」
このセリフが、全国大会常連校出身で、かつ最後の大会で全国行きを逃した代の人が言うという所が、このセリフをさらに重いものにしています。
そう、音楽は・趣味は、楽しめなかったらやる意味なんて無いと自分も思います。楽しい事と怠ける事は違います。楽器を吹く事・音楽をやる事が辛いなら、やる意味は無いと思うのです。そういう意味で、音楽をやる事が辛くなって部活を辞めた葵先輩が、再び音楽の世界に足を踏み入れた事はとても意味のある事だなと思います。



  • 晴香部長の行動力と音楽愛に心が暖かくなる
晴香部長が北宇治の部長を辛いながらも続けてたのは、やっぱり音楽やサックスへの愛なんでしょうし、大学に入って他校のサークルを探してるというのは、音楽愛ゆえの行動力だと思います。楽器が自持ちなら、一般の吹奏楽団という選択肢は思いつくんですが、他校のサークルというのは全く想定外なのは自分だけでしょうか。
吹部出身者が高校を卒業後に音楽を続ける場合、ほとんどの場合は趣味の範疇で続ける事になる訳です。数多あるサークル・楽団の中で、晴香部長のようにあちこち回ってみて、自分の音楽観に合った所を見つけるというのはとても楽しい事です。中学・高校ではなかなか経験できません。府大会に応援に来た晴香部長と葵先輩の様子を見ると、どうやら2人はちゃんと合う場所に巡り合えたんだなと暖かな気持ちになります。高校時代に音楽によって精神を擦り減らす経験をした2人の、今後の音楽人生が豊かなものであるように願わずにはいられません。



五、「上質な休日の過ごし方」
  • 女子高生同士の仲良しな空気感のリアルさは女性作家ならでは
自分というキャラクターをある意味演じている奏にとって、数少ない「演じる割合が少なくて済む」梨々花は、精神的な息抜きができる貴重な存在なのだなという事が良く分かります。今後、奏が精神的に追い詰められる事があった時に、救うのは梨々花なのは間違いないかなと。
それにしても、この2人のやりとり。意味があるようで無いようで、薄っぺらで表面的に見えて、その実、心を許した者同士でしか成り立たないこのやりとりは、女性作家ならではのものかなと感じました。これは、自分の中でのある種の偏見かもしれませんが・・・。




六、「友達の友達は他人」
  • 芹菜がまさかの低音3人+つばめとクラスメート
まさしく、作者だからこそ為せる業。いやいや、だからこそサファイア川島の独演会が見れたので、武田先生には感謝です。



第二楽章後編の感想ブログその4で、サファイア川島のコンクール観について書きました。サファイア川島は、過去に「コンクールで良い賞を取る事よりも大切な事があるはずだ」と言ったり「自分のコンバスが他校に負けたと思った事が無い」と言ったり、ちょっと掴めないところがあったんですが、このSSで、本人の口からかなり具体的な証言を得ました。
芹菜:どっちのほうが上なん?北宇治と、立華と
「演奏って、どっちが上とか言えへんなぁって、緑、思うねん。全国出場とか金賞獲得とか、上手いねって言われる学校のバロメーターは確かにあるけど、でも、音楽ってそれだけちゃうやんか。聞く人の好みもあるし、音楽は生き物やからステージによっても変わったりするし。やからね、緑はあんまり軽々しくどっちが上とかは言えへんかな」
このサファイア川島の発言、とても共感します。そして、この感覚、吹奏楽部員として非常に大事な考えだと思うんです。
芹菜は吹奏楽部の事を良く知らないので、「部活」という事で運動部と同じノリでこういう質問をした訳ですが、それは図らずも吹部にとって永遠の命題に触れる質問で、それに対して真摯に答えるサファイア川島は音楽に真面目だなと思います。(そいえば自分も昔、野球部出身の人から「吹奏楽部って、何を競うの?」「その『合同演奏会』ってのは大会なの?」って聞かれて返答に困った事がありましたw)
北宇治のようにコンクールの全国大会を目指して日々活動をしてると、どうしても「あそこの高校はうちより上手・下手、強い・弱い」みたいな発想になってしまう事があると思うんです。久美子や優子部長はじめ、作中でそういう発言する部員が結構いますよね。もちろんその後の発言でもある通り、北宇治の演奏が一定水準以上にあるという自負があるが故のサファイア川島の発言ではあるんですが、コンクールでの評価に対する価値の比重が高くなってしまいがちな学校吹奏楽にあって、この考えは『音楽』をする上で忘れてはいけない事だと思うんです。そしてこれは、短編集後半にあるアンコン編にもゆるく繋がっていきます。


  • 【追記】サファイア川島の音楽観は、麗奈との対立を生むかもしれない
原作2巻で「圧倒的に上手な演奏をすれば、コンクールで評価されない事はない」と発言している麗奈は、物語の中で「音楽は競技だ」という考えが一貫しています。サファイア川島のこの音楽観は、それとは相反するもののように自分は感じます。麗奈とサファイア川島は、共に北宇治吹部の中で抜きん出た実力を持っています。そして麗奈はドラムメジャー(実質生徒指揮?)。そんな2人の「音楽に対する考え方の相違」は、久美子3年生編でなにか一波乱を起こすでしょうか。そんなのも物語的に面白いかなぁと思ったりしますが、どうでしょうか。


















後半の7~13話は、「その2」に続きます。



【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 第二楽章 後編」の感想など その4

10/5に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
自分でもびっくりのその4です。その3から2か月以上経ちまして、まさかの年越しとなりました。今更こんな記事を読んで下さる方には感謝しかありません。


















しつこいですが、以下ネタバレ注意です!











  • 麗奈の変わらないコンクールに対する姿勢と、変わりつつある音楽に対する姿勢
麗奈は、基本的には滝先生と同じく「自分の目指す音楽像」の先にコンクールの結果が付いてくるという考えですが、滝先生よりもっと先鋭化していて「誰も文句言えないくらい上手になれば全国金賞を取れない訳が無い」と思っています。そして、少なくともコンクールに対しては、かなり競技的な側面に傾向した考えを持っています。あるいは、音楽そのものを競技として捉えているのかもしれません。

その考えは2巻で述べられています。
「たまにさ、『音楽を評価するなんてできないから、コンクールは気にしなくていい』とか言う人いるやん?アタシ、あれって勝者だけに許された台詞やと思うねんな。下手くそなやつが言ってもそんなんは負け惜しみやんか」
この考え自体は間違った事とは思いませんが、"勝者"や"負け惜しみ"という語彙に、麗奈がコンクールを競技として考えてる事が表れています。しかもそこには他の部員が抱く「音楽は本来競技じゃないけど…」というような迷いが一切ありません。なので、中3で府大会カラ金でも、高1で全国銅でも、高2で関西カラ金でも、悔しさを強く感じてはいますが「こんなに頑張ったのに結果が伴わない」というような評価に対する不条理を一切口にしません。この考えは、中3の時に府大会銀賞のショックを味わっている南中出身の優子部長・希美先輩・みぞれ先輩(特にコンクールに対して「良い結果だと好きだし、悪い結果だと嫌い」と言っている優子先輩)との対比になっています。優子先輩と麗奈は共にコンクールの結果を重視していますが、結果に対する考えが対になっているのが興味深いです。逆に、そこが対になっていても、コンクールの結果に偏重した考えを持っているという点で価値観が合致しているので、麗奈は優子先輩を「有能な部長」と思っている訳です。もちろん、優子部長の人心掌握術や調整能力も込みでの判断だとは思いますが。

麗奈はさらに続けます。
「もし圧倒的な上手さがあれば、コンクールで評価されへんなんてことはありえへんと思う。そりゃあ確かに、審査員の好みって結構あるし、百パーセント公平とは言えへんけど。でも、誰が聞いても上手い学校ってあるやん。こいつらプロか、みたいな。あそこまでいけば誰だって評価してくれる。やから、文句を言うならあのレベルになってからかなって思う」
「アタシ、コンクール結構好きやねん。あんなにいっぱいの人に音楽を聞いてもらうチャンスって、滅多にないわけやし。やから、できるだけマイナスには考えたくない。やるからには全力出したい」
ここで麗奈は「プロレベルの演奏をすれば評価されないなんて事はない」と述べます。麗奈にとって目指したい音楽は「プロ級の演奏」というハッキリした音楽像があって、目標の音楽=プロ級の演奏=コンクールで評価されない訳がない演奏となるので、コンクールの結果に対する不条理を訴えない考えになるんじゃないかなと思います。この、目指したい音楽像がハッキリしているという点が、優子先輩など、他のコンクールの評価を重視するキャラクターとの差になっているように感じます。
ただ、少なくともこの時点では音楽性や表現力より演奏技術に偏重した考えが「圧倒的な上手さ」「誰が聞いても上手い学校」という表現から滲み出てるようにも感じます。彼女の演奏自体は、音楽表現の面でも極めて優れた奏者である事が随所に描かれているなかで、彼女のこの姿勢は逆に際立ちます。そして、なぜそんな発想に至ったのかと言えば「いっぱいの人に聞いてもらえるチャンスは滅多にないからマイナスに捉えたくない」というシンプルなものです。父親がプロのトランペッターで、幼少期からトランペットもピアノも習い、自宅に練習環境も用意されている彼女が、コンクールの競技性に一切の疑念を持たず、かつ音楽表現より演奏技術に重点を置いているというのが彼女の音楽に対する姿勢の特徴であると言えます。

上記の姿勢は物語の中で基本的に一貫していますが、第二楽章(あるいは、その前の定期演奏会・立華との合同演奏会編)に入って変化が見られる点があります。それは、集団で協調して音楽を完成させるという意識です。原作3巻まではその意識が希薄で、音楽への姿勢がかなり先鋭化したキャラクターとして描かれています。
この姿勢と、先述の「音楽は競技である」という考えが合わさって発生したのが、香織先輩とのソロ争いの時の諍いです。原作では「ソロを譲らない事でとやかく言ってくる連中」を、アニメ版では香織先輩そのものを(と捉える事も出来る言い方で)「ねじ伏せる」と豪語しています。コンクールの演奏を競技として捉えているので、ソロパートのオーディションも純粋な競争と考えています。まぁ、オーディションでメンバーを選んでる訳なので確かに競争なのは間違いないんですが、麗奈の中には「そうは言っても音楽の根本は競技ではない」という発想が薄いので、香織先輩に譲れと言ってる人達の考えが全く理解できない訳です。
しかし、再オーディションを経て滝先生に「中世古さんではなくあなたがソロです」という言葉を貰い、香織先輩が涙を流しながら自分にソロを託す姿を見て、徐々に「吹奏楽は一人ではできない」という考えを持ち始めます。ただ、この段階ではまだ完全にこの考えには至り切ってはいないと思われます。なぜなら、3巻の全国大会の結果発表後に、麗奈と香織先輩の以下のようなやり取りがあるからです。
不意に、香織が腕を伸ばす。滑らかな指が、麗奈の頭を優しくなでる。
「ここまで、よう頑張ったね」
その言葉に、麗奈は自身の膝へと顔を埋めた。
その瞳からあふれ出す透明な涙が、少女の頬を伝って落ちる。
「すみません、先輩」
麗奈の香織先輩への謝罪は「香織先輩の思いも背負ってソロを吹いていた」という事ではあるんですが、見方を変えれば、全国銅賞という結果は集団で完成させた音楽に対する評価だという考えではないが故の発想とも言えます。香織先輩や久美子や他の部員の演奏、滝先生の指導や指揮を含めての銅賞という評価な訳で、それに対して麗奈が謝るというのは、冷静に考えれば自分以外の奏者の存在に無頓着な姿勢とも取れます。
それに対し香織先輩は
「謝ることなんてなんもないのに。ここまで来れたんは麗奈ちゃんのおかげやわ」

と返します。麗奈の頭をなでた時にかけた「よく頑張った」という言葉の中には、自分からソロの座を奪った事で受けた逆風に対しての労いもあったでしょうし、自分に対して謝罪の意思を示した後輩に対し「謝る事は無いし全国に来れたのは麗奈のお陰だ」とかけた言葉は全くの本心だったでしょう。恐らく麗奈は、この香織先輩の対応を受けて、吹奏楽は1人では出来ないんだという考えを明確に持ったと思います。定演以降、麗奈の口からは演奏全体に関する発言が増えた印象があります。

この意識の変化をはっきりと感じたシーンが、第二楽章後編で見られます。それは、久美子がソロの指導を受けに行く途中、偶然居合わせた麗奈と共に、外で練習する夢の音色を聴くシーンです。麗奈は夢の演奏をこう称します。
「小日向さんってさ、サードやねんか。いや、もちろんサードが重要ってのはわかる。サードがしっかりしてへんとハーモニーが上手くいかんし、ファーストとサードのあいだでバランス取らなあかんセカンドも、曲を作るうえで欠けたらあかん」
「でもさ、高音が得意な子をサードにするのって、宝の持ち腐れやと思わへん?」
(一部抜粋)
定演編や第二楽章前編で、音楽に対する意識の変化を随所に感じていましたが、後編のこのセリフは、麗奈の意識の変化を明確に表していると思います。
まず1つは、パート毎に優越が無いと明言した点。トランペットパートという小さな枠内でさえ、1人で音楽を構成出来ない。かつ、ファーストもセカンドもサードも貴賤なく等しく重要であると言っています。吹奏楽は集団の協調によって音楽が完成するという意識が芽生えているからこそのセリフだと思います。
そしてもう1つは、夢がサード担当である事を不服に思っている理由が「夢が高音を出すのが得意だから」という点です。個人的に、麗奈の音楽観の変化を一番感じたセリフです。
久美子も言っていますが、パート分けは上手い順にファースト・セカンド・サードと割り振る認識があったりします。恐らく麗奈も高1まではそういう認識だったんじゃないかと推測します。その麗奈が「上手だから」ではなく「高音が得意だから」という理由で夢をファーストに推そうとするところに、麗奈の認識の変化を強く感じました。もし夢が、同じ「技量が高い」でも、高音より(ペット音域内での)中低音の響きや安定感が抜群だと感じたならば、麗奈も無理にファーストに推したりしなかったんじゃないかと思います。
後編全体としても、みぞれ先輩の演奏に不服を立てる時も「このままだとコンクールで良い賞が取れないから」という物言いではなく、音楽の完成度や音楽性に対しての懸念からの物言いが多い印象があります。麗奈もここにきて音楽表現に対しての考えを表す場面が出てきた所に、彼女の成長を感じたりします。
アニメ2期の回想シーンで「先輩に『周りの音を聞いてない』と怒られる」と言っていた中学生の麗奈が、香織先輩との関係を経て上記のような音楽観の変化があったとすれば、それは1人の音楽家として着実な成長を遂げたと言えるのではないかと思います。この面においての音楽観の深化は、麗奈にとって高校最後のコンクールで良い成績を得る為、もっと言えば彼女が今後一流のトランペット奏者になる為に必要不可欠なものなんじゃないかと個人的には思います。そう考えると、麗奈にとって香織先輩との出会いというのは、極めて重要だったんじゃないでしょうか。







  • サファイア川島は、1巻でコンクール結果重視の考えを否定した後、コンクール観に関する発言がぱったり途絶える
サファイア川島は、物語上ではコンクールの結果を重視する考えに否定的な見解を述べる数少ない人物です。ユーフォの登場人物でコンクールの結果主義に対して明確に否定的な発言をするのはサファイア川島とみぞれ先輩くらいです。1巻では、香織先輩と麗奈のソロの件で部内の空気が悪くなった時、サファイア川島は以下のように言っています。
「コンクールでいい評価を取りたいなら絶対ソロは高坂さんにするべきやと思う」「たださあ、」
「ほんまにそれだけでいいんかなあと思って」
「コンクールの結果以上に大切なものも、緑はあると思うねんなあ。実力だけで決めてしまうのって、なんか悲しいやん」
「中学三年間、ずっと全国大会で金賞だったの。聖女は女子校やし、やっぱこういう揉め事っていっぱいあったのね」
「そのころから、緑、思ったの。もし自分がこの中学を選ばなくて、普通の地区大会で終わる学校の吹部に入ってて、みんなで金賞目指して、普通にのんびりやってる部活に入ったらどうなってたんやろうって。全国とかには無縁だったかもしれんけど、きっとそれも楽しかったと思うねんなぁ」

久美子:コンクールの評価だけがすべてじゃないって、そう言いたいの?

「うん!たぶん、そういうこと」

葉月:そんなん高坂さんかわいそうやろ。なんで自分より下手なやつにソロ譲らんとあかんの

「そういう考え方、緑、嫌い!」
(一部抜粋)
この場面は元々、運動部出身の葉月と中学から吹奏楽を続けているサファイアのコンクールに対する捉え方の対比を表現した場面ですが、シリーズを通して読むと、コンクールの結果を重視する考えを持つ麗奈や優子先輩との対比も見えてきます。麗奈(や久美子・秀一)が居た北中は中3の時に府大会カラ金。優子先輩(やみぞれ先輩・希美先輩)が居た南中は中2で関西大会銀、中3で府大会銀。そんな二人はコンクールの結果に偏重した考えを持っています。対してサファイアは中学時代は3年間全国大会で金賞。そんな彼女が上記のようにコンクールの結果だけを追い求める考えに否定的な意見を述べています。
麗奈と優子先輩はコンクールにおいての最上位を経験していないという体験が、コンクールの結果を求める考えに影響を与えたでしょうし、逆にサファイアはコンクールの最上位を経験し、その副作用を身をもって体感したからこそ、コンクールに懐疑的な考えも併せ持つ事が出来るようになったんだと思います。サファイアも優子先輩と同じように、中学の吹奏楽部での活動が、自身の音楽観の形成に影響を及ぼしている訳です。
ただ、サファイアはこれ以降コンクールに対する所感を述べる場面がありません。同パートの部員にコンクールや出場校のあれこれを解説したり、パンフレットやCDを買ったり名門校に色めきだったりする事はあっても、コンクールに対する考えどころか、北宇治のコンクールの結果に対する気持ちを述べる事もありません。
高1で自身初めて全国大会で金賞を逃した時も「残念やったね」としょんぼり言うのみです。さらに高2ではもっと下がって自身初めて全国大会を逃しているのですが、こちらに関してはそれに対する言動が一切描かれていません。全国大会3年連続金賞を経験した上で「音楽にはコンクールの結果よりも大切なものもあるはずだ」という考えに至ったサファイアが、いざ本当に全国銅賞や関西大会止まりという結果になった時の彼女の心境というのが、もっと掘り下げられてもよかったんじゃないかと思います。
3巻までが刊行された後に、「ひみつの話」という短編集の形式で、本編の補足の話が刊行されました。第二楽章でも「第二楽章版ひみつの話」が、もし万が一執筆されるなら、是非ともサファイアのこの辺の話が読んでみたいです。







  • 久美子の「コンクールの結果を重視する考え」が、物語全体の雰囲気を決定づけているが、久美子はまだ「目指したい音楽像」を描き切れていない
さぁお待ちかね、主人公の久美子です。久美子は元から「音楽は競技じゃないのに云々」という考えが無く、コンクールはある事が大前提として吹奏楽部の活動をしています。恐らく、高校に入るまでは、競技じゃない音楽にコンクールがある事に疑問を持つ事自体が無かったんじゃないかと思います。
中3で府大会カラ金だった時の「関西には行けなかったけど金で良かった」という反応は、そもそも「あまり高望みすると、叶わなかった時にダメージを負ってしまうから、希望を低く見積もっておく」という考えがあっての事なので、麗奈や滝先生に感化された結果、コンクールの結果を重視する考えを前面に出すようになったんだと思います。
元々久美子は主体性に乏しく周りに流される性格として描かれていて、2巻以降は徐々にその殻を破って行くのですが、実はコンクール観・音楽観に関しては麗奈にかなり影響されています。もしかすると、北中の吹奏楽部がそういう音楽観を持って活動しているのかもしれません。
サファイアの項で書いた、1巻で麗奈派か香織先輩派かを巡ってサファイアと葉月が言い争う場面で、久美子は
緑輝と葉月は普段は仲がいいのだが、どうでもいいことですぐに口論し始める。
と内心でつぶやきます。二人の意見の間で板挟みになる辛さからくる気持ちではありますが、初見の時に、この論争を「どうでもいい」と言い切っちゃう久美子にヒヤッとした記憶があります。麗奈と香織先輩どっち側に付く付かないという発想が「どうでもいい」と言っているのかもしれないですが…。

2巻で、みぞれ先輩のコンクールに対しての懐疑的な意見が述べられた時、久美子は思考を巡らせます。
もしもコンクールがなかったら、
少なくとも、先輩とAの枠を取り合ったり、ソロを巡ってもめたりすることはなかったのではないだろうか。好きな音楽を選んで、演奏会に向けて演奏して。そんな生活はずいぶんと魅力的なんだろうな、と久美子は思った。金とか銀とか、そういうことで悩むこともなくなるし、悔しい思いをする必要もない。
でも、
もしもコンクールがなかったら、関西大会行きが決まったときの、あの気持ちは味わえなかった。コンクール前のあのドキドキも、演奏中のワクワクも、全部体験できなかった。それってきっと、とてもつまらないと思う。
(一部抜粋)
コンクールが無い事が魅力的である理由が「コンクールの評価で悩む事がないし、悔しい思いもしない」と言ってる所に、そもそも久美子に「音楽は競技ではない」という考えが薄い事が分かります。
この直後、三年生が演奏について議論を交わすのを耳にして、足取り軽く部屋へ戻ります。そして"その2"で紹介した優子先輩との会話に繋がります。で、ここから先、久美子の思考にはコンクールに懐疑的な考えが出てこなくなります。その結果、物語としてもコンクールに懐疑的な描写がほとんど表れなくなります。さらに、この年は実際に全国大会出場という目標が達成されたので、コンクールに懐疑的な考えを持つ部員が表だっては居なくなる訳です。
「響けユーフォニアム」は、シリーズを通してコンクールに対して非常に前向きな(というか、コンクールに対して懐疑的な雰囲気があまりない)作風になっているのですが、なぜそうかと言えば、主人公である久美子の一人称で話が進んでいて、その久美子がコンクールに懐疑的な考えを持っていないからです。
第二楽章に入って関西止まりになっても、少なくとも久美子は、結果に対しての不条理を感じる事はあっても、「何故本来競技ではないはずの吹奏楽にコンクールがあるのか」という所までは遡りません。それは、文化祭で優子先輩がお客さんに挨拶した後の場面。そして、文化祭後にコンクールの結果に対しての不条理を秀一に吐露する場面で現れます。
優子:今年、北宇治高校は関西大会で金賞をいただきました。これからも頑張りますので、どうか皆さん応援よろしくお願いします

会場のあちこちから、おめでとう!と無邪気な祝福の言葉が飛び交った。悪気がないことは明らかだが、それを聞く部員たちの心は複雑だ。
「私ね、なんとなく北宇治は全国に行くんだと心のどこかで思ってた」
「だって、頑張ってたじゃん。優子先輩も、夏紀先輩も…希美先輩も、みぞれ先輩も、みんな、頑張ってた。演奏だって、絶対に良かった」
「でも、結局ダメだった。私は…私は、それが納得できない。私たちの努力は、なんで報われなかったの?何がダメで、何が足りなかったの?先輩たちは、間違ってないのに。頑張ったのに」
悔しい。悲しい。形にできなかった感情が、食いしばった歯の隙間からこぼれ落ちる
(一部抜粋)

ここで久美子のコンクール結果主義的な考えがハッキリ現れます。もちろん、"その2"でも言った通り、本気でコンクールに挑んだが故の真っ当で切実な感情なのですが、少なくとも久美子の中では、観客からの絶賛の拍手も、自分たちにとって満足のいく演奏が出来た手ごたえも、練習や部活運営に対して精一杯努力を重ねた事も、関西止まりだった事で完全に掻き消されてしまっています。これは、"その2"で書いた加部先輩の演説を経ても基本的には変わりません。どんなに努力しても、納得いく演奏でも、コンクールで評価されなければ、久美子にとってそれらは全て否定されたように受け止めてしまいます。
だからこそ、久美子は秀一との恋人関係を解消してまで、優子先輩の代で果たせなかった全国大会出場の夢を果たすべく部長職に全てを懸ける決意をする訳です。この久美子の姿勢が、作品全体の空気を醸成しています。

もう1つ重要なポイントがあります。実は作品全体の中で久美子は、コンクールに懸ける思い・自身の演奏や曲の完成度などの演奏技術に関する事を述べる場面は多々あるんですが、「自分がどういう音楽をやりたいのか」「自分が目指したい演奏はどういうものなのか」といった、音楽性に関しての考えが表れる場面がほとんどありません。
作中では「コンクールで良い賞を取りたい」「もっとユーフォが上手くなりたい」「あすか先輩のようなユーフォ吹きになりたい」といった思いが発揮される場面はいくつもあります。この3つのうち、あすか先輩を目標に据える考えに関しては、久美子の目指す音楽の姿と言えなくもないんですが、基本的には演奏技量とコンクールの結果が、久美子の目標の中でかなりのウエイトを占めています。
久美子に影響を与えた麗奈は、コンクールの評価を重視はしていますが、先述の通り、麗奈は目指したい音楽像がハッキリしているのに対して、久美子は「コンクールで評価されたい」に偏っていて、「やりたい音楽」「目指したい音楽」が明確になっていない印象があります。

"その2"で紹介した上野氏が述べたように、上手になる為に練習する動機は、コンクールでの評価を得る為よりも、まず「目指したい音楽像」があって、それに向けて練習するべきだと自分も思いますし、そうする事で評価されるコンクールであって欲しいと願っています。久美子はまだ「コンクールで評価されたいから」という動機で音楽をやっているように感じます。同じ事が優子先輩にも言えると思いますし、実はその点こそ、関西止まりになってしまった要因の1つなのかなと思いました。
久美子が部長に就任した事で、そもそもどういう音を出したいのか、どんな音楽を目指したいのか、北宇治高校吹奏楽部としてどういう音楽を奏でたいのか、そういった音楽性に対する考えの深化が、全国大会進出への道なんじゃないかと個人的に思います。もっと言えば、久美子の進路にも影響を与えるかもしれません。具体的には、音大とか教育学部の音楽専攻とかプロ奏者への挑戦とか・・・。久美子三年生編では、この辺の話もでるのでしょうか。












第二楽章の感想ブログもようやく一区切りつきました。なんか、長々書いてるうちに、書きたい論点がぼやけたり、文の前と後で言ってる事が逆転してしまってないか心配です。

長かったブログ執筆もようやく終わったので、そろそろピクシブハーメルンで筆が止まっている臼井君と晴香部長の話の続きを書こうと思います。
興味のある方は是非読んで頂けると!
(最後の最後にダイマすいません・・・)



前後編に亘って読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。






【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 第二楽章 後編」の感想など その3

10/5に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
まさかのその3です。気付けば、刊行から1ヶ月も経ってしまいました・・・。
その2の完全な続きですので、そちらを先にお読み頂けるとありがたいです。













当然、以下ネタバレ注意です!











  • 夏紀先輩も、高校から始めたからこそのコンクールを頑張る動機と、副部長の適任性
夏紀先輩は、1巻のマクドナルドに久美子を呼び出したシーンではコンクールにあまり執着がない事を表明しています。
「正直、コンクールとかどうでもいいねんなあ。AでもBでも」
「なんかめんどいやん?そういうの。周りがやってるからいちおうやってるけど」
この時点では、顧問が変わって急にやる気を出した部員達に付いていけないと言っています。ただその直前には
「べつにコンクールは今年で終わりってわけちゃうねんから、来年頑張ってAで出ればええやんか」
とも言っているので、もしかしたら、ほんの少しはオーディションで久美子に負けた事を負い目に感じてるのかもしれません。
夏紀先輩はこのセリフ以外では基本的に部活に対してドライな姿勢を示し続けます。
大きな転機になったのは、あすか先輩の退部騒動で自分が代役で全国大会に出るかもしれなくなった事。あれは相当な重圧だったはずで、必死に練習をした事を伺わせる描写があります。
この時は「コンクールに自分が出てるかもしれない」みたいな希望を抱く余裕は無かったと思います。久美子に「自分に代役が務まる訳が無い」と不安を吐露したのも、久美子が夏紀先輩の練習が無駄になってしまう事を案じた言葉を遮ってでも「いいから、あすか先輩を連れ戻して」とお願いしたのも、彼女の本心だったと思います。
その後の立華との合同演奏会の練習では、あすか先輩に稽古を付けて貰ったりしているので、この辺りでは既に「最後のコンクールはAで出るんだ」という決意があったんだと思います。第二楽章前編では、B編成のメンバーで「来年はAで出ようと約束した」と言っていましたね。
ただ、1巻のマクドナルドの場面以降は、コンクールに対しての所感を述べる場面がありません。原作の夏紀先輩はアニメ以上にサバサバな性格で描かれています。
そんな副部長が、第二楽章後編の関西大会直前の舞台袖で久美子と奏に気持ちを伝えます。
「去年、うちはここにおらんかった」
「だけど、今年はここにいる。そのことが、びっくりするほどうれしい」
「うちはこの三人のなかでいちばん下手くそで、去年のあすか先輩みたいには全然なれへんかった」
「正直、あすか先輩みたいになれたらって何度も思った。でも、途中で開き直った。そもそもうちがあすか先輩と同じことをやろうってのがおこがましいし、それに…それに、アンタら二人がいてくれたから」
「うちは、ほんまにラッキーな人間やと思う。こんなしょうもないやつについてきてくれる後輩がおることなんて、これから先、二度とないかもしれへん。これが最後のコンクールになっても、正直後悔はない。でも、できることならあともう少しだけ、うちは二人と吹いていたい。一緒の楽器で、一緒のステージで、北宇治として演奏したい。だから、絶対行こう。―――全国へ」
(一部抜粋)
作品中では「あすか先輩になろうとしてなれない自分に葛藤を抱く」みたいな描写は無いんですが、本人の中ではかなりの苦悩があったのだと、この時点で初めて明かされます。北宇治の場合、副部長の役割もかなり重要なので、その重圧もあったのかもしれません。なにせ予備校やめて塾通いに切り替えてるくらいなので、進路を変えてまで部活をやるという意気込みがあったんでしょう。
そんな中で、コンクールを頑張る動機がここに来て語られます。すなわち「少しでも長くこのメンバーで演奏したい・部活をしたいから」という理由です。
実際、この動機でコンクールを頑張る人は多いと思います。北宇治は関西大会後の文化祭や植物園での依頼演奏で引退になってましたが、5月に定演をやる学校とかだと、コンクールが終わると引退というところも多いです(うちもそうでした)。その場合、コンクールで上位大会進出を逃すと即引退になります。なので、1日でも長く部活を続けるには、上位大会に進み続けなければならない。すなわち、全国大会に出場する事が最も長く部活を続ける方法という訳です。これは、コンクールを頑張る動機として普遍的で標準的なものじゃないかなと思っています。
総じて言えるのは、優子部長や麗奈のような「コンクールとは」「音楽とは」などに対する考えがあまりないという事です(少なくとも物語上では語られません)。そんな彼女がコンクールを頑張る理由として明確に述べたのが「このメンバーで少しでも長く音楽がしたい」というシンプルなものでした。もちろん、滝先生の指導を通じて、音楽の完成度を高める楽しさやそれを観客に聴いてもらう喜びを見出した事、副部長としての責任感、Aメンバーとして活動する事への充実感などもあるでしょうが、1番の理由はこれなんだと思います。
この考えは、加部先輩と同じく梨香子先生時代の北宇治から吹奏楽を始めた事が影響していると思います。梨香子先生時代には、初心者部員が音楽やコンクールに対して考えを深化させるような切っ掛け・雰囲気・演奏レベルが無かったのだろうと思われます。そもそも入部の動機が「人数多い割に練習が緩いから」だった夏紀先輩にとって、「コンクールとは」「音楽とは」というある種哲学的な問いに対して元々関心が薄いんだと思います。そんな夏紀先輩が「少しでも長く部活がしたいから」といって練習に励んでいる訳ですから、コンクールが存在する事のメリットがここで発揮されてる訳です。
そしてこの、「『コンクールとは』『音楽とは』に対する深追いした考えを持たない」「少しでも長く音楽やるためにコンクール頑張る」という2点は、副部長として優子先輩を支える上で非常に有効に働いたと思います。
"その2"で書いた通り、優子部長はコンクールの結果偏重の考えを持っています。仮に夏紀先輩がコンクールに懐疑的な考えを持っていたなら、コンクールの結果を重視する優子部長と意見が対立し、部活運営が円滑に進まずに混乱をきたしていたと思います。逆に、優子部長と同じくコンクールの結果偏重の考えだった場合、合宿時に体調不良を押して頑張ろうとしたり、色んな所で無理を押そうとしてしまう優子部長のストッパー役が務まらなかったと思います。合宿の時に夏紀先輩が優子部長を止められたのは、そういう理由なのかなと。さらに、「少しでも長く部活やりたいから」という標準的な理由でコンクールに向けて頑張る姿勢があったからこそ、部内全体で「コンクール頑張るぞ」の空気を遮る事無く関西大会まで駒を進めたんだろうと思います。
もしここまで考えてあすか先輩が夏紀先輩を副部長に推したのなら、あすか先輩の有能さに打ち震えます。あと、「急にやる気出した部活の雰囲気に付いていけない」とか言ってた夏紀先輩が、最終学年になった時にはこれだけコンクールに熱を上げているのは、なんだか微笑ましいですね。











  • 滝先生の「音楽の完成度を高めれば結果は付いてくる」という考えに、お父さんや奥さんの存在がチラチラと…
滝先生は、「完成度の高い音楽ならばコンクールの結果は付いてくる」という旨の発言が多いです。
実際の吹部で顧問をされている先生方は、コンクールの結果と音楽の良し悪しは別物であると考える方が多い印象があります。あの淀工のあの丸谷先生も「今まで生徒たちに『金賞獲れ』なんて一度も言ったことが無い」と仰っていました。対してこの考え方は、コンクールの結果を欲してるニュアンスが含まれているように感じます。対偶を取ると「結果が付いてこなければ、完成度の高い音楽とは言えない」になるからです。
原作1巻、府大会のリハ室では
「普段どおりの力を出せば、おのずと次の道へ進めます。練習以上の力を出そうと思ってはいけません。いつもどおりに演奏して、そして笑顔で帰りましょう」
と言っていて「いい演奏をすれば結果は付いてくる」という考えを端的に伝えています。
しかし、原作2巻の関西大会前には少し趣の異なる事を生徒に言っています。
「確かに、周りはどこも強豪校ばかりです」
「しかし、私たちがそれを気にする必要はないと思うんです。私たちは私たちの演奏をする。今日するべきことは、たったそれだけです。評価は気になると思いますが、それだけに固執する必要はどこにもありません。もしもこの大会でいい結果が残せなくても、それは皆さんの音楽が劣っているというわけではなくて、単にほかの学校のほうが審査員の評価が高かったというだけです。そしてもしもうまく勝ち進めることができたなら、そのときは自分たちの音楽をもっと大きな舞台で発表できるチャンスを得たと思いましょう。決して、ほかの学校より自分たちが優れているのだとおごったりしないように」
(一部抜粋)
この考えは"その2"で紹介した上野耕平氏の言葉に通ずる所がありますし、とても大事な考え方だなと思います。ただ、このセリフは本番前のものなので、関西大会止まりだった時の為の事前フォローという考え方も出来ます。実際、久美子はそのように捉えています。
では全国大会の時はどうか。原作3巻、会場に移動するバスの中では以下のように言っています。
「春に全国大会という目標を掲げ、私たちはここまでやってきました」
「そんななかでこうして結果を残せたのは、ひとえに皆さんの頑張りの成果だと思っています。いままでよくついてきてくれました」
「こんなにも大勢の人の前で演奏できる機会は、これから先なかなかないでしょう。結果を気にするな、とは言いません。ですが、ここまで来たら他人の評価を気にするよりも、悔いのない演奏をすることに全力を尽くしましょう。とくに三年生は、今日が正真正銘最後の本番です。私たちの演奏を、この晴れ舞台で見せつけてやりましょう」
(一部抜粋)
全国大会は最上位大会なので、泣いても笑っても最後の舞台なのだから最善の演奏をしようと言っています。この場合は「これが最後」というのが大きいと思います。
1年経って、優子部長の代ではどう言っているかというと、以下の通りです。
「課題曲・自由曲が決まって以降、皆さんは今日までずっと努力してきました。楽譜を配られたときと比べて、演奏の完成度もどんどんと高くなりました」
「私は、皆さんとならさらに高いクオリティーの音楽を作り上げられると考えています。次の演奏の機会につなげられるよう、全力を尽くしましょう」
ここでも、「次の演奏の機会」という言い回しで「いい演奏をすれば結果は付いてくる」という事を言っています。
そして今回の関西大会。直前のリハ室ではこのように言っています。
京都府大会に比べても、皆さんは格段に上手くなりました。結果がどうなろうとも、今日のいちばんの演奏者は皆さんであると私は信じています」
(一部抜粋)
去年同様「結果がどうなろうとも」という事を言いつつ、「皆さんが一番ですよ」といって部員を鼓舞します。普段の練習では厳しい滝先生が、本番直前でこういうセリフを言えるという所が、夏紀先輩の言うところの「乗せるのが上手」というやつだろうなと思います。
ただ、今回は去年のような「結果の優劣が音楽の優劣を意味しない」というセリフが一切出ません。関西大会後にそのようなセリフを言ってもただの慰めのようになってしまうし、優子部長の「全国には行けなかったけど、自分たちの力は発揮できた」というセリフを聞いて、それ以上は蛇足だという判断だったのかもしれません。それでも、顧問としてこれは言っておくべきだったんじゃないかなと思ってしまうんですが、そのセリフを出さなかったのはやはり滝先生の本意がそれではないという事と、関西止まりだった事が滝先生自身悔しかったのかなと思います。それとも、帰りのバスの中で言ったのでしょうか。
このように、言動の端々にコンクールの結果を求めている様子が滲み出ている滝先生ですが、それはやはり父親と奥さんの影響が多分にあるんだろうと思います。
奥さんは言わずもがなですね。「自分が母校の顧問になって全国大会金賞に導きたい」という遺志はあまりにも切実で、その遺志を継いでいる滝先生からは悲壮すら感じます。元々吹奏楽にそれほど思い入れが無いと言っていた(元々コーラス部と囲碁部の副顧問掛け持ちで、前の学校で吹奏楽部の副顧問をやったのも頼まれたからやったと言っています)滝先生が、これだけコンクールに熱を入れるというのも気持ちは分かりますよね。
もう一つお父さんの存在も大きいと思います。滝先生のお父さんが北宇治の顧問だった頃は全国大会の常連で、1度だけですが金賞も取ってたという記述があります。去年の関西大会前には「関西大会出場は10年ぶりだけど、部員がその過去を気にする必要はない」と言ったりしていますが、滝先生的には、直接の言及は無いにせよどこかで意識してるのかなと思います。
ただ、じゃあ音楽性よりもコンクールの結果を重要視してたのかというとそんな事はないと思います。むしろ滝先生の中で「目指したい音楽像」が明確にあって、それを達成する事でコンクールの結果が伴うと考えているようです。この考えは、自分の音楽観に絶対の自信が無いとなかなか持つことが出来ない発想です。
そもそも、滝先生が教師になったのは「ボーン奏者として食べて行けそうになかったから」と言っているので、基本スタンスが教師よりも音楽家寄りなのかなと思います。奏にも「人間相手が不得手」なんて言われていました。
滝先生の中でも、コンクールの結果を求めている自分が居る事や、自分が目指したい音楽観に基づいて指導をしているという意識があるんだろうと思います。だから、去年の全国大会後に
「自分が一人よがりな指導をしているのではないかと不安に思っていたんです。もしかすると、自分は生徒たちに自分のやりたいことを押しつけているだけなのではないかと―――」
と言ったんだと思います。麗奈は即座にこのセリフを否定しましたが、滝先生の中にも「コンクールとは」「良い音楽とは」みたいな葛藤があったんだなと思える場面でした。確かに、滝先生は自身の「目指したい音楽」に部員を向かわせて行ってるのは確かだと思います。しかし"その2"でも述べた通り、滝先生はコンクールを通じて、生徒たちに「努力して音楽の完成度を高める楽しさ」「その音楽を観客に聴いてもらう喜び」を伝えた訳で、それも確かな音楽論理と音感に裏打ちされた指導が行われているので、決して「一人よがりな指導」ではかったと思います。部員達は間違いなく掛け替えのない色々なものを得たはずです。"その2"でも言いましたが、そういう意味で滝先生はコンクールを非常に上手く活用しているなという印象です。逆に言えば、梨香子先生はコンクールの結果を求めない音楽観を重視し過ぎたがゆえに、コンクールを活用できずに優子部長の代の大量退部騒動に発展してしまったんだと思います。コンクール懐疑主義も、それはそれで一つの考え方なんですが、その考えを持ちつつもコンクールを上手く活用して部活を円滑に運営する事は出来たはずです。正直、学校の吹奏楽部においては、コンクールの存在無しに部内の音楽に対する考えをまとめるのはかなり難しいです。なので、コンクール懐疑主義を持ちつつ「コンクールの結果ばかりを追い求めるのは違うと思うけど、でも出るからには頑張ろう」という方向に持っていけなかったのかなと思うと残念です。梨香子先生も案外音楽に対して愚直なのかもしれません。
関西カラ金が決まって以降、滝先生はコンクールについて発言をしていませんが、この結果をどのように捉えているのか、個人的に凄く気になっています。久美子が部長になった事で、何かの時に語られる場面があるでしょうか。









  • 橋本先生の考えが、登場人物の中で最も上野氏の所感に近い
橋本先生はコンクールで良い賞を取る事に偏重した考えに否定的です。登場人物の中で、"その2"で紹介した上野耕平氏の所感に最も近い考えを持っていると思います。
橋本先生は教師ではなくプロ奏者なので、実在のプロ奏者である上野氏の所感に通ずる考えを述べているという事は、武田先生が作中で描くプロ奏者が実在のプロ奏者に通じる描き方をされているという事です。これは武田先生の作家としての力量を示すものだと思います。
橋本先生は3巻では以下のように述べています。
「ボク、じつはコンクールってあんま好きやないねんな。正直な話、一生懸命やってんなら金とか銀とかなんでもええやーんって思ってる」
「他人の評価は当然大事やで?そんなもん、音楽なんて聞かせてなんぼやねんから、自己満足な演奏ってのはもちろんあかん。けど、評価を気にしてがんじがらめになる必要はないとボクは思うねんなあ。だいたいさ、音に楽しむって書いて音楽って読むわけやんか。やっぱ吹くやつも楽しまんとあかんと思うのよ」
(一部抜粋)
また、第二楽章後編の合宿では以下のように述べています。
「いやぁ、ほんまによくなったんちゃう?とくに自由曲の第三楽章、コンクールとか関係なしに評価してほしいって思うぐらいよかった」
「コンクールの評価の仕方って、やっぱり演奏会とは違うやん?きちっと評価ポイントを押さえていくのはもちろん大事な事やし、滝クンはちゃんと細かいところまで気にしてくれてる。でもボクはね、正直言うと、そんな結果とか評価ばっかりにこだわってほしくない。結果がどうなろうと、自分たちがやりたいって音楽を貫いてほしい。ステージに上がった君たちは、もう立派な演奏者であり表現者。まずは自分が音楽を楽しんで、それからお客さんにも楽しんでもらう。そのことを、肝に銘じておいて」
まさに、上野氏の仰ってる事と通じますよね。「自分のやりたい音楽」がまずあって、それを目指す目標点としてコンクールがあるべきという考え方です。橋本先生はさらに「コンクールで評価される音楽」についても言及しています。プロの目から見ても「良い音楽」と「コンクールで評価される音楽」に差異があると感じている点がリアルだなと思いました。
橋本先生が有能なのは、「コンクールで結果ばかり求めるのは好きじゃない」といいつつ、コンクール自体を蔑ろにしない姿勢をしっかり見せている所です。プロとしてコンクールに向けての指導を頼まれてる訳なので当然と言えば当然ですが、この「コンクール偏重に釘を刺しつつ、コンクールを蔑ろにした言動をしない」という姿勢が、部員のコンクールに向けての士気を上げつつ、コンクールの結果を求めるあまりかかってしまう重圧を軽減させていると思います。橋本先生は北宇治のOBなので「母校に全国で金賞獲って欲しい」という気持ちも少なからずあるはずで、そんな中でこういうスタンスで指導できるという点において、橋本先生は音楽指導員としてかなり優秀なんだと思います。








迷ったけど、ここでまたしても区切ります。という事で、まさかの"その4"に突入です。最初は"その2"までの予定だったのになぁ・・・。
"その4"では、麗奈・サファイア川島・そして忘れちゃいけない我らが主人公黄前久美子さんのコンクール観を考察してみようと思います。今度こそ"その4"で最後にできるはず…。気長にお待ち頂ければと思います。











【ネタバレ注意】【追記あり】「響け!ユーフォニアム 第二楽章 後編」の感想など その2

10/5に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
その2です。長くなったので分割したうちの後半です。想いが溢れすぎて10日以上かかって、奇しくも全国大会の日の公開となりましたww

※2018年4月4日に、加部先輩の所に少しだけ補足を入れました。











当然ながら、以下ネタバレ注意です!













その2では、
後編の特に関西カラ金が確定した後で、読んでて強く感じる事が多かった
「本来競技ではない吹奏楽において、コンクールが行われる事についての云々」
みたいな側面を軸に書いてみようと思います。

一応言っておきますが、
「コンクールなんて無くしてしまえ」
「北宇治の部員が悔しがるのは間違ってる」
「滝先生や優子部長の方針(ひいては武田先生や作品そのもの)に問題がある」
とか、そういう事では全くないので予めよろしくお願いします。










  • コンクールの是非という、吹奏楽界隈に於いて最大の・永遠の・正解のない命題をド直球で投げ込む武田先生
「競技ではないはずの吹奏楽がコンクールという形で競技になっている事の是非」「『良い音楽』と『コンクールで評価される音楽』の差」などは、吹奏楽界隈ではずーっと昔から議論され続けてきました。
コンクールに関しては、「コンクールで良い賞を取らなければ全くの無意味である」という極端なコンクール至上主義から、「音楽の本質を歪めるだけだから一刻も早く全廃すべきだ」という極端なコンクール否定主義まで、様々な考えがあります。しかも正解・不正解のある話ではないので、吹奏楽部員や指導者のほとんどがこの命題にぶち当たり、それぞれが自分なりの解釈を持ち、所属する団体の中で各人が懸命に摺り合わせながらコンクールに挑んでいます。今までも、これからも。
ユーフォシリーズでは、特に原作1、2巻と、この第二楽章後編において「コンクールとは何ぞや」「いい音楽とは何ぞや」という命題が度々組み込まれています。吹奏楽部に所属する場合避けては通れないこの命題に、真正面からド直球を放り込む武田先生の作風が、吹奏楽経験者から多くの支持を得る要因の1つなのかなと思っています。
初めに自分の意見を述べさせて頂くと、自分は高校から吹奏楽部に入ったのですが、うちの高校が県大会にも進めない弱小校(宮城は県大会の前に地区大会がある)だったり、自分の周りに「コンクール至上主義」に懐疑的な考えの人が多かった影響もあって

  1. そもそも音楽は競技ではないから、コンクールの結果だけを追い求める考えは嫌い。強い弱い、勝った負けたという言い方も嫌い。
  2. ただ、コンクールを通じて技量や音楽性の向上が図られたり、観客により良い音楽を聴いてもらえるいい機会になるから、コンクール自体は続けるべき

という考え方です。作中で「ダメ金」と呼ばれているものを、敢えて自分の現役当時宮城での通称だった「カラ金」と呼び続けているのも、1の考えが影響しています。
2については、自分も高1のアンコンの時、諸事情によって地獄のような練習の日々を送りましたが(今でもトラウマ)、そのお陰で使える音域がかなり広がって、音の響きも改善されて、その辺りから、元々編成の都合で担当にさせられた、希望楽器じゃなかったチューバが好きになっていったという出来事がありました。
団体で音楽をする場合、音楽の方向性を統一させるのは至難の技で、コンクールがある事によって意思統一が図りやすいというメリットもあります。滝先生が赴任当初にやった事がまさにこれです。コンクールを通じて、生徒たちに「努力して音楽の完成度を高める楽しさ」「その音楽を観客に聴いてもらう喜び」を伝えた訳です。
つまり、コンクールは「目的」ではなく「手段」であるという考え方です。
先日、コンクールの西関東大会で審査員を務められた上野耕平氏が、コンクールを終えての所感を述べられていました。

https://twitter.com/i/moments/1125019031365246976

特に8~15に関しては、今すぐ北宇治の部員に伝えたくなるような内容です。それを差し引いても、個人的に非常に強く共鳴したので、読んで下さった皆さんにご紹介しつつ、この考えを踏まえて感想を書きます。








  • 関西止まりだった事で改めて浮き彫りになる、各人物や北宇治吹部のコンクールへの姿勢
先述の通り、原作1・2巻(アニメ1期と2期前半)で既にコンクールの云々の話は随所に出ていました。原作3巻以降は、この命題に関するシーンがぐっと減ります。そのまま今年の関西大会までずーっと話が進みます。
で、後編の後半、関西大会止まりが決まった事で、今まで鳴りを潜めていたこの根源的な命題がググッと再浮上したように感じました。誤解を恐れずに言うと、特に植物園での依頼演奏前のミーティングの場面、優子先輩や久美子の言葉に少しモヤッとしてしまいました。
恐らく、全国大会を目標にしている強豪校が支部大会止まりになった時の空気感はあれがリアルなんでしょうし、北宇治の部員の悔しがる気持ちも痛いほど良く分かるんです。特に大会が終わった直後は。1年生の中には、ある意味コンクールの結果を求めて北宇治に来た部員も居るでしょう。「自分たちにとって良い演奏が出来て、観客にそれが伝わったんなら、結果がどうあれ素晴らしい事だ」と言われてもそう簡単に割り切れないのが、本気でコンクールに挑んだが故の真っ当で切実な感情なのは間違いありません。それでも、自分の中でどうしてもコンクールの結果に比重を置きすぎる考え方に拒否反応があって・・・。そんなモヤモヤも、加部先輩の一言で自分の中でスッと晴れた訳ですが。
冷静に考えれば、部活の年間目標が「全国金賞」に設定されてる事が、そもそも自分の「コンクール観」と違うんだという事に、この時初めて気が付きました。この目標だと、全ての演奏機会がコンクールで全国大会に出て金賞を取る事へ向けてのただのステップになってしまうんじゃないかと思ったんです。コンクール・アンコン・定演・文化祭・依頼演奏・学校行事・他校との合同演奏等々、本来それぞれの演奏機会に貴賤は無いはず。コンクールが最重要だとしても、「全国金賞」は、あくまで「数ある演奏機会の中の、コンクールにおける目標」なんじゃないかと思うのです。
ではなぜ今までそんな違和感を感じずに読めたかと言うと
「滝先生が赴任してきた段階で、堕落し切った部の空気を一新する為に、元々言葉だけの存在だった『全国出場』のスローガンをもう一度ぶち上げ直す必要があった」
「実際に全国大会出場の目標が達成された」
「全国大会終了後の各人物が、コンクール以外の演奏が次回のコンクールの結果と紐付けされる旨の発言をしてない」
この3つの要因で、自分はこの事に今まで違和感を覚える事なく読み進めてたんだなと再確認した次第です。
それが、今年関西止まりだった事による優子部長の随所での発言が、改めて各人物のコンクール観を再確認する良い切っ掛けになりました。
では、各人物毎にコンクールに対してどういう考え方を持っているか考えてみたいと思います。








  • 優子部長のコンクールの結果を求める考えは、中3と高1の経験からくるもの?
優子部長のコンクールへの考え方は、結果をかなり重視しています。「中程度のコンクール至上主義」くらいかもしれないです。
思い返せば、原作2巻の合宿で夜中久美子と話すシーンがありますが、その時にコンクールについての考え方を、優子先輩はハッキリ述べています。
「音楽の評価なんて、結構理解できひんことも多いやん。割り切れへんとか納得できひんとか、そう思うのはしゃあないやろ」
「でも、結局さ、いい結果のときは好きやし、悪い結果の時は嫌いや。一生懸命やって結果がついてこうへんのって、やっぱキツいわけよ」
「たぶん、努力の方向が間違ってたら、コンクールってあかんねん。この曲を自由曲に選んだ時点でそもそも無理とか、平気で評価シートに書かれるわけ。こっちだって演奏会とコンクールって別もんってことはわかってるし、コンクール向きの演奏をせなあかんって事も分かってる」
「ほんまはさ、わかってんねん。コンクールはあくまで演奏の場のひとつでしかないし、そうやって金とか銀とかの結果に固執する必要はないって。でも、結果が出たら気になるやんか。やっぱ金がいいって思うやん」
「まぁでも実力的な面で考えれば、癪やけど高坂がソロを吹くのはしゃあないと思ってるよ」
「本気で全国行こうと思うんやったら、上手い人間が吹くべきや」
(一部抜粋)
原作2巻の段階で、優子先輩はコンクールの結果にかなり重きを置いている事が描かれています。香織先輩をソロに推したのは、それが香織先輩だったからに他ならず、それを抜きにして全国目指すなら麗奈が吹くべきだと言っています。
ただし、関西大会の表彰式後は少し違う考えを述べています。うなだれる部員を前に
「何落ち込んでんの?私らは今日、最高の演奏をした。それは事実やろ?」
「確かに私らは全国に行けへんかった。でも、演奏は間違いなくほんまもんやった。覚えてるやろ?観客のあの反応!」
「これまでの時間は、今日という日のためにあった。そして、私らはちゃんとそこで力を発揮することができた。反省は確かに大事なことやけど、落ち込む必要なんてこれっぽっちもない。私らはあの瞬間、間違いなく最高の演奏をした。そうやろう?」
と演説し、部員たちの心に再び火を灯します。このセリフは、先述の原作2巻での考えと少し差異がありますよね。結果は出なかったけど、最高の演奏は出来たんだから胸を張ろうと言っています。これは、優子部長が結果を受け止めきれない自分自身に言い聞かせつつ、部員のメンタルを立て直す為に言ったものなのかなと思っています。
で、その直後に優子部長の本心がチラッと現れます。
「たったいま、今日という日は来年のコンクールに向けての一日目。明日からの練習は、切り替えてやっていきましょう!」
(一部抜粋)
つまり、これからの練習・演奏は、来年のコンクールで全国大会に行くためのプロセスだと言っている訳です。
この時はコンクールが終わった直後なので、優子部長はじめ、部員たちの悔しさ・悲しさはピークだったでしょう。そんな時の優子部長のこの発言は、多くの部員の心を救います。
さらに、植物園での依頼演奏に向けてのミーティング終了直前、優子部長は部員に自分の考えを部員に伝えます。
「正直に言う。うちは、今年の北宇治の演奏は去年より良かったと思ってる。審査員からのコメントも好意的なものが多かった。去年は滝先生が来て一年もたってへんかったけど、今年は二年目やん。去年に比べて、そのアドバンテージがある。上手い新入生もいっぱい入ってくれた。やけど、負けた。うちらが弱くなったんじゃない。ほかが、強かった」
「うちは、龍聖が育つのにももっと時間がかかると思ってた」
「だから龍聖は問題ないと思ってた。見込みが甘かった。多分、無意識のうちにコンクールを舐めてた。去年はいけたから、それを上回る今年のうちらなら大丈夫やって、勝手に思い込んでたんやと思う」
「今年のうちらに足りひんかったもんは、全国への貪欲さ」
「気が緩んでた。そしてそれは、うち自身の判断ミスでもある。ぶつかり合うことより、まとまることを最優先にした。滝先生の判断より、個人の状態を優先したこともある。潰れそうな子は真っ先にフォローしたつもりやった。でも、もしかしたらそれは、勝手にフォローしたつもりになってただけの、自己満足やったんかもしれん」
「この瞬間から、北宇治は来年のコンクールに向けて動いていく」
「いまからの練習が、来年のコンクールの結果に直結する。来年のコンクールで泣くのか笑うのかを決めるのは、ここにいる今の自分です」
(一部抜粋)
全国行きを逃して虚無に沈んだ部員の心を揺さぶったこの演説で、優子部長のコンクールへの考え方、結果の受け止め方を、詳細に発表してくれてます。コンクールからしばらく経ってからのこの発言なので、恐らくこれが優子部長の偽らざる本心なのでしょう。
ポイントは3つ。
まず1つめは「去年より良い演奏が出来た自覚があって、審査員からのコメントも良かったけど、関西止まりだったから、自分達のやってきた事に間違いだった点があった」という思い。コンクールの結果が伴わなければプラスに受け止められないという優子先輩の本音が見えます。
もし関西大会直後の発言が本音なら「自分達なりに良い演奏が出来て、審査員からのコメントも良くて、観客の反応もとても良かったから、結果は伴わなかったけど自分達のやってきた事に間違いはなかった」となるはずです。実際、優子部長も「去年より良い演奏が出来たと思う」と言っていますし、関西大会では部員たちは自分達で納得のいく演奏ができたという描写があります。
2つめは「部員同士の調和を優先した結果、慢心が生まれて、それが原因で全国行きを逃した」という分析。後編の序盤から麗奈が気にしていた事でした。府大会の前にも「府大会は余裕だろう」という部員の話し声に久美子が眉をひそめる場面もあるので、実際ある程度の慢心があったのは事実でしょう。でも、兎角揉め事の多い吹奏楽部において、表立った不和が無かったというのは優子部長の手腕が見事だったと言えると思います。これも、揉め事が起こらなかった事、起こらないように頑張った事を、一般的に考えればプラスに捉えられるはずが、全国行きを逃した原因でありミスだったと優子部長は考えている訳です。
3つめは「全ての練習・演奏機会は、コンクールで結果を残す為のステップである」という考え方。先述の"コンクール以外の演奏が次回のコンクールの結果と紐付けされる旨の発言”というやつです。去年の全国大会後の晴香部長とあすか先輩の演説と比較すると分かりやすいです。この2人は、コンクール以外の演奏をコンクールと関連付けて話す場面がありません。晴香部長と優子部長の考え方の違いも、ここで見えてきます。この3つの点が、自分の中での「コンクール観」と相反するものだと感じました。
特に、アンコン参加の発表。来年、全国で金を取るには個人技量の底上げが必要で、その手段としてアンコンに参加するという話の展開でした。北宇治がアンコンに参加する事自体はとても嬉しかったんですが、この話の流れだと、アンコンがコンクールに向けてのステップみたいだなぁと。個人的にアンサンブル曲好きというのもありますが、アンコンの位置がちょっと低いような…。コンクールが最重要なのは全く当然としても、アンコンがその踏み台になるのは悲しいなと思ってしまいました。考えすぎでしょうか。
ではなぜ優子部長は、コンクールの結果に重きを置いているのか。これには2つの原因が考えられます。
1つは中3の時。全国大会を目指して必死に練習に励んだ結果、府大会で銀賞だったという過去があります。優子部長にとってもこの経験はトラウマに近いものがあるようです。また、高2の時に、同じく必死に練習を重ねた結果、念願叶って全国進出した事と相まって、コンクールの結果に強く重きを置く考えに達したんじゃないかなと。
もう1つは高1の時。原作では直接の描写は無いんですが、アニメでは1期7話で夏紀先輩が「2こ上のやる気無い先輩たちは『コンクールみたいにはっきりしない評価に振り回されるのは本来の音楽の楽しさとは違う』という建前の元に練習をサボってた」と証言しています。コンクールに懐疑的な考えを、練習をサボる口実に使ってた訳です。原作でも似たような事は言われてたんじゃないかと思います。こんなのを目の前で見せつけられて、結果中学時代からの部活仲間はどんどん退部し、尊敬して已まない同パートの先輩はA編成に入れない。優子先輩から直接の言及はありませんが、これが原因で「コンクール懐疑主義」に懐疑的になったのかもしれない。
この2つの経験を経た結果、「中程度のコンクール至上主義」的な考えを持つに至ったんじゃないかと思います。南中は関西常連校だったので、コンクールの結果を求める空気があったのかもしれないので、その影響もあるでしょう。優子先輩は、この後体育館でのリハ中に聞いた加部先輩の発言を、どのように受け止めたのでしょうか。








  • 加部先輩は梨香子先生時代の感覚を残してるからこそ、体育館でのリハーサル時の演説に繋がる
加部先輩は、体育館でもリハ時に部員達にぶつけた称賛が全てでしょう。
「関西大会の日、うち、なんて言っていいかわかんなかった。バスのなかで泣いてた子もおった。だから、ほんまに思ってたことが言えへんかった。うちさ・・・うち、ずっと、」
「――みんなのこと、めっちゃすごいと思ってた!関西大会の演奏だって、めっちゃよかった。最高やった。関西金賞、それだけでめっちゃすごいやん。おめでとうって、ほんまはめっちゃ言いたかった」
「さっきのリハ、八十八人での自由曲、すごかった」
「うちは、この北宇治のマネージャーでよかった。みんなの演奏を支えられた。そのことを、うちは心から誇りに思ってる」
「関西大会で金賞なんて充分すぎるほど凄い結果じゃないか」という、非常に素直な感想を部員達に伝えます。冷静に考えれば全くその通りで、県単位ですら、支部大会で金賞を取った回数が数えるほどしかない県も少なくないです。我が地元新潟も、高校A編成では埼玉の厚い壁に阻まれ、1978年の三条商業を最後に全国大会への出場は無く、支部大会金賞すら2000年代に新潟商業が数回取ったのみ。
滝先生が赴任し、晴香部長の代で全国大会進出を果たした事で、「全国金賞」が現実味のある目標となりました。それがゆえに、関西金賞というハイレベルな結果でさえも「目標に遠く及ばないもの」に見えてしまっていた訳です。それはそれで全く悪い事ではないですが、「いやいや、充分凄いよ!」と、マネージャーとして部を支えてくれた人物が、ある意味冷静な目を通して伝えてくれた訳です。
そして何より「私は皆さんの演奏に感動した」と部員に直接伝えた事が重要だったと思います。全国大会金賞という目標に届かなかったがゆえに、自分達の演奏が観客を感動させる事ができたかどうかの部分が、部員達には感じ取りにくくなっていた中で、いつもすぐ近くで何度も演奏を聞いていた彼女が「関西大会の演奏は凄く良かった」と伝えた訳です。実際、観客は演奏に感動しても、奏者にそれを伝える術は基本的には拍手や歓声のみです。関西大会の時にも、観客からはそれらが送られているのですが、支部大会まで進む学校なら下手な学校は基本的に無いですし、北宇治の部員には、拍手や歓声は「全国行きを逃した」という事実に覆いかぶさってしまっていたように思います(優子部長は関西大会直後にそれを取り払おうとはしましたが)。加部先輩は、部員達に演奏の賞賛を伝えられる貴重な立場にあって、それをちゃんと伝えてくれました。この「演奏を直接褒められる」というのは、奏者にとってこの上ない感激です。あるいは、加部先輩のこの言葉で、関西大会止まりだった失望から完全に立ち直った部員も居たと思います。そのくらい、演奏を褒められる喜びはひとしおなんです。完成度を上げる為に努力に努力を重ねた演奏ならばなおさら。
この感覚は、梨香子先生時代の北宇治高校で吹奏楽を始めた事が影響してるのかなと思います。
加部先輩は高校から吹奏楽を始めています。その時の顧問だった梨香子先生は「結果なんていいから、楽しく演奏しましょう」というスタンスで(その考え自体も間違いではないのですが)、加部先輩にとって、初めて本格的に触れる音楽観がそれだった訳です。優子先輩もそうですが、初めて入った吹奏楽部(中学からなら中学、高校からなら高校)の音楽観が、その人のその後の音楽観に影響を及ぼす事が多いです。自分もそうです。
そんな音楽観の元に育った部員が、2年生の時に滝先生を迎え「努力して音楽の完成度を高める楽しさ」を覚えますが、高校から始めた部員は根底には梨香子先生時代の感覚が残っているんだと思います。そもそも1年生の時は府大会で銅賞だったのを考えれば、関西金賞ですら夢物語だったはずで、「関西金賞なんて凄いじゃないか!おめでとう!」と思う気持ちはもっともです。なにより、梨香子先生時代には決して経験できなかった「努力を重ねて完成度を出来る限り高めた演奏を、大勢の観客に聴いてもらう素晴らしさ」を、北宇治の部員たちは体感したじゃないかと再確認したと思います。
先述の上野耕平氏のツイートの9・10・11は、まさにこの加部先輩のセリフとリンクしますね。
加部先輩のこのセリフは、彼女が梨香子先生時代の感覚を残しているからこそ、「関西大会金賞おめでとう!」「関西大会の演奏は素晴らしかった!」と純度100%の感情で放たれ、純度100%であるからこそ、部員たちの心を揺さぶったのだと思います。特に、その時期を一緒に経験している3年生部員が感情を揺さぶられない訳が無い。持病により奏者を辞めざるをえなかったという事情と併せて、優子部長が嗚咽しながら号泣するのも無理はないです。
「全国大会金賞という結果が出なかった」と考えるか、「関西大会金賞という結果が伴った」と考えるか。優子部長と加部先輩の考えの差は、2人の今まで培ってきた音楽観の差なのだと思います。


【補足】
最近ツイッターでコンクールや吹奏楽に関する色んな方のツイートを拝見する中で、加部先輩の体育館でのリハ時のセリフにどうしても補足をしたくなったんで数行だけ。
つまり、この加部先輩の部員達への感想は、関西止まりだった事で「自分たちの努力は報われなかったんだ」「今までやってきた事は間違いだったんだ」「コンクールでの演奏はダメだったんだ」みたいな発想に陥ってた部員(少なくとも優子部長と久美子)に対して、「コンクールの結果が目標に届かなかったからって、それまでの努力やコンクールでの演奏が否定されるものじゃないでしょ!?」という、ある意味部員だけでなく読者にも向けて放たれたセリフなのかなと思いました。優子先輩のコンクールに対する反省の弁の後に、この加部先輩の場面を入れる事で、「音楽は競技じゃないんだから、結果が伴わなかったからって理由で自分たちが納得できた演奏を否定しないで」というメッセージが効果的に伝わってきます。恐らく久美子や麗奈には届いていないとは思いますが…。














書きたい事が溢れ返ってきてしまって、短くまとめきれなくなってしまったので、一度ここで区切ることにします。最初は2分割のつもりだったんだけどなぁ・・・。
それでは、その3に続きます。その3では、滝先生や麗奈や、忘れちゃいけない久美子等、優子部長・加部先輩以外の各人物の「コンクールの捉え方」を自分なりに考えていきます。
これも時間かかりそうだ・・・。












【ネタバレ注意】「響け!ユーフォニアム 第二楽章 後編」の感想など その1

3つめの記事になります。
すっかり本業のボカロPとしての活動が鳴りを潜めてる無味Pです。

今回は、10/5に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編」
を読んで、気付いた事などをネタバレガッツリ込みで書かせて頂こうと思います。
前編の方も感想などを書き綴ったりしてますので、
お時間ある方は是非。
で、後編の感想も長くなるので2つに分けようと思います。














以下ネタバレです!














  • 唯一の3年生がA編成に入れなかったトロンボーンパートが騒動にならなかったのは、優子部長と加部先輩の尽力があったから?
久美子視点で物語が進行するので、トロンボーンパートでの出来事が描かれないのはしょうがないですが、秀一からその辺の事がほとんど語られないという事は、少なくとも部活運営に支障をきたすほどの出来事は起こらなかったという事でしょう。
滝先生が北宇治に赴任して1年以上経って、Aに入れなかった云々で部活運営に支障をきたすような言動を行うようなメンタリティの部員が居なくなったという考え方もできますが、そうは言ってもまだ高校生ですから、全くの凪という事は無いと思うんです。
で、作中で優子部長は部員のメンタルや融和を優先した部活運営をしてたと言っているので、ボーンパートで大きな騒動が起きなかったのは、優子部長のアフターフォローが完璧だったと言う事かなと思います。
加えて、加部先輩の存在も大きかったかなと。どんなに聖人君子な副部長でも、どんなに可愛い後輩でも、夏紀先輩やAに入ったボーンの後輩からフォローを受けたら「この人たちはAに入れたのに自分は入れない」という負い目は完全に拭う事は出来ない。その点、加部先輩は「持病によりオーディションすら受けれずに奏者を辞めた」という立場なので、最後の大会にAで出れない部員をフォローするには最適の人材です。そして恐らくその役割を与えたのは優子部長でしょう。加部先輩も、言われなくてもフォローに回ったでしょうが、優子部長から明確に依頼されるのとされないのでは、加部先輩・ボーンの3年生双方のモチベーションが全く違います。優子部長がこの辺をおざなりにするとは思えない。
なので、物語で表れない事は、「起こらなかった事」「主人公の目に入らなかった事」の他に「誰かの頑張りで起こらずに済んだ事」も含まれるのかもしれないなと思いました。優子部長や加部先輩などの尽力によって、ボーンパートの平穏は保たれた。結果、物語上では全く触れられない(そもそも起こってないから触れる事ができない)。この、「起こらずに済んだ事」は「起こった事を収めた事」より評価が難しいですが、もしこの仮説が本当であるならば、自分は優子部長と加部先輩を大いに評価したいです。勿論、「起こさなかった」ボーンの3年生も含めて。






  • 秀大付属のあかりちゃんが、吹奏楽を続けててくれて本当に良かった
原作2巻を読んだ方は共感してもらえると思います。クラリネット(もしくは音楽自体)を辞めてしまうどころか、聴く事・見る事すら出来なくなるほどの、一生モノのトラウマを抱えてしまっても不思議じゃない昨年の出来事を見事に克服し、全国大会に返り咲くというのは、これだけで1つの小説が書けてしまうほどの壮大なドラマが垣間見えます。
武田先生は、昨年のコンクールで北宇治が全国に行った陰に秀大付属のあかりちゃんのエピソードを入れる事によって、各学校毎に個別の事情があってドラマがあるんだという事を表現されました。今年は北宇治が全国行きを逃した横でこのあかりちゃんの一文を添える事によって、去年と対になった出来事をより浮き彫りにしようとしたんだと思います。
何より、あかりちゃんが音楽を辞めずに続けていた事が嬉しかったです。どうしても結果が求められてしまう強豪校で、去年自分のミスで全国大会出場を逃した(と推測される)過去を乗り越え、全国大会の切符を取り返した事で、彼女の心の傷のうちいくらかは緩和されたんじゃないかと思います。今後も彼女の音楽人生が豊かなものである事を願わずにはいられません。








  • 希美先輩とみぞれ先輩の関係は、梓とあみかの関係に共通項を感じる
合宿最終日、みぞれ先輩が圧巻のソロを披露したあと、外に出た希美先輩が久美子に独白する場面なんかは、梓が未来先輩に独白する場面と重なりますよね。
立場的には、希美先輩が梓側で、みぞれ先輩があみか側なんですが、梓・あみかと決定的に違うのが希美先輩よりみぞれ先輩の方が圧倒的に技量や音楽センスが上という事で、その場合梓・あみかの関係とどういう差異が出るかというのを書かれたのかなと思いました。
読めば読むほど、希美先輩もみぞれ先輩にしても、高3にしては余りにも精神が幼い、思慮が足りないんです。希美先輩の深層意識にある感情は非常に子供じみてるし、みぞれ先輩も「希美が言ったから」の1点張りばかり。志望校すら「希美が行くって言ったから」。その志望校に希美先輩が入らなかったら、どちらかが入試で落ちたら、なんていう当然の事すら思いつきもしない。
そんな2人が、この数か月で突然圧倒的な精神的成長を遂げるのは現実離れし過ぎてしまう。なので、後編でどういう決着を見るのかちょっと予想できなかったんです。
なので、この決着の付き方は非常にリアル。めちゃくちゃ上手な落とし方だなと思いました。武田先生は、このシリーズを「出来る限りリアルに作りたかった」と仰っていて、その方針を貫かれた結果なのでしょう。
希美先輩は、自身の中にある醜い感情に、後輩に吐露するという形で真摯に向き合い、きっちり割り切って演奏に集中する。みぞれ先輩は「希美が私にくれたものだから」と言って、"希美先輩の居ない"音楽への道を進む決意をする。
2人は、圧倒的でないにせよ、精神的成長のきっかけを確かに得ました。2人はとにかく根っこが善人なので(というか、この作品に於いて根っこが悪人が皆無)、
大学に入っても、自分のペースでいいから、少しずつ成長していく事を願います。
「無理やりは長持ちしない。いきなり壊れる」

ですからね。







  • 熱望した北宇治アンコン編が見れるかもしれなくてガッツポーズ
自分は常々「なんで北宇治はアンコン出ないんかなぁ」と思ってたので、優子部長の口から「アンコン出ます」と発せられた時は、思わず声が出てしまいました。実は、いつだったかに何かの拍子に余りにも興奮してしまって「アンコン編も見たいです」みたいなクソリプを武田先生のツイッターアカウントに送ってしまった事がありました。ホント武田先生に申し訳ない。恥ずべき過去です。
チューバ3本ユーフォ2本もあるので、金管8重奏を組んでもバリチューが組めます。羨ましい!特に自分は現役時代に2回金8でチューバで出て、その時の曲が、1年の時が「『三匹の猫』よりミスター・ジャムス、バーリッジ」。2年の時が「『スザート組曲』よりモール人の踊り、4つのブラジル、パヴァーヌ」だったので(当時のアンコンのパンフレット見て確認しましたww)、この曲が出てきたら泣いて喜びます。その他「ニューヨークのロンドンっ子」「高貴なる葡萄酒を讃えて」「ロンドンの小景」「もう1匹の猫・クラーケン」辺りが好きなので、出てきたら嬉しいなと思います。
あと、弦バス2本はどうするんでしょうか。うちの学校はクラに入れてクラ4弦バス1の編成でやってましたが、そうやって組んでも求君が余ってしまう。滝先生がどうやって編成組むのかとても楽しみです。・・・さすがにここまで来て「アンコン編無し」って事はないですよね・・・?
あと、京都は各学校で1団体しか出れないんですね。宮城は、地区大会が細かく分かれてる分、どの学校が何団体出してもOKというルールだったので新鮮でした。その代わり、全員参加になるので、どんなに無様な出来でも公衆の面前に晒されるという地獄もあったりしますが。
実は個人的にアンコンは結構なトラウマがあって、もう2度とアンコンには出たいとは思わないんですが(それは"その2"で少し触れます)、曲そのものは、普通の吹奏楽曲よりアンサンブル(サックス・クラ・パーカス等他の楽器も)の方が好きな曲が多いので、どんな曲が出てくるのか楽しみにしておきます。





  • 目立つの苦手なのにペットを吹いてる夢は、そもそも「目立つ事」自体が苦手なのではないようだ
宝島社の特設ページに人物紹介が載った時からずっと疑問だったんです。目立つのが苦手ならなぜトランペットを吹いてるのか。
後半で、過去の失敗によるトラウマから、自身の卑屈な性格と相まって「目立つことによって負わされる責任と、失敗した時の周りの評価が怖い」から苦手なんだという事が判明します。
自分も気持ち分かるんです。それプラス自分はあがり症なので、どうしても目立つのは無理なんです。だからチューバやバスクラを吹いています。
吹奏楽に於いては、目立つ楽器と地味な楽器がありますが、それは楽器の重要度と相関がありません。ソロの時後ろで伴奏する低音楽器は、ソロ奏者とはまた別種類のプレッシャーがあるし、やりがいもあります。
本質的に目立つのが苦手ならば、そもそもトランペットを選ばないと思うのです。編成の都合で已む無く担当になったんでなければ。吹奏楽において、地味な楽器であるユーフォ・チューバ・バスクラが、どれだけ重要な役割を持っているかは、吹部出身者は分かって下さると思います。でも、夢はトランペットを選んだ。高校でも憧れの先輩が居るとはいえ担当楽器を変えなかった。彼女は根っからの「目立つのが苦手」人間ではないんだなと思います。
加部先輩からの激励によって、乗り越える切っ掛けを得た夢は、麗奈ほどとは言いませんが、今後の心配はほぼないでしょう。









  • 秀一と久美子が別れる空気があったので、あの結末で心からホッとした
ホント久美子は不器用過ぎます。若々しすぎて甘酸っぱい通り越して酸っぱいです。前編からちょいちょい久美子の秀一に対するモヤモヤが出てきてて、後編にかけて増大していきます。
「あー、これは別れる流れだ・・・。嫌だ。辛い。見たくない」
と思いながらずっと読んでました。
形式上別れる事にはなりましたが、お互いがお互いを大事に思っている事がヒシヒシと伝わってくるので、自分は心配してません。秀一は部活引退後、必ず久美子に再び髪飾りを渡すと信じています。そして久美子もそれを受け取ると信じています。
ほんと、秀一どんだけ器でかいんだよ。お前カッコいいよ。副部長として久美子を精一杯支えるんだぞ!俺はお前を信じてるからな!
久美子!秀一は久美子の気持ちをちゃんと理解して待っててくれてるんだからな!秀一をガッカリさせるような事はしたら絶対ダメだぞ!久美子の旦那は秀一しか居ないぞ!







  • なかよし川はどの場面も尊いが、合宿でのあの場面が、ベタだからこそ至高
去年の年末、自分がいつもイラストなどを拝見しているとある方がツイッターに「無理を押して頑張り過ぎようとする優子部長を、夏紀先輩がキツめにフォローする」という内容のイラストを上げていらっしゃって
「うおお!原作でも超見たい!続編でこんな場面ある事を切に願う!」
とか思ってたんです。
そしたら、合宿のスイカ割り大会の裏で!まさにそんなシーンがありました!武田先生本当にありがとうございます!
いや、正直このシチュエーションはベタですよ。でも、それがなぜベタかと言えば、みんな見たいからでしょ!?みんな見たいから使い古されるんでしょ!?それに、どんなに使い古されようが、そのシチュエーションを使う物語や当てはめる人物が変わった途端に「誰も見た事が無いシーン」になるんです!
どんなにベタだろうが、自分はなかよし川でこのシーンが見たかった!武田先生はそれを見せてくれた!それ以外にも、物語の随所に現れるなかよし川のシーンが、どれもこれもなかよし川ファンにはたまらないものばかりでした。武田先生に圧倒的感謝!










  • 昨年出れなかったコンクールでは全国に行き、Aに入った今年は関西止まりだった希美先輩
関西止まりだった場合、この辺がもっと深く掘り下げられるかなと思ったんですが、特に触れられなかったですね。








  • 松本先生離任フラグが僅かに立ってる?
龍聖学園の顧問「源ちゃん先生」の話になった時に、久美子がふいに
「私たちも他人事じゃないよ。滝先生だっていつかは北宇治から出ていっちゃうし」
と口にします。麗奈は「少なくとも来年は居る」と不機嫌そうに反論して久美子が苦笑する場面ですね。
久美子は、滝先生が離任する時の状況や、滝先生のお父さんが離任した当時の状況を想い唇を噛みしめます。
現実的に、産休の欠員で転任したとはいえ、部活動で圧倒的な結果を残した先生を、僅か2年で転出させるとは思えません。ただ、滝先生の前に吹奏楽部の顧問だった梨香子先生が産休から戻ってきた場合、ずっと前から北宇治に居る松本先生の方は転任する可能性は結構あります。3年生編では、松本先生が転出し、梨香子先生が産休から戻ってきて副顧問に就任。滝先生とソリが合わずに問題が表面化して・・・、なんて事が起こる可能性もあるかなぁなんて思ってます。久美子3年生編ではどうなるでしょうか。








  • ユーフォやチューバは合奏中暇になる事がたまにある
パート毎に区切って指示してて、その動きに自分の楽器が入ってなかったり、組曲で、その楽章のほとんどが休符だった場合(チューバやユーフォはたまにある)、合奏中は眠気との闘いです。特に、滝先生みたいに細かい所まで徹底して指示する人だと、自分が吹かない時間がずっと続いたりします。逆に、自分のパートが集中砲火を浴びると大変なんですが。





  • つばめちゃん2年生でもB編成、しかも登場シーン無し…
一応、麗奈さんからのお褒めの言葉は頂いてますが、前編以上に影が薄くなってしまいました…。せっかく原作でも名前が出たので、3年生編での活躍に期待しましょう。






  • 葉月もしかして3年生でもA編成入りヤバい…?
ファンブックの定演では大きな成長を見せた葉月ですが、第二楽章ではまたしてもB編成。そして、前後編通して、演奏技量の向上についての描写があまりありませんでした。
去年は全国銅、今年は関西カラ金という事で、来年も優秀な後輩は入ってくるのは間違いありません。もちろん、W鈴木もどんどん技量を上げていくでしょう。果たして葉月は最後のコンクールでA編成入り出来るでしょうか。この辺も大きな見どころになるかなと思います。





  • 文化祭や依頼演奏の選曲がツボに来る
ルパン三世」「スパニッシュ・フィーバー」「スター・ウォーズ」「テキーラ」「故郷の空 in swing」もうほんと、いかにも文化祭向け!依頼演奏向け!っていう選曲で、読んでて「うおおおお!」とか言ってしまいました。
ルパンはどのバージョンをやったのか分かりませんが、もしニューサウンズのジャスアレンジだとしたら、低音の皆さん本当にお疲れ様でした。僕はもう吹きたくありません。
スパニッシュ・フィーバーは、多分麗奈の一押しで曲が決まったんだろうなと容易に推察されます。聞いた事が無い方は、ぜひ検索してみて下さい。その意味が分かると思います。
故郷の空 in swingは、自分も昔チューバソロを吹きました。チューバは脇役に徹してこそその魅力が最大化するという、自分なりのチューバ観というか矜持があるので、凄く嫌だった思い出があります。ただ、後藤先輩がこのソロをどういう風に吹くのかは興味ありますww






  • 「源ちゃん先生」は、淀工のあの人と精華女子から活水に移ったあの人がモデル
丸谷先生も「丸ちゃん」なんて呼ばれてますが、流石に前編でこの事に気付くのは無理でした。「何年も全国大会で金賞獲ってる」「音楽の先生じゃない」「おじいちゃん先生」「明静工科の(元)顧問」という事で、「あぁ、丸谷先生か」となった人も多いと思います。吹奏楽部員なら誰でも知ってる、超強豪校である淀川工科高校(元淀川工業高校)の丸谷先生ですね。吹奏楽連盟の理事長も務めてらっしゃいます。超スパルタ指導でも有名で、その指導スタイルには賛否あったりします。
強豪校の先生を退職して、無名だった私立高校に赴任して一気に全国大会まで導くという点は、福岡の精華女子から長崎の活水に移って全国大会に出場した藤重先生の要素も入ってますね。活水は去年・今年と九州カラ金でしたが…。





  • 麗奈がドラムメジャーって事は、生徒指揮的な役割もやるのか?
新体制では、部長・副部長の負担軽減という事で、今まで兼任だったドラムメジャーを単独の役職にし、麗奈がその役職を務めます。
北宇治はマーチングを活動の軸にはしていないので、恐らくはドラムメジャーだけではく、生徒指揮(地域によっては学生指揮と言ったりする)の役割もやるんでしょう。むしろ北宇治は今まで、部長(あるいは副部長)が、合奏の指示もやっていたのが違和感がありました。というか、それでは幹部に負担が掛かるのは当然ですね。優子先輩の代では、人数が少ない分みんなでカバーしようという方針だったみたいですが、それでも加部先輩がマネージャー職に専念してもらっててもなお、幹部の二人は大変そうでしたし。
うちの高校では、部長・副部長・生徒指揮が「幹部3役」として部活運営に当たっていたので、自分の中でふっと腑に落ちた感じがしました。麗奈の指揮、滝先生以上に厳しそう…。






  • 久美子も音大に行くのか?
そこかしこに、それっぽい布石は打たれてますが、とうの久美子は、まだ進路について明確なビジョンを作れていません。新山先生が、麗奈だけでなく久美子にも音大のパンフレットを渡したってのは、つまりそういう事なのかなぁとか。これも"その2"でもう少し書かせて頂きます。







  • 関西カラ金の要因が、誰かの怪我や病気や演奏の致命的なミスが原因じゃなくて心底ホッとした
後編を読むうえで、一番心配していた点です。
関西大会止まりは、まぁ予想の範囲内ですが、武田先生の事なので、滝先生が当日に急病で倒れたとか、希美先輩が大会直前に交通事故で怪我をしたとか、夏紀先輩が演奏の致命的なミスを犯してしまったとか、あり得るだろうと思ってヒヤヒヤしてたので、一先ずは無事に関西大会を終えてくれて何よりでした。
まぁ、怪我に関しては、立華編の未来先輩の一件があるから可能性は低かったですが。






  • 奏と夏紀先輩の関係が微笑ましくてホッとした
前編からの流れで、どういう関係になるかなぁと思ってたら、予想以上に微笑ましい関係を構築しててホッとしました。卒業式で夏紀先輩を前にして涙を流す奏が見たい。







"その2”では、特に後半を読んでて自分が強く感じた
「コンクールとは何か」
「コンクールで良い賞を取るという事は何か」
みたいな観点で感想を綴りたいと思います。
この点について語りたい事が山ほどあります。

では、その2に続きます。








【ネタバレ注意】【追記あり】「響け!ユーフォニアム 第二楽章 前編」の感想など その2

8/26に刊行された小説版の新刊
響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 前編」
を読んで気付いた事などを書き綴った記事、
その2です。長くなったので分割したうちの後半です。

※9月20日に1項目追記しました。











もちろん、以下ネタバレ注意です!

































  • 楽器はがむしゃらに練習しても上手にならない

作中では奏とサファイア川島が言っていますが、武田先生よくぞ書いてくれたと思いました。
これは自分が現役の頃からずっと意識してる事であり、自分の中で音楽に対する考え方の一番基礎です。
具体的には、

・楽器は気合と根性だけでは上手くならないばかりかどんどん下手になる
・「正しい奏法」を意識せずにがむしゃらにやればやるほど変な癖が付いて逆効果
・変な癖が付くと良い音が出ないばかりか、疲労が溜まりやすく息の使い方も非効率になってますます変な癖が定着する悪循環。顎関節症にもつながりかねない。

というのは、管楽器奏者では定説というか、少なくとも自分と自分の回りの音楽仲間では統一見解になってます。
そして、基礎練でも曲練でも、常に色んな事を意識して練習しないと上達しません。
久美子は1年生指導係として経験者の一年生に技術指導していますが、その中で

「なぁなぁで吹くのではなく、練習メニュー一つひとつの目的をしっかりと考えましょう」

と一年生に言っています。
滝先生も基礎合奏中に
「基礎練習は、ただ漫然と吹いているだけでは身に付きません」
「ハーモニー練習も同じです。いま自分がなんの役割を担っているのか、それを意識してください」(一部抜粋)
と指導しています。
たとえばロングトーン一つ取っても、「腹式呼吸で」「出す音をしっかりイメージして」「メトロノームにかっちり合わせて」「出だしをはっきり」「息の量・スピード・密度を一定に」「アンブシュア形成に必要な口の筋肉と、音を支える為の腹筋背筋以外の身体の力は抜く」「喉を空ける」「口の真ん中から息を出す」「音程・音色・音量を一定に」「拍の最後まで吹き切る」「音の処理を忘れない」など、パッと思いつくだけでも注意しなければいけない事がこれだけあります。ましてや合奏となれば、中学時代に滝先生と会話をした事を思い出すような余裕は一切ありません(笑)
もちろん、より良い演奏をするために反復練習は必要で、その為の根気・集中力・やる気は間違いなく必要ですが、根性論や精神論と取り違えてはいけない。
この「吹奏楽では根性論や精神論は通用しない」というのは自分の中で吹奏楽の好きな所でもあります。







  • 根音?主音じゃなくて?
と思って調べてみたら、どうやら高校時代に自分が「主音」だと思っていたものは、正式には「根音」と言うそうです。間違って覚えてた…。というか、うちの顧問の先生間違えて指導してた…。







  • 夏紀先輩のA編成入りは、非情な決断と捉える事もできる
A編成55人の楽器ごとの内訳が、ペット・ユーフォ・チューバ・弦バス以外が不明で、かつ課題曲も自由曲も架空の曲なので「そういう考え方もできる」程度の事ではあるんですが…。
正直、ユーフォ3本って、ちょっと多いですよね?「物語上、夏紀も久美子も奏もA編成に入れないといけなかった」と言われればそれまでなんですが、自分はちょっと深読みしてみました。
ユーフォのメンバー発表の直前、トロンボーンのメンバー発表で、秀一が無事にA編成入りしますが、その隣で三年生が泣きそうな顔になっていたという描写があります。話の流れ的に、この三年生はA編成から漏れたと考えるのが普通ですよね?一応、A編成に入れて嬉し泣きしてると曲解できなくもないですが。
ここで「今年は三年生でもA編成に入れない場合がある」というのを読者に印象付けてる訳です。アニメ版では、優子部長の代のトロンボーンは岩田さん1人ですが、小説版では描写が無いので複数人居るのかもしれません。
ユーフォとボーンは音域が近く、同じ動きをすることも多い。そんな中、ユーフォの3年生はA編成入りを果たし、ボーンの3年生はAから漏れる。で、ユーフォ3本体制。編成的な事を考えれば、曲にもよりますがユーフォ2本にしてボーン1本増やすのが自然な気が自分はします。夏紀先輩は非常に努力していましたが、技量では久美子と奏には及ばない記述が随所にあります。
ではなぜ、滝先生と松本先生はボーンに1本入れずにユーフォを3本にしたのか。これは滝先生の恩情だったのか。
もし、夏紀先輩とA編成から漏れたボーンの3年生が同じくらいの技量で、人数的にどっちか1本しか入れられないとしたら、と仮定します。
編成バランスの事を考えればボーンを入れるのが自然。当然、演奏力以外のものは考慮に入れない事は滝先生も重々心得ていて、部員もそれを受け入れて練習に励んでいる。ただ、部活運営の貢献度も高く、部員からの人望も非常に厚い副部長をA編成から外すとなると、部員のモチベーションはどうなるか。
音楽は、メンタル面の影響が如実に出ます。あすか先輩の退部騒動の時に、滝先生が「なんですか、これ」と言ってしまうほど腑抜けた演奏になった事がありましたね。
技量が同じくらい・同じ音域のユーフォとボーン・一方は部員からの信頼が絶大で部活運営上の貢献度も高い副部長で、一方は3年生とはいえ平部員。滝先生ならば、メンタルが演奏に与える影響を知らないはずはない。
そういう理由で、夏紀先輩がA編成入りを果たした横で、ボーンの3年生がA編成が漏れたとすれば、これは恩情というよりも「メンタル面まで込みで考えて、より良い演奏をする為に3年生の平部員を落として副部長の3年生を入れた」という見方もできます。副部長決定会議の際に、もし夏紀先輩が副部長指名されてなければ、夏紀先輩が副部長就任を断っていれば、そのA編成から漏れた3年生が副部長に就任していれば、結果が逆転して可能性もあると考えれば、とても非情な判断という見方もできる訳です。
考えすぎ?









この記事を上げた後に「序盤で『トロンボーンは2・3年生で3人』という記述がある」というご指摘を頂きました。さっそく確認すると、確かに久美子が言ってました。更に、「1巻に『初心者が一人いる』とも書いてある」とお教え下さいました。これも確認すると「7人中1人は初心者だからオーディションを受けるのは6人」と秀一が言ってます。
このトロンボーンの3年生が岩田さんなのかは分かりませんが(これもツイッターで「アニメに登場するモブ部員が、必ずしも小説版に居るとは限らない」というフォロワーさんのツイートを拝見して、なるほどなと思った次第)、少なくとも3年生は1人である事が確定します。
先述の通り、Aに選ばれて嬉し泣きしてる可能性もゼロではないですが、恐らくAから落ちたんだろうと推察されますよね?
つまり、パート内でたった1人(しかも恐らくはパートリーダー)の3年生がAから落ちた訳です。そのうえ、3年生は18人と1・2年生に比べると少なく、「2・3人中心にA編成が決まった」という記述もあるので、3年生で落ちた人はほとんど居ないと予想されますよね。下手したら3年生で落ちたのはこの部員だけかもしれない。
この事に気付いた瞬間、急にこの3年生部員のメンタルとトロンボーンパートの空気が心配でしょうがなくなってしまいました。自分の脳みその単純さにビックリです。
まずこの3年生部員(敢えて岩田さんとは断定しません)、のメンタルを考えると居た溜まれません。恐らくは練習も真面目にやったんでしょう。秀一から愚痴もこぼれてないので、パートリーダーとしてもちゃんとやってたんじゃないかと予想されます。小説版では晴香部長の代でAに入れなかった3年生が居るのか分からないですが、この3年生の気持ちを考えると、部活に残るのも地獄、辞めるのも地獄だよなと。そして、パートの後輩にもどう接すればいいのか。自分も中3の時に、野球部最後の大会で背番号を貰えなかった経験があるので、気持ちが痛いほど分かります。滝先生・松本先生・優子部長・夏紀先輩のアフターフォローがめちゃくちゃ重要、かつ非常に難しいと思います。
トロンボーンパート内の人間関係も心配です。1・2年生は、この3年生とどう接すればいいのか。どうしても腫れ物に触るようになってしまいますよね。トロンボーンパートの空気が地獄の様相なのは想像に難くない。前年にソロ争いで大変な事になったトランペットパートに匹敵、あるいはそれ以上かもしれない。一応学年代表である秀一は、こういう時どういう立ち回りをするんでしょうか。秀一は優しいけど、こういう事態の処理は苦手そうだなぁ。
強豪校がゆえに起こりうるこの事態ですが(北宇治が強豪校になったが故に起こった事態でもある)、後編ではこの辺の顛末は触れられるんでしょうか。多分触れられないんだろうなぁ…。








  • オーディションで滝先生が奏に言った言葉が実に滝先生っぽい
今作では全体的に影の薄い滝先生ですが、最終盤で奏に
「私は次のオーディションでの演奏をあなたの実力と判断するつもりです。どうするのか、慎重に考えて下さい」
と言います。実に滝先生っぽい。







  • さつきの底抜けの明るさは、家庭環境の裏返し?
キャラクター紹介には
「好きなもの:お母さんが作るカレーライス」
「嫌いなもの:ひとりで食べるカップラーメン」
とあります。もしかして、両親が共働き、もしくは片親で忙しくて、平日は家で一人でいる事が多い(兄弟姉妹が居るかどうかは現時点では不明)。その反動で明るく社交的な性格や、葉月や美玲に仲良ししたがる性格が形成されたんでしょうか。







  • 食べ物の描写がどれもこれも美味しそう過ぎて困る
武田先生は食レポも行けるんじゃないでしょうか。









  • 「源ちゃん先生」って多分、求のおじいさんだよね?
最初、お父さんかなと思ったんですが、
「嫌いなもの:祖父」
とあるので、おじいさんの線が濃厚?








  • 音楽には「馴れ合い」も時には大事だよって奏に伝えたい
奏は、サンフェス直前の待機中に、さつきと葉月がじゃれ合って、それを横で美玲が微笑むという光景を見て
「・・・久美子先輩も、ああいうのがいいと思います?」
「ああいうのって?」
「ああいう馴れ合いですよ」
「馴れ合いって・・・そういう言い方はやめたほうがいいんじゃない?」
「そうですか。先輩が言うならば控えます」
と言って強烈に毒づきます。もちろん、彼女なりの音楽に対する考えがあるのでしょうし、それを否定する事はできません。
でも、オジサンは思います。吹奏楽は一人では音楽が完成しない。指揮者含め、各楽器の各パートが役割を果たしてこそ良い演奏になる。しかも、さっき言った通り、楽器の演奏はメンタルがモロに影響します。人間関係がギクシャクすれば、音もギクシャクすると思うのです。だから、それこそ「大好きだよゲーム」くらいの、思い切り馴れ合うのも、良い音楽を作る為の一つの手段なんじゃないかと思う訳です。(余談ですが、「大好きだよゲーム」みたいなキャッキャウフフは、吹奏楽部時代に良く目撃してたので、今の吹奏楽部でもこういうノリがあるのかなと思ってほっこりしました。)
これは、小説1巻・アニメ1期の麗奈に対しても思ってました。
「おめさん1人で音楽やってんらかね(あなたは1人で音楽をやってるのかい)」
みたいに。
麗奈はその後、低音3人や香織先輩・優子先輩と触れ合っていくうちに、少しずつではありますが「音楽を通じて自分のなろうとする『特別』は、自分一人の力だけでは完成しない」という事に気付いていきます。本当にほんの少しずつですがww
美玲は、序盤からこの辺を充分理解していました。理解しているのに自分がそういう考えに至れないジレンマに苛まれ、サンフェスの練習で爆発してしまう。逆に、元から充分理解してたからこそ、久美子の手助けによって踏み越える事が出来た訳です。
一方の奏は、元からそんな考えは持っていません。だから、美玲が変わった瞬間に立ち会っても「何も間違ってない美玲がなんで変わらなきゃいけなかったんだ」と怒りをぶちまけます。そして、サンフェス本番で上のようなセリフを吐く訳です。そして中学時代の経験と照らし合わせて「自分だって頑張っているのに、周りは認めてくれない。人望ある3年生からA編成の枠を奪ったら、自分が敵役になって疎まれるに決まってる」と思い込んでどんどん追い込まれていきます。直接結び付かないので屁理屈みたいになってしまいますが、「馴れ合う事も、より良い音楽を作る一つの方法だ」という考えを持っていれば、オーディションで自分を守るためにワザとミスをするという事態になる前に追い込まれた状況から脱出できたんじゃないかと思えてなりません。
オーディションから無理矢理引っ張り出されて久美子や夏紀先輩と対峙した事で、奏が「一人で吹奏楽はやれない」という事を理解するきっかけになったらいいなと思いますが、後編ではどうなるでしょうか。







  • 吹奏楽部で起こる数々のトラブルは、そもそも音楽は競技じゃないのにコンクールがあるのが原因である事が多い
これについては、後編が刊行されてから詳しく書こうと思います。
一応言っておきますが「だからコンクールなんか無くしてしまえ」という事ではないので悪しからず。
分からないですが、同じ芸術系で、かつコンクールがある部活(合唱・美術・書道など)でも、似たようなトラブルは起こるもんなんでしょうか。






  • 秀久美が甘酸っぱくて心に刺さる。くみれいはどうやって読んでも「距離が極端に近い友情」にしか読めない
これは色んな解釈がある事なので、これも一つの解釈だと思って読んで頂ければと思います。
秀一や久美子の会話の端々に、秀一と仲の良いちかおの名前が出てくる辺りがめちゃくちゃリアルですね。
久美子と麗奈は、小説もアニメも、何回読んでも見ても百合には見えないんですよねぇ。というか、武田先生がインタビューなどで「久美子と麗奈の関係は、女子特有の、友情関係での距離の近さを書いてみた」というニュアンスの事を答えてらっしゃって「やっぱそうだよなぁ」とずっと思ってました。
もっと言うと、作中でガチでそっちなのは、多分香織先輩だけだと思ってます。
のぞみぞれは、完全に片依存の関係ではあるものの、あれを恋愛と解釈するのは無理がある気がします。
なかよし川は恋愛関係と解釈する事も出来ない事も無いですが、やっぱり自分としては恋愛関係とはちょっと違うのかなぁと思います。トムとジェリーは恋愛関係じゃないですよね?それに近いなと思ったり。ただし、自分はそんななかよし川、大好物です!







  • みぞれ先輩は後編で今度こそ成長を遂げることができるだろうか
みぞれ先輩ファンの方は、ここは見ない方がいいかもしんないですww

定期演奏会で成長の鱗片を見せていたみぞれ先輩ですが、プロローグ・エピローグや、縣祭りのやりとりでは、事態は以前より深刻なんじゃないかと思ってしまう状態になっています。読んでて何度も
「みぞれ先輩マジか・・・、高校3年生でこれはヤバすぎるだろ・・・」
って思っちゃいました。
後編では間違いなく希美先輩とみぞれ先輩の関係が主題の1つになるでしょうから、どのような解決を見るのか、はたまた、武田先生の「後味悪い系作家」の本領発揮で、何も解決せずに終わるのか。楽しみにしておこうと思います。
因みになんですが、原作2巻・アニメ2期前半の希美先輩とみぞれ先輩のゴタゴタ。自分の周りでは、女性はみぞれ先輩にイライラしてて、男性は希美先輩にムカついてた傾向があったんですが、実際はどうなんでしょうかね。









後編は10/3発売予定だそうです。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-4-8002-7491-5&Sza_id=MM

果たして北宇治は府大会を突破できるのか、関西大会を突破できるのか、全国で金を取れるのか。武田先生の事なので、「誰かがミスして上位大会進出を逃す」とか、1・2年生部員の誰かが秀大付属のあかりちゃんのような立場に追い込まれるという展開も充分考えられるので油断禁物です。
武田先生はどのようにして我々の精神に棘をぶっ刺してくるのか。今から楽しみですね!
後編が刊行されたら、そっちのレビューも書こうと思います。それでは~。